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南京・揚州・鎮江・上海の旅 感想 

事実を事実として
               上村 保   福岡

Img20071212_11  南京事件の起こった1937年は、ナチスドイツがスペインのゲルニカに空爆による世界最初の無差別攻撃を行った年です。同じ年に日本軍も南京に対して空爆を行いました。空爆のあと地上戦で日本軍による無差別虐殺、強姦、放火、略奪の数々と伝えられる南京侵略が始まりました。
 記念式典参列のあと、新しい資料館を見学しましたが、目を背けたくなる映像や写真、二人の将校の日本刀による「百人切り」を報道する日本の異常さなど、一人の人間から一つの国そのものまでを狂わせてしまう戦争を絶対に許してはならないと、平和の大切さと軍隊と戦争を放棄した憲法9条を守る大切さを、かみ締める旅になりました。
 今回の旅で、多くの南京市民を救った、ナチス党員でもあった、ジョンラーベという人のことを新しく知ることができました。「ジョンラーベの家」が資料館となっており、説明を受けながら、「南京のシンドラー」杉原地畝さんがいたことを知りました。
 上海師範大学では従軍慰安婦資料館を訪ね、教授からいろいろな説明を伺うことができました。
Img20071212_12  南京事件にしても、従軍慰安婦問題にしても、学んだことは「まず、事実を事実として受け止めて欲しい。そのことが、出発点だ」ということでした。事実を事実として認めないことは二重の加害行為につながります。「歴史認識」という表現で、中国が再三日本に求めているのはそこでしょう。「報復復讐のこころからは新しい未来は生まれない。しかし、過去の歴史と正しく向き合わなければ真の友好は築けない」。このシンプルな命題が、南京事件から70年、終戦から60年以上も経た、現在もなお、国会で「侵略戦争であった」と明言しない日本国に問われているのだと痛感しました。
 鑑真和上が祀られている大明寺を訪ねましたが、国と国の関係は平和交流であってこそ、文化も華やかに花開くのだと、遣隋使・遣唐使、その他の平和交流の歴史や、元寇の役、秀吉の朝鮮侵略、第二次世界大戦などの戦争の歴史を比較しながら、その思いを強くしました。

憎しみをあおるのではなく
平和を発展させる為

              井上 千代子   大川

 初めての中国旅行はとても有意義のものでした。
 平和集会の会場に入ると、いきなり、見上げる程の大石に刻まれたもがき苦しむ人の姿、天に突き上げた手は、悲鳴、うめき、呪いの叫びが聞こえてくるようで、私は圧倒されました。もうひとつ衝撃だったのは、中国では虐殺ではなく、屠殺と言われていたことです。
 会場には生存者の札を付けた盲目の婦人が時折り涙して立っておられまして。南京戦に参加した父をもつ甲斐悟さんは、その婦人を抱きしめていました。
 資料館では捕虜と住民に対する虐殺、暴行、強姦、略奪の数々。広いガラスの床の下には沢山の遺骨が折り重なっていました。日本ではプラスチックで作ったものではないかと言う人さえいるそうです。
 資料館を出ると、丸い石が沢山積み広げられています。30万個の犠牲者の尊い命の数です。ここは怒りの場です。
 しかし、中国は恨みや、憎しみをあおるのではなく平和を発展させる為という姿勢だと思います。日本政府は、過去の侵略戦争の事実を認めて早く反省してほしいです。
 知人が、「政府が言っている事が本当か、どっちが本当かわからない。」と言っていましたが、写真を見せて、この事実を話したいと思います。
Img20071212_13  南京鉄道職業技術学院の日本語を学んでいる生徒さん達と交流しました。私の相手は赴冠冠さん、二十歳。お父さんは会社員、お母さんは農業、高校生の弟の4人家族で寮に入ってアルバイトをしながら、日本語通訳を目指して、勉学に励んでおられました。中国の学生さん達は素朴で、明るく、意欲的でした。楽しい交流ができました。
 日曜日の魯迅公園には老若男女大勢の人が集まり、社交ダンスの輪があるかと思えば、向こうでは大合唱の輪、太極拳をしている人、編み物をしている人、路面に水で筆字を並べている人、それぞれ楽しんでいます。日本では失われてしまった人間本来の姿がここにありました。中国人が元気なのは、こんな人とのつながりがあるからではないでしょうか。
 バスに乗り込もうとしていると、「日本人ですか?はじめまして。」と二十歳くらいの娘さんが美しい日本語で話しかけてくれました。いろいろ話しかったけれど「勉強頑張って下さい。さようなら。」と別れました。一瞬の出合いでしたが、出会う人ごとに「ニイハオ」と挨拶を交わして、楽しい旅でした。

