人生に友好の歴史あり③ 「受講生は1万人 中国語教師で生涯現役」 吉武健児さん(福岡・80歳)

| 「一声はもっと高く、中国人には通じませんよ」張りのある声が教室に響きます。 半世紀以上も友好運動に携わり、その大半は中国語教師の吉武健児さん。 高低をはっきり発声する指導は定評、現役の教師です。 文化大革命の困難な時期に県連の事務局長を務め六十年の歴史を支えてこられました。 八十歳とは思えないその立ち居振舞いに、信念に裏付けられた生き方が表れています。 |
中国語で方言も聞く
一九三五(昭和十)年一月、宗像大社の近くで出生。
山西省へ輜重(運輸)部隊で出征していた父親が終戦前、戦友の遺骨を抱いて帰国。
当時五~六歳だった吉武さんは毎日、中国の話や中国語の方言などを聞いて育ちました。
その影響もあったのでしょうか、「貿易関係の仕事がしたい」と北九州大学の中国科に進みます。
故深谷さんと運命の出会い
その頃、大学に出入りしていた故深谷節子さんから中国語の歌などを教えてもらいます。
深谷さんは中国で終戦を迎え、解放軍の文工隊として各地を転戦、帰国後は日中友好運動を推進した大先輩。
二十四歳だった吉武さんはこの出会いをきっかけに協会小倉支部に入会。
国交回復前、全国で取り組まれた「京劇公演」の北九州開催に青春の情熱を燃やします。
大学では人気投票第一位
卒業後は万年筆会社の営業マンに。
毎週水曜日、仕事が一段落した夕方から福岡市天神の天満宮一角にあった協会事務所で中国語教室の講師を努め、終了後会社へ戻るという生活。
その後、仲間の紹介で九大生協の食堂で働きます。
当時福岡支部には三百人の青年部員がいて活動も活発、「恋の花」が幾つも咲き、吉武さんは初代書記長になりました。
一九六六年、三十歳で協会の専従職員に、文革の影響で会員が四分の一に激減するなど困難もありましたが、事務局長として五十歳までの二十年間、友好運動を最前線で支えます。
旧友の紹介で五十一歳から西南大で中国語の非常勤講師に、その後福大・中村大・九州国際大・九州共立大などで講師を務め受講生は約一万人。
西南大学園祭の「講師の人気投票」ではナンバーワンになりました。
切り開いてきた道一筋に
事務局長時代は帰国者の方から昼夜を問わず住居や仕事、家族の相談が寄せられ寸暇を惜しんで対応、「協会は心の拠り所」と語ります。
「国民的な友好が基礎」と自らの体験から得た信念に揺らぎはありません。
その不動の姿勢は吉武さんを知る人々に友好運動への希望と確信を与え続けています。
2015年 7月 5日 中国残留邦人帰国者 人生に友好の歴史あり | Permalink
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