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熊本地震被災地支援 「高揚・劉福君 二胡チャリティーリサイタル」 7月30日(土) 福岡市立中央市民センター

熊本地震被災地支援
高揚・劉福君 二胡チャリティーリサイタル

■日時 : 7月30日(土)  開場 13:30  開演 14:00
■出演 : 高揚(二胡) 劉福君(二胡) 瀋兵(揚琴) 古閑恵美(ピアノ)
■会場 : 福岡市立中央市民センター
         福岡市中央区赤坂2丁目5番8号               TEL 092-714-5521
■会費 : 2,000円(当日 2,500円)
■主催 : 日本中国友好協会福岡県連合会
■共催 :劉福君二胡教室
■連絡先 :               日本中国友好協会福岡県連合会    092-761-0604
         劉福君二胡教室  096-353-2805

2016年 6月 22日 イベント, 交流, 二胡 | | コメント (0) | トラックバック (0)

映画の魅力を語り合おう会  第7回テーマ映画 「きれいなおかあさん」  6月24日(金)

映画の魅力を語り合おう会
    第7回テーマ映画 「きれいなおかあさん」

 2016年6月24日(金)18時30分
 福岡日中文化センター
 会場費 300円

監督 孫周(スン・ジョウ)
主演 鞏 俐(コン・リー)
    高炘(ガオ・シン)

 スン・リーインは男の子を持つ母親。
 しかしその息子ジョン・ダーは聴覚に障害を持っており、夫はそのことが原因で彼女のもとを去って行った。
 残されたスン・リーインは、改めて息子ジョン・ダーを立派に育てると決意するのだった。

 彼女はそれまでの安定した収入を諦めてでも、子どもとの時間をより多く持てる仕事をと、新聞配達を始める。
 そして、ジョン・ダーに対して言葉を教え、世界中のあらゆる音を彼に伝えようと心に誓う。
 だが、スン・リーインの思いとは裏腹に、聴覚障害を持つ子どもに対して、世間の風は決して温かいものではなかった—

2016年 6月 21日 イベント | | コメント (0) | トラックバック (0)

人生に友好の歴史あり⑭  弁護士活動・友好運動 共に半世紀 ~困難期に会長16年~ 林健一郎さん (福岡・80歳)

人生に友好の歴史あり⑭  弁護士活動・友好運動 共に半世紀 ~困難期に会長16年~ 林健一郎さん (福岡・80歳)

人生に友好の歴史あり⑭  弁護士活動・友好運動 共に半世紀 ~困難期に会長16年~ 林健一郎さん (福岡・80歳))


 何事も困難な時に引き受けるのは勇気が必要。 戦後スタートした日中国交回復運動。 今日まで66年間の道のりは平たんではありませんでした。
 60年代「文革」の勃発とそれを支持しなかった友好協会への攻撃や妨害が続き、中国側から関係断絶を宣言されました。
 72年、国交は回復しても事態は継続。 中国側が「文革」の誤りを認め「協会」への反省を表明した99年までは冬の時代。
 その間82年から98年までの16年間、福岡県連会長を務めた林健一郎さん。
 困難な時期、先頭に立って皆を励まし牽引した人生を紹介します。
Img_20160616_04

伯父の勧めで弁護士に
日中友好協会に加入
 林健一郎さんは1935(昭和10)年、福岡市の旧荒戸町で出生。
 九州大学経済学部を卒業しましたが仕事がなく裁判官をしていた伯父の勧めで弁護士をめざします。
 弁護士登録は30歳、福岡第一法律事務所に所属し沖縄返還同盟福岡支部長としても尽力。 72年に沖縄の祖国復帰が実現します。

福岡市長選に立候補
九州総評弁護団で幹事長
 80年、45歳の時、市長選に立候補。 市政革新を願う幅広い知識人や団体・個人・政党を結集した「福岡市政をよくする市民の会」を結成しての選挙運動でした。

 その後福岡第一法律事務所から独立し「林法律事務所」を開設。
 当時は高度経済成長と共に国労解体など、職場に合理化の嵐が吹き荒れた時代。 林さんは九州総評弁護団幹事長や国家公務員労働組合・高校や私立学校など、各教職員組合の顧問として労働問題の解決に奔走します。

交流ない時期に会長就任
「聖戦碑」抗議運動を推進
 82年、要請を受け県連第22回定期大会で会長に。 国交は回復していたとはいえ中国側と協会は関係が断絶していた時代です。

