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講演会 沙飛と日中戦争 来住新平氏 (2009/2/14)

講 演 会
悲 劇 の
従軍写真家
沙飛と日中戦争
沙飛研究者・協会全国常任理事
来住新平氏

日時  2月14日(土)午後3時30分
会場  久留米市・えーるピア久留米 210・211研修室 
        
諏訪野町 西鉄久留米駅から徒歩10分
定員  申し込み70名で締め切り
参加費 無料
主催  問合わせ 日中友好協会筑後地区協議会
  久留米  野田 電話 0942-53-6512 携帯080-5245-7035
  大川三潴 甲斐 電話 0944-87-7426
  柳川   金子 電話 0944-73-0241
  大牟田   矢田 電話 0944-57-5827

悲劇の従軍写真家

沙飛写真展

Img_20090117_03
日時  4月2日(木)~5日(日)
会場  久留米市・えーるピア久留米
         諏訪野町 西鉄久留米駅から徒歩10分
問合わせ  日中友好協会筑後地区協議会

  2008年7月29日~8月3日にアクロス福岡で行われた「沙飛写真展」のページをみる
  福岡での「沙飛写真展」への取り組みをみる

2009年 1月 18日 講演, 沙飛写真展, 筑後地区協議会 | | コメント (0) | トラックバック (0)

「悲劇の従軍写真家 沙飛写真展」開催  2009年4月

悲劇の従軍写真家
沙飛 写真展

■ 日時 2009年4月2日(木)~4月5日(日)

■ 会場 久留米市・えーるピア久留米
        諏訪野町 西鉄久留米駅から徒歩10分

■ お問い合わせ
   日本中国友好協会筑後地区協議会
           久留米 0942-53-6512
           大川三潴 0944-87-7426
           柳川 0944-73-0241
           大牟田 0944-57-5827



 中国写真界の草分け的存在であり、数多くの写真家を育て、激動の時代を生き、悲劇の生涯を閉じた従軍写真家・沙飛の写真展が、久留米市で開かれます。
 日本で初めての沙飛の写真展が、昨年4月から全国各地で公開され、話題になっています。
 福岡県内においては、福岡市で沙飛写真の一部の展示は行われましたが、本格的写真展が開かれるのは、初めてです。


 沙飛 (さひ)

 魯迅の影響を強く受け、その臨終に立ち会い撮影した魯迅のデスマスクの写真が、その後の沙飛の運命を決めた。
 抗日戦争下の前線で、後方で、沙飛はシャッターを押し続けた。
 万里の長城での戦闘 ・ 中国軍の捕虜となり反戦活動に身を投じる日本兵たち ・ 救出された日本人少女と八路軍の司令官 ・ 農民の生活や八路軍による開墾作業 ・ 貧しい子供たち ・ 中国人の戦傷兵や病人を治療するカナダ人医師 ・ 中国共産党代表と国民党代表が米国特使とともに談笑する写真 など、沙飛の残したフィルムには、日中戦争と中国革命の歴史的な場面が刻まれている。
 中国写真界の草分け的存在であり、数多くの写真家を育てた。

 1949年12月、悲劇が起こった。彼は新中国建設に貢献した日本人の津沢勝医師を入院先の病院で射殺し、死刑に処せられた。
 それから36年後の1986年、精神病であり、責任を問える状態ではなかったこと証明され、沙飛の名誉回復が実現する。
 津沢医師は2007年ベチューン国際平和病院から「国際友人」栄誉賞の顕彰が与えられ、池谷多鶴子医師(津沢医師の長女)が受けた。

 救出された栫(かこい)美穂子さん(当時4歳)は、宮崎県都城市に在住。このエピソードがきかけとなり、都城市と中国重慶市江津区の友好交流都市提携となり、交流がつづいています。1980年に美穂子さんは40年ぶりに聶将軍と再会されました。
 2005年、来住新平・日中友好協会都城支部長らが沙飛さんの次女・王雁(おうがん)さんに会い、日本初公開となる沙飛写真展を企画。
 そして、昨年(2008年)4月からの写真展に来日した、沙飛さんの次女・王雁さんと三女・王少軍さんは、都城での写真展で栫美穂子さんと一緒にテープカットをしました。

2009年 1月 18日 イベント, 沙飛写真展, 筑後地区協議会 | | コメント (0) | トラックバック (0)

ベールに包まれた? 玄界灘支部事務所を訪問

ベールに包まれた?
 玄界灘支部事務所を訪問

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Img_20090117_02 1月14日、小雪の舞い散る寒い日、玄界灘支部が誕生して初めて、県連事務局は事務所を訪れました。