また中国に行きたい
              佐藤 由紀子   大川

 今回が初めての海外旅行。出発までソワソワ落ち着かない日々が続き、いざ中国へ出発。
 南京大虐殺のことをほとんど知らない私が70周年記念式典に参加した。これまで、いろいろな集会に参加してきたが、こんなに神妙で重い集会は初めてだ。参加者はキチンと整列し、バラバラではなくビッシリと会場を埋め尽くされていた。会場で盲目の老婆が涙を流していた。甲斐さんがその老婆を抱きしめた。
 式典のあと、資料館を見た。広島・長崎の原爆資料館は何度か見たが、戦争のむごさを初めて見たような気がする。人間が人間に直接手をくだす。戦争とはいえ、罪のない女性や子供を平気で殺す。首切り競争をする。同じ日本人として、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。そして、甲斐さんの謝りたい気持ちが初めてわかった。
 公園でお爺さんが日本語で「ようこそいらっしゃいました。」と微笑んで言われた。憎いはずの日本人にどうして微笑むことができるのだろう?資料館を見て、中国人の目が怖くなった私は、少しホッとし「ありがとうございます。」と言った。
 日本語を学ぶ学生との交流では、筑後弁しか話せない私は標準語を話せるか心配した。校舎のなかで話した二人の女学生はとてもかわいらしくて純真で、一生懸命に日本語で話してくれた。あまりためになることを話してあげられなくて申し訳なかったけれど、短い時間でも親しんでくれて感激した。別れ際には涙が出そうになった。
 揚州・鎮江・上海は、思っていたよりずっと発展していた。特に上海の高層ビルの大きさに驚いた。交通量がものすごく、道路の真ん中に歩行者や自転車が立っているのに驚き、ドライバーの運転の上手さに感心した。
 中国の人はとても元気がよく勤勉で、日本の将来が不安になった。
 水とトイレには困ったけれど、今回行けなかった同僚を連れて、また中国に行きたいと思っている。

2008年 1月 19日 交流, 日本語学校 | | コメント (0) | トラックバック (1)

南京・揚州・鎮江・上海で交流 (2007/12/12~12/16)

日 中 両 国 民 の 友 好
長江の如く滔々と流れよ
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 江蘇省立南京鉄道職業技術学院を訪問。幹部職員や日本語を学ぶ学生たちと交流。日本語学習のために大型の日本地図と会員から提供された書籍を贈呈しました。

 昨年は、日中国交回復30周年・南京事件70周年の節目の年にあたります。この記念すべき年に、福岡県連は福岡県が友好提携を結ぶ江蘇省の省都であり、二千四百年の歴史をもつ文化都市・南京や揚州、鎮江を12月12日から16日の間、47名(団長・原博道副会長)が訪問しました。
 この訪問の旅は第2回目で、長崎、大分、また、福岡日中文化センターの人々も一緒に参加しました。
 13日は、南京30周年記念集会に参加し、改装となった記念館を見学。平和への誓いを新たにしました。集会は中国国民を中心に各国から八千名を越える人々や報道関係者が参加しました。村上陽三さんと甲斐悟さんは記者の取材を受け、テレビなどで大きく報道されました。
 14日は省立南京鉄道職業技術学院を訪問し、幹部職員や日本語を学ぶ百名を越える学生たちと交流を深めました。また、日本語学習のために大型の日本地図と会員から提供された書籍を贈呈しました。
 14日午後は、日中友好の先達、鑑真和上のふるさとである揚州や鎮江なども訪問しました。
 鎮江では会場を借り切り、銘酒と中国料理を楽しみながら、交流を深めました。
 15,16日は急速に発展する上海の街並を見物しました。また、希望者ごとに雑技、ジャズバンド、クルーザーなどを楽しむとともに、慰安婦資料館、魯迅記念館なども訪れました。
 移動のバスの中では、「鑑真和上」について荒金卓也さん、従軍慰安婦について具島順子さん、平頂山事件について高尾翠さんが、それぞれ、永年の研究をもとに日中友好と平和の立場から心に残る感動的な話をされました。 (以後・続報)