 林会長は新年のあいさつで「腰を落ち着けじっくりと…」と会員に呼びかけました。
 この時期日中文化センターも発足、交流がなくても中国の文化に親しみ理解を深めようと、きり絵や書道・静吟、太極拳など多彩な文化活動が広がりました。
 中国帰国者への援助や国会請願署名にもとりくみました。
 福岡市内の旧陸軍墓地(国有地)に「大東亜戦争は聖なる戦い」と侵略戦争を美化する慰霊碑が建立されている問題が発覚。 協会は碑文の書き換えを求め、福岡市に要請。 マスコミや国会でも取り上げられました。

広州のテレビ局が取材
友好・交流 回復の兆しに
 中国側と協会の交流が回復する直前、広州のテレビ局が林さんを取材。 協会が取り組む日中友好運動の内容が中国で放映されました。

 長江の如く滔々と流れる友好運動の歴史には未来があります。
 冬の時代に尽力された林健一郎さんの人生は深く刻まれるでしょう。

 

2016年 6月 16日 人生に友好の歴史あり | | コメント (0) | トラックバック (0)

人生に友好の歴史あり⑬  命と平和守り 50年 ~県連会長10年 運動の先頭に~ 武田 正勝さん (福岡・80歳)

人生に友好の歴史あり⑬  命と平和守り 50年 ~県連会長10年 運動の先頭に~ 武田 正勝さん  (福岡・80歳)

人生に友好の歴史あり⑬  命と平和守り 50年 ~県連会長10年 運動の先頭に~ 武田 正勝さん  (福岡・80歳)

県連会長10年
運動の先頭に

 「2・26事件の10日前に生まれ、終戦の時は9歳。
 長崎に原爆が落とされた8月9日、故郷の串木野も空爆され町は全壊しました」病院の応接室で静かに語る武田正勝さん(80歳・元県連会長・武田病院会長)。
 出生時や終戦時の出来事は、医師として人命を守る傍ら、帰国者支援や日中友好運動にかかわり福岡県連会長を務めた人生を方向づけたようです。
 様々な出来事に真正面からかかわり、真実を求めてきた人生を紹介します。

三代目の医師業継ぎ
中国で針麻酔を習得
 武田さんの生家は鹿児島県串木野市で代々続く医院。
 初代の祖父武田平九郎さんが明治初めに小児科の医師として開業しました。

 長崎大学医学部を卒業後、九大病院に外科医として勤務。 一時、串木野に帰り医院を引き継ぎました。
 福岡に戻り55歳の時、武田病院を開院します。

 ニクソン大統領が訪中、日中国交が回復した1972年当時、中国の針麻酔術が紹介されます。
 さっそく医療研究のため知人と上海へ、華東病院や療養施設で学びました。

 通訳で日本語教授の金正林氏から「日本語の教科書が不足している」と聞き、帰国後呼びかけます。
 飯塚の教職員組合から大量の教科書を寄贈してもらい、大阪の中国領事館を通じて送付しました。

残留孤児の報道見て
帰国者の身元引受人
 中国残留孤児の帰国が開始された1980年当時、西日本新聞で「身元引受人」を募る記事を見た武田さんは早速名乗り出ます。
 九州ではただ一人。上京し帰国者の金さん一家と面会。福岡での住居の確保や職業を世話しました。

「戦争展」成功に全力
協会で近現代史を学ぶ
 開院後、保険医協会の会長を務め平和運動にもかかわります。
 長崎大出身の先輩が731部隊の細菌戦に医師として関わったことを知らされ、日中戦争とはどんなものだったかと自問自答。
 65歳の時、日中友好協会で岩佐英樹氏(現県連副会長)が講義する「中国近現代史」の学習会に参加。
 以後、保険医協会や友好協会が中心となった「平和のための戦争展」の開催に尽力しました。

会長引き受け、文化
行事成功の先頭に
 2003年、67歳の時要請され会長に。
 以後協会の様々な諸運動の先頭に立ち、前進座や中国の楽団・京劇の公演などにはチケット代をカンパ、帰国者の方を招待しました。
 「中国には奥深い文化がある。それらを受け入れ今日の日本があるのも事実。 友好と平和を願う活動は生涯の仕事」と語る武田さんです。

 

2016年 6月 2日 人生に友好の歴史あり | | コメント (0) | トラックバック (0)





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