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ゆっくり登ろう会 第111回例会 オルレ唐津コース 歩行11.2km 3月26日(金)

2016.2.14. ゆっくり登ろう会 会報No.111

第111回例会 オルレ唐津コース 歩行11.2km

ゆっくり登ろう会 第111回例会 オルレ唐津コース 歩行11.2km   3月26日(金)

 豊臣秀吉が築いた肥前名護屋城、お城の桜、波戸岬、サザエのつぼ焼き屋台と楽しいコースです。
 歩行11.2km、所要約5時間です。多めに時間を取ってゆっくり楽しみたいと思います。
 登山靴不要です。

スケジュール
 JR唐津駅9:15
<タクシー>道の駅
 桃山天下市着10:00
<オルレ>
 10:20~16:40
   (途中昼食)
 各武将の陣跡
 ⇒肥前名護屋城跡、桜
 ⇒波戸岬 ⇒終点、
 サザエのつぼ焼き屋台
<タクシー>
 JR唐津駅着18:00
<JR>
 JR唐津駅 18:19
 ⇒姪浜19:17
 ⇒ 天神19:32
運賃
 JR姪浜~唐津
  片道840円

       記
1.日時 3月26日(土)
2.集合 JR唐津駅 9:15
  地下鉄天神駅7:55⇒姪浜8:10
   ⇒JR唐津駅9:12
3.費用 3,000円程度(タクシー代)
4.申込期限 3月13日(日)
5.申込先 栁まで電話、FAX、メールで
    電話、FAX092-892-6089
    携帯 090-2500-6140


2016年 2月 18日 ゆっくり登ろう会 | | コメント (0) | トラックバック (0)

日中文化講座  「テレビ番組から 読み解く中国」  講師:吉松 孝 さん  3月4日(金)

日中文化講座

 「テレビ番組から
       読み解く中国」


とき : 3月4日(金)18:30
ところ : 福岡日中文化センター
会費 : 
700円
講師 : 吉松 孝 さん
(テレビ番組プロデューサー)

 日本と中華圏の都市を往復しながらテレビ・ラジオ、司会・コメンテーターとして活躍中。
 中国テレビ業界制作現場の舞台裏、番組内容から読み解き、中国の「現在」について紹介します。

 


【吉松孝さん略歴】

 日本のテレビ局時代、野球中継やサッカー中継の実況を担当、警察や裁判の担当記者、番組制作ディレクターなどを務めた。
 その後、台湾に渡り、台湾放送の旅番組「Mr.Hungry」の司会を担当。番組放送を重ねるにつれ、台湾各局からも要請がかかり、年代テレビや三立テレビの中国語トーク番組に出演。台北 市では台湾元総統の李登輝氏や高雄市・陳菊市長に取材も行った。
 また、中台の関係緊密化を受け、中国テレビ局からもオファー、杭州の浙江テレビ「Kitchen・Star」や南京・江蘇テレビのニュース番組にコメンテーターとして活躍している。

2016年 2月 13日 日中文化講座 | | コメント (0) | トラックバック (0)

人生に友好の歴史あり⑨  筋を曲げずに70年  中村正次さん(久留米・94歳)

第2次引揚げ船 団長として帰国 ~人生に友好の歴史あり⑨  筋を曲げずに70年  中村正次さん(久留米・94歳)


 「毎日午後六時には仕事を終え、晩酌は焼酎一合三勺をお湯割りで何杯かに分けて飲みます。それ以上は飲みません。毎朝家族四人分の朝食と週二回の夕食作りは私の当番。日記は四十年以上つけています」開口一番元気に語る一級建築士の中村さん。
 しゃんとした背筋、色艶よく生き生きとした眼の輝きに九十四歳という高齢は微塵も感じられません。
 中国で八路軍と出会い、独学で建築技術を習得。
 技師として新中国の建設にかかわり、帰国後は「当たり前のこと」として友好運動に貢献された人生を紹介します。