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中国語?と「純粋」日本語で学生たちと交流 手を振って別れを惜しむ学生たち。純粋、素朴さに感動しました。

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 南京30周年記念集会に参加した県連会員や日中文化センターの人たち。平和への誓いを新たにしました。

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県連が献花した花輪 記念集会には未来を担う多くの子どもたちも参加

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 アイルランドの記者からインタビューを
受ける村上陽三さん
 鑑真も親しんだ揚州・痩西湖の畔で

2008年 1月 13日 イベント, 福岡日中文化センター, 交流, 日本語学校 | | コメント (0) | トラックバック (1)

中国残留孤児福岡訴訟終結 (2007/12/27)

中国残留孤児福岡訴訟終結
原告団、弁護団、支援者の活動と国民の協力が結実

 「日本人として扱ってほしい」と2004年12月から5陣にわたって、137人の中国残留孤児が国を相手にあいてに賠償を求めていた「福岡訴訟」口頭弁論が12月27日、福岡で開かれました。
 新たな支援策を盛り込んだ、改正帰国者支援法の成立を受け、原告全員が訴訟を取り下げました。国側も同意し、裁判長は訴訟の終結を宣言しました。
 木村琴江原告団長(日中友好協会会員)は、「これまで、苦難の連続だった。これで、日本人として尊厳を持ち、安心して晩年の生活を送ることができる」と意見陳述をしました。
 馬奈木昭雄弁護団長は「孤児たちが本当に帰ってきてよかったと思えるように、国は誠実に支援策を実行してほしい」と訴えました。閉廷後の報告集会には原告、弁護団、支援者、約二百名が集まり、よろこびをわかち合いました。
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2008年 1月 12日 中国帰国者, 中国残留孤児 | | コメント (0) | トラックバック (0)

お礼の街頭宣伝 県・市にも要請 (2007/12/8)

お礼の街頭宣伝  県・市にも要請
支援立法成立にあたって

Img20071208_01  福岡原告団と弁護団、支援する会は、福岡市内の天神町で、提訴3周年行動として、支援立法の成立にあたって、12月8日、原告、弁護団、支援する会、協会福岡県連から30名が千枚のチラシを配りながら、お礼の街頭宣伝を行いました。
 反応はとても良く、30分ほどでチラシを配り終えました。
 その後、福岡県庁と福岡市役所を訪れ、新支援策の実行にあたって要請をおこないました。
 原告団から、新支援策では自費帰国者に対する通訳支援は予定されていないのではないかなどの質問がされました。

2008年 1月 12日 中国帰国者, 中国残留孤児 | | コメント (0) | トラックバック (0)

今後の活動がさらに大切 支援する会が総会 (2007/12/27)

今後の活動がさらに大切
      支援する会が総会

 九州地区中国帰国者を支援する会は12月27日、福岡市内で第5回総会を開き、あらたな支援法の成立を受けて、今後の活動をどのようにすすめるかについて討議を深めました。
Img20071227_01  「帰国者の老後の生活保障は一定前進するが、まだまだ地域社会では孤立しがちである」「法運用の上で今後いろいろな問題が出てくる。会の活動を強め支援できるようにしていくことが一層大事になってきた」などの意見が活発に出されました。
 そして、今後、裁判終了に伴い、原告団を支援して、多くの団体、個人に感謝とお礼の挨拶をおこなうにともに集会を開くことにしました。
 また、「支援法の理解と周知を帰国者とともにすすめる」「会員の拡大と組織運営の強化に努める」「帰国者との交流を強める」などを決めました。また、各県、各区から世話人を選び、事務局は福岡地区が担当することにしました。

2008年 1月 12日 中国帰国者, 中国残留孤児 | | コメント (0) | トラックバック (0)





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