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中国訪問決定・飛行機も確保 (2007/12/12~12/16)

12月12日~16日    日本語学校、南京記念館など

中国訪問決定・飛行機も確保

 今年は日中国交正常化35周年・南京事件70周年の節目の年です。この大事な年に、両国民の相互理解・友好を大きく促進するために、県連は大量の訪中団を送ることを大会で決めました。
 特に、今年よろこばしいことに、日中友好協会や福岡日中文化センターが協力した日本語学校が南京に開設されます。
 学院側から私たちの訪問団を大歓迎するとの返事ももらっています。
Img20070428_03  新しい南京虐殺記念館も、70周年の12月13日落成を目指して、拡張工事が進められています。
 新しい記念館の敷地は以前の倍。3万人規模の集会もできます。ここで記念集会が開催されるものと考えられます。
 この記念館と日本語学校訪問・交流を中心に各所旧跡を訪れます。すでに航空機座席70席を確保しました。12月12日午前発、16日夕刻便で帰国します。

Img20070428_04

 「休日を利用して中国上海旅行を手軽に」という要望に沿って、しかも、3日間を最大に利用した上海旅行がついに実現します。 ただ、午前出発、夕刻便で帰国の飛行機を安全に確保するために、1日だけは平日となります。10月7日(日)10時出発、10月9日(火)夕刻便で帰国します。 具体的なスケジュールなどは早急にお知らせします。

2007年 4月 29日 福岡日中文化センター, 日本語学校, 福岡県連合会 | | コメント (0) | トラックバック (0)

待望の南京日本語学校 遂にスタート

待望の南京日本語学校 遂にスタート

Img20070408_05  福岡県連は「日中両国民の相互理解を深めるために中国に日本語学校をつくろう」と3年前の大会で決め一日も早い実現を目指して努力してきました。
 学校経営のかかわり方が中国国内法との関係で、「共同運営」から「協力支援」に変わりましたが、日中友好の立場で、今回、江鮮省立南京鉄道職業技術学院(学生数5千名)が責任をもつ日本語学校立ち上げに協同・協力してきました。

Img20070408_06  3月29日、武田正勝県連会長の代理で、高向洋人氏(県連会員・福岡日中文化センター副所長)が南京を訪れ、伊藤正敏氏(同学院講師・県連会員)の立会いで、銭吉奎副学院長と学校支援協定書に調印を行い、百万円の協力金を手渡しました。
 すでに、学校設置については省の認可を得、省物価局から募集要項などの許可も下り、開校は5月14日の予定です。現在、スタッフは学生募集など準備に全力を挙げています。
 銭吉奎副学院長は「ぜひ、成功させたい。福岡の皆さんの訪問・交流を歓迎します」と語っています。
 〔南京訪問計画〕
 県連は、南京事件70周年の今年、県民に広く呼びかけ、12月に記念集会と日本語学校訪問の予定です。


[訂正とお詫び]
南京鉄道職業技術学院副学院長のお名前は、正しくは「銭吉奎」さんでした。
本文を訂正の上、お詫びいたします。

2007年 4月 9日 日本語学校, 福岡県連合会 | | コメント (0) | トラックバック (0)