文学少年 明治・大正・昭和の
文学全集を読破
 一九二一(大正十)年二月、三瀦郡木佐木村(現大木町)で出生。
 先生をしていたお兄さんの影響もあり、小学校四、五年生で家にあった明治・大正・昭和の文学全集を読破、当時の八女工業学校で土木を学びます。
 徴兵検査を受けますが肋膜炎を患っており兵隊にはなれませんでした。
 十六歳で旧満州に渡り、十七歳で満州電々(株)ハルピン中央電信電話局に入社します。

八路軍と出会い、見つけた
土木事典で建築技術を勉強
 二十四歳の時ハルピンで終戦。ソ連軍が進軍し街は一時混乱しましたが八路軍と入れ替わり治安が治まります。
 八路軍の「日僑弁公室」の一員となり、各地へ移動。
 引揚げた日本人の宿舎から見つけた分厚い「土木事典」を毎日のように読み、建築技術を習得。
 八路軍とダム建設の測量をするなど、「仕事仲間」として貢献します。
 その後、中国東北総水利局設計部の建築課長を務めます。   

第二次引揚げ船団長に推挙
され帰国、舞鶴港に
 終戦八年目の一九五三年春、帰国するか、このまま現地で仕事を続けるか迷うことになりますが、帰国を支援する中国紅十字会から中村さんの人徳と貢献度が見込まれ、第二次引揚げ船団長に推挙され帰国することになります。
 四月に天津市近郊の塘沽を出港、引揚者千九百名を載せた高砂丸は同月二十一日に舞鶴港へ入港。帰国を果たします。

久留米で就職、支部活動に
全力、事務局長など歴任
 五月のどんたくの日、博多駅に到着。さっそく協会福岡県連創立の準備をしていた事務局の人を訪問。
 その後、久留米の日本ゴムに就職し久留米支部で活動します。
 当時の役員は支部長に久留米大学教授の鮫島國三氏、事務局長は九州大学の梶原充氏(いずれも故人)達でした。
 中村さんは定年後、事務局長として活動します。

 「十六歳から三十二歳まで、終戦を挟んで十六年間中国に。そこでの出会いと経験が友好運動にかかわる人生を決めた。当たり前のこと」と語る中村さんです。

 

2016年 2月 13日 人生に友好の歴史あり | | コメント (0) | トラックバック (0)

映画の魅力を語りあおう会  第4回テーマ映画 『紅いコウリャン』  2016年2月19日(金)

映画の魅力を語りあおう会  第4回テーマ映画  『紅いコウリャン』  2016年2月19日(金)

映画の魅力を語りあおう会  第4回テーマ映画

紅いコウリャン

解説;武井賢司

会場費:300円

日時:2016年2月19日(金) 18時30分~
会場:福岡日中文化センター

 

  1988年のベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞し、中国映画の中でも時代を画する作品の1つです。

「紅いコーリャン」
  監督 張芸謀(チャン・イー・モウ)
  主演 鞏俐(コン・リー)
       姜文(チアン・ウェン)

 20年代末の山東省で、18歳の娘がいやいや嫁いだ先は、造り酒屋の主だった。
 その嫁入りの輿を担いだ青年と劇的な恋に落ち、あるじが行方不明になったのを契機に二人は結婚。
 店を継ぎ、妻が匪賊にさらわれたりのトラブルはあるが、ますますの繁栄をみる。
 だが、やがてこの地域にも日本軍は侵略して、豊かなコーリャン畑を荒らし始める。
 彼らは神酒をあおり、抵抗に立ち上がる―

 映画は見るだけでも面白いですが、映画の時代背景やその国の文化、監督・俳優の事を知ると、より楽しむことができます。映画愛好家、武井賢司氏がテーマの映画について解説をします。お楽しみに。

2016年 2月 13日 イベント, 福岡日中文化センター | | コメント (0) | トラックバック (0)

人生に友好の歴史あり⑧  「日中と出会い 心豊かな人生に」 永田冨美恵さん (福岡・83歳)

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永田冨美恵さん
(福岡・83歳)

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「日中と出会い 心豊かな人生に」

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 「今の自分があるのは日中友好協会との出会いがあったからこそ、事務局で働けたことに感謝」視力・聴力が衰え不自由な生活ながら、開口一番こう語る永田さん。
 「四十七歳から六十七歳までの二十年間、日中友好運動にかかわり、多くのすばらしい人々と出会えたことは人生の支えとなった」。
 県連六十年の歴史の中で、事務局員として活動された人生を紹介します。