 いつも話だけを聞かされ、写真一枚も県連事務局に届けられない「ベールに包まれた?」事務所でしたが、想像を超える立派なところでした。
 突然の訪問にもかかわらず、野中正吉さんが、「きょうは、私が事務所当番なんですよ」とにこやかに迎えてくださいました。
 事務所は田んぼや畑が広がるのんびりとした風景の中にありました。玄関には、「日中友好協会玄界灘支部」という木でつくった立派な看板。昔の日本家屋で縁側もあり、掃除の行き届いたふたつの畳と板張りの部屋には温かいコタツがおいてあり、床の間には、協会の旗が、立てかけられていました。
 支部のみなさんが肩寄せあって会議したり、映画会をしたり、交流する様子が、目に浮かびます。庭は、草とりも掃き掃除もきちんとされ、玄界灘支部の人々の気持ちを あらわしているようでした。

 車が4台駐車できるそうで、何人増えても対応できるなあと思いました。是非みんなで今年は、押しかけましょう。(県連・O)

 玄界灘支部のサイトは、こちらをクリック

2009年 1月 18日 玄界灘支部 | | コメント (0) | トラックバック (0)

講演会 偏見なく中国と付き合うことの重要性 大西 広 京都大学大学院経済学研究科教授 (2009/2/21)

講演会

偏見なく中国と
    付き合うことの重要性

経済、民族問題、ナショナリズム、金儲け主義の問題と関わって

大西 広 京都大学大学院経済学研究科教授
           日中友好協会常任理事

Img_20090109_02 ◎日時 2月21日(土)午後2時~4時
◎場所 オリオンプラザ4階 八幡西区折尾駅前
◎資料代 500円
◎申込 日中友好協会八幡支部 原田 090-6892-7715

 1956年京都府生まれ。京都大学大学院修了。経済学博士。認識論、応用計量経済学、マルクス経済学の分野で研究。中国の政治経済研究でも活躍。
 主な著書 『「政策科学」と統計的認識論』(昭和堂)『資本主義以前の「社会主義」と資本主義後の社会主義』(大月書店)『環太平洋諸国の興亡と相互依存』(京都大学学術出版会)『チベット問題とは何か』(かもがわ出版)『グローバリゼーションから軍事的帝国主義へ』(大月書店)『中国特需』(柴翠会出版4年)など多数。

2009年 1月 10日 講演, 八幡支部 | | コメント (0) | トラックバック (0)

新年は日中友好バザーで幕開け (2009/1/7)

新年は
日中友好バザーで幕開け

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 新春恒例の、福岡日中文化センターの日中友好バザーは1月7日から11日の間、開催されました。
 女性の洋服、時計、カセットラジオ、陶器、書籍、靴など500点を超えるすばらしい品々が寄せられました。
 熊本県に住む会員の藤竿洋子さんは、この日のために、1年をかけて近くの友達に呼びかけて、バザー品を山のように集め、車で持ち込まれました。
 当日は、初日から待ちわびたみなさんが、ドツと押し寄せ、お気に入りの品々を求めながら、日中談義もにぎやかでした。

2009年 1月 10日 福岡日中文化センター | | コメント (0) | トラックバック (0)

市民レベルで交流を重ねて行けば、戦争には至らない。 中国青年幹部海外研修団・林北京医院長と古田美貴子さん再会

市民レベルで交流を重ねて行けば、
  戦争には至らない
中国青年幹部
 海外研修団

・林北京医院長と古田美貴子さん再会

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 創立百年をこす中国「北京医院」の林嘉濱院長は、一昨年暮に病院の幹部職員たちを前に次のような"講話"をしたそうです。
 「今回の日本への研修旅行で、強く感じたのは、日本の一般市民との交流の重要性です。
 福岡でのホームビジットでは、ごく普通の家庭に訪問しましたが、そこの女主人は友達数人と一緒に、私たち中国人訪問客三人に心のこもった家庭料理を用意して、温かく歓待してくれました。畳の部屋での座り方、お辞儀の仕方も教えてくれました。美味しい食事をし、酒も入って、楽しいおしゃべりをし、中日両国の歌や踊りも教えあいました。
 ここでの数時間は、非常に楽しいものでしたし、また有意義なものでした。日本の一般市民が中日友好を本当に願っていることを実感できました。こうして市民レベルで、お互いの生活・文化を知り合い、友好交流を積み重ねて行けば、たとえ政府段階で一時的に対立を生じても、それが戦争という最悪の事態に至ることは無いと確信しました」

 中国衛生部直轄の「北京医院」は、二千五百以上の職員を擁し、新中国成立後から中央党幹部・政府部局長、および80万余りの健保参加者の医療を引き受けている名門病院です。林院長は、一昨年11月「中国青年幹部海外研修団」の一員として来福、研修活動の一環として、快くホームビジットを請け入れてくれた二日市の古田美貴子(協会会員)さん宅を訪問し、北京での再会を約束していました。
 昨年暮れに古田さんは、息子さん夫婦と一緒に北京へ行き、一年ぶりに林院長との再会を果たしました。病院からは日本での研修経験者の事務長・二人の看護科長と、通訳として中日友好協会理事でもある職員の申さんも同席して、美味しいご馳走を満喫しながら、楽しい話がいつまでも続き、お別れにはまたの再会を堅く約束しました。(三)

2009年 1月 10日 交流 | | コメント (0) | トラックバック (0)





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