中国帰国者とひなまつり交流会

中国帰国者とひなまつり交流会  新日本婦人の会小倉支部の三浦憲子さんから中国帰国者との交流会について投稿がありましたので紹介します。

 昨年の「水餃子作りと交流会」で「来年は、ちらし寿司を作って、ひなまつりでお会いしましょう」との約束で早速「ひなまつりの集い」にご招待して交流会を開きました。
 班で毎年作ってきた手作りのおひな様や、個人でお持ちのお雛様を会員それぞれが持ち寄り、赤い毛耗の床いっぱいに並びました。
 中国帰国者の方4人も大喜び、中国でも風習はあるけれどひな飾りはなく、女性達が集まってお食事会をするそうです。
 1年ぶりの再会にご挨拶をして、会員さん手作りのちらし寿司と持ち寄りの品々と総勢19人の賑やかな交流会となりました。
 一番日本語の上手な原田さんにお話を伺いました。
 72年に日中国交回復しましたが、このニュースを知ったのは7年後の79年だったそうです。原田さんがお住まいだった所は、電気もラジオもない所だったそうで、知る由もなかったそうです。
 でも知らされなかった事自体が日本政府のだったのです。
 日本の厚生省に帰国したいと4年間も手紙を出し続けやっと里帰りが実りましたが、親族から冷たくされ、寂しい思いをして中国にかえりました。
 5年経ってやっぱり自分は日本人だから日本に帰りたいとの思いが募り知人に身元引受人になってもらい、やっと87年に永住帰国することができたそうです。
 国家賠償訴訟の裁判では二度涙を流しましたとおっしゃいました。 「神戸の判決では喜びの涙、東京の判決では悔し涙でした。中国では日本人だといじめられ、日本に帰国してからは中国人だといじめられました。私達は日本人です。お金じゃないんです。皆なと同じように暮らしたい」と熱い思いを語って下さいました。
 私たちも原田さんたちの悲惨な体験と政府の冷たさを改め知らされました。
 福岡裁判では嬉しい判決がでるよう皆で応援することを約束しました。
 言葉の不自由な中での交流会でしたが、日本に帰国して20年、こんな風に家に招かれ食事を頂くのは初めてとのこと。ちらし寿司も初めてで、とっても美味しかったと大変喜ばれました。
 「今度は中国料理と日本料理を持ち寄りお会いしましょう」と盛り上がりました。

2007年 4月 9日 中国帰国者 | | コメント (0) | トラックバック (0)

日中友好の架け橋 胡弓バンザイ!

Img20070408_02 日中友好の架け橋
 胡弓バンザイ!

福岡支部 岩佐礼子

 出発当日「あこがれの二胡本場で腕試し・あす上海で演奏・期待とドキドキ」大きな見出しの朝日新聞。九州全域から集まった劉福君胡弓教室の61名は2時間ほどの空路で無事上海着陸。時速430㎞のリニアモーターカーで上海市内へ。夜11時頃ホテルにてリハーサル。短時間だが真剣。
 本番当日9時、オープニングセレモニーが始まり、「上海第4回長江三角州地区民族楽団展演会」は華々しく開幕。いやが上にも気持ちが高ぶる。次々と46団体が人数も形態も様々、悠久の歴史を誇る民族音楽の技をステージで存分に競い合う。さすが本場中国。
 特に明日を担う子供たちの技術の高さとその豊かな表現力。あの小さな指で奏でる美しい音楽性にはただただ感嘆。
 さて、日本(代表?)から参加の私たちの出番。胡弓で日本の曲目を演奏。中国の方々と心がひとつに解け合って何かゆったりとした夢のような時間と空気が会館にながれました。
 劉先生や皆々様に感謝のきもちでいっぱいの旅でした。

2007年 4月 9日 二胡 | | コメント (0) | トラックバック (0)

私と中国 北川栄市さん

Img20070408_01 私と中国
  北川栄市さん

 随分以前のある年の夏、福岡日中文化センターの短期留学に参加して、大学の宿舎に北川さんと同室した。ある日、妙齢の美人が訪ねてきて流暢な日本語で「日本のお父さん居ますか?」「え?・・・(まさか!・・・)」思わず口ごもった。
 彼女李蕾さんは、北京の某日系企業に勤めているが、福岡に留学していた当時、北川さんの自宅で毎週開いていた「初級中国語講座」の講師を務め、毎回夕食をご馳走になり、休日には九州各地を案内してもらうなど、”まったく家族同様のあたたかい”付き合いをしてもらって、それ以来北川夫妻を「日本のお父さん、お母さん」と呼んで慕っていると。
 実は北川夫婦には、この李さんを長女として、翁、馬、趙、高、五人の”中国の娘さん”がいる。みな李さんと同じ様な経緯を経て、現在も”あたたかい交流”がつづいている。
 「本当の”日中交流”は、庶民の間でやる”草の根交流”の積み重ねが基本になる。その為にもお互いの文化を知り、楽しむことが大事」と常日頃言っている北川栄市さんと”中国文化のとの交流”は、63歳で初めた中国語、68歳からの太極拳、さらに73歳からの二胡と正に多岐にわたる。殊にもっとも遅く始めた胡弓の演奏は、「七十からの手習いで進歩は遅いけど、胡弓(呼吸)は止めるわけにはいかないから」といいながら、楽しそうに研磨を重ねている。
 今年2月8日には、劉福君先生に習っている九州各地の二胡仲間60名と共に、上海で開かれた「民族楽団展演会」に参加して、中国人に日本の曲を披露し、大喝采を受けたばかり。 (三)

2007年 4月 9日 福岡日中文化センター, 福岡県連合会 | | コメント (0) | トラックバック (0)





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