未熟児で出生 必死に育
ててくれた母の愛情に
感謝
 一九三二(昭和七)年、福岡市内で双子で出生。永田さんは未熟児でした。
 まもなく父親の里、宗像に転居。当時は医者もいなく、母親は八月でも永田さんを柳行李に寝かせ、湯たんぽを二つ入れて必死に育てました。
 五歳の時に父親が他界、母と子どもの四人で母の実家がある日田市へ。
 青春時代はうたごえ運動や演劇にかかわり結婚。夫の仕事の関係で四十二歳の時、福岡へ転居します。

吉武健児さんと出会い
日中友好協会事務局へ
 ある日、選挙事務所でビラ折をしていた時、吉武健児さん(当時県連事務局長、現中国語教師)との出会いが友好運動にかかわるきっかけになります。
 吉武さんから「電話番と帳簿付でいいから来ないか」と誘われます。事務所は「天満ビル」と聞き面接に。ビルらしき建物は見当たらず、旧福岡県庁前にある水鏡天満宮横の木造アパート二階の一室が事務所でした。ギシギシと音がする階段を上り八坪(十六畳)ほどの部屋で小林重光さん(故人)当時県連理事長の面接を受け働くことになりました。

全国大会に参加
平和友好運動に確信
 五十歳のころ、奈良で開かれた日中友好協会の全国大会に代議員として参加。各地で取り組まれている友好運動や帰国者支援活動、仲間づくりの熱心な取り組みに「目からうろこが落ちる」感動を覚えます。
 毎年十二月から三月までは中国語教室開講の宣伝です。電柱にポスター貼り、公園でビラ配りなどして募集。会議の資料作りや中国人留学生ソプラノ歌手の支援コンサート、県連や支部、日中文化センターの会計実務など多忙な業務をこなしながら、静吟会で詩吟を学び中国語の勉強もしました。
 日中文化センターの設立や天満ビルからリバーサイド、現在の事務所への移転など、六十年の歴史の重要な節目を事務局員として支えてきました。

市民に認知される団体
になってほしい
 「日中の様々な活動を陰になり日向になって支えてくれる人たちこそ本当の貢献者。運動の中身は素晴らしい、もっと市民の中に溶け込んでいってほしい」と熱く語る永田さんです。

2016年 2月 9日 人生に友好の歴史あり | | コメント (0) | トラックバック (0)

『平和は幸福の本 戦争は災難の根』 中国帰国者の会「平和祈願祭」開く 

『平和は幸福の本 戦争は災難の根』 中国帰国者の会「平和祈願祭」開く 

『平和は幸福の本 戦争は災難の根』 中国帰国者の会「平和祈願祭」開く 

 福岡県中国帰国者の会(木村琴江会長)は、8月15日、福岡市西区の市立西部霊園「中国帰国者乃墓」の前で、平和祈願祭を開きました。

 当日は射るような厳しい太陽のもと、県外からの参加者も含めて40名が故人を弔うとともに平和を誓い花を捧げました。
 祈願祭は同会が2002年に発足以来、毎年開かれています。

 木村琴江会長は「日本は中国やアジアを侵略し、多くの人々を殺害しました。家庭を壊し、妻と子を奪いました。私はまだ幼く、寒さと飢餓のため痩せこけ、死に直面しましたが、善良な中国の養父母が助けてくれました。そして、大人になるまで育ててくれました。この恩は永遠に忘れません。『平和は幸福の本。戦争は災難の根』です。私たちは安倍政権の戦争政策に断固反対し、「憲法」を「戦争憲法」に変えることに反対します。日本と中国が永遠に友好あるように、戦争は絶対反対です。」と平和への誓いを力強く語りました。

 墓は1994年に建立され、現在17柱が納められています。、
 今年も県連の松山盛利副会長、福岡支部の当時久保正弘副支部長、大井信明事務局長、名和田澄子理事が参列しました。

 

2016年 2月 5日 中国帰国者 | | コメント (0) | トラックバック (0)





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