人生に友好の歴史あり⑬ 命と平和守り 50年 ~県連会長10年 運動の先頭に~ 武田 正勝さん (福岡・80歳)


県連会長10年
運動の先頭に
| 「2・26事件の10日前に生まれ、終戦の時は9歳。 長崎に原爆が落とされた8月9日、故郷の串木野も空爆され町は全壊しました」病院の応接室で静かに語る武田正勝さん(80歳・元県連会長・武田病院会長)。 出生時や終戦時の出来事は、医師として人命を守る傍ら、帰国者支援や日中友好運動にかかわり福岡県連会長を務めた人生を方向づけたようです。 様々な出来事に真正面からかかわり、真実を求めてきた人生を紹介します。 |
三代目の医師業継ぎ
中国で針麻酔を習得
武田さんの生家は鹿児島県串木野市で代々続く医院。
初代の祖父武田平九郎さんが明治初めに小児科の医師として開業しました。
長崎大学医学部を卒業後、九大病院に外科医として勤務。 一時、串木野に帰り医院を引き継ぎました。
福岡に戻り55歳の時、武田病院を開院します。
ニクソン大統領が訪中、日中国交が回復した1972年当時、中国の針麻酔術が紹介されます。
さっそく医療研究のため知人と上海へ、華東病院や療養施設で学びました。
通訳で日本語教授の金正林氏から「日本語の教科書が不足している」と聞き、帰国後呼びかけます。
飯塚の教職員組合から大量の教科書を寄贈してもらい、大阪の中国領事館を通じて送付しました。
残留孤児の報道見て
帰国者の身元引受人
中国残留孤児の帰国が開始された1980年当時、西日本新聞で「身元引受人」を募る記事を見た武田さんは早速名乗り出ます。
九州ではただ一人。上京し帰国者の金さん一家と面会。福岡での住居の確保や職業を世話しました。
「戦争展」成功に全力
協会で近現代史を学ぶ
開院後、保険医協会の会長を務め平和運動にもかかわります。
長崎大出身の先輩が731部隊の細菌戦に医師として関わったことを知らされ、日中戦争とはどんなものだったかと自問自答。
65歳の時、日中友好協会で岩佐英樹氏(現県連副会長)が講義する「中国近現代史」の学習会に参加。
以後、保険医協会や友好協会が中心となった「平和のための戦争展」の開催に尽力しました。
会長引き受け、文化
行事成功の先頭に
2003年、67歳の時要請され会長に。
以後協会の様々な諸運動の先頭に立ち、前進座や中国の楽団・京劇の公演などにはチケット代をカンパ、帰国者の方を招待しました。
「中国には奥深い文化がある。それらを受け入れ今日の日本があるのも事実。 友好と平和を願う活動は生涯の仕事」と語る武田さんです。
2016年 6月 2日 中国残留邦人帰国者 人生に友好の歴史あり | Permalink
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