人生に友好の歴史あり⑯ 「帰国者の純真さに心打たれた」 ~残留孤児支援に尽力~ 福岡南法律事務所 椛島 敏雅さん (福岡・68歳)

| 「『会社にも人権がある』と労働者への思想差別をしている幹部の発言が、法律の勉強を始めたきっかけ」と語る椛島敏雅さん。 高卒後就職した中部電力(名古屋)で思想差別を経験。弁護士をめざし22歳で退職。尊敬していた先輩から「8時間働いていたんだから最低8時間は勉強しなさい」と励まされます。 帰福後、新聞配達をしながら通信教育で勉強。29歳で司法試験に合格、「強い者の味方だけはしたくない」とクレジット・サラ金被害者救済や帰国者支援に尽力された人生を紹介します。 |

甲子園初出場・初優勝の
三池工業高校を卒業
椛島さんは1947(昭和22)年10月、柳川で出生。三池工業高校電気科で学びます。在学中に同校野球部が夏の甲子園大会に初出場し初優勝。その活躍は疲弊していた旧産炭地の人々に元気をもたらしました。
中部電力での思想差別
弁護士めざすきっかけに
高卒後、中部電力(株)に就職。愛知県の知多火力発電所でアメリカ製発電プラントの運転勤務、一日三交代でした。
60年代後半、鉄鋼や電力など当時の基幹産業では職場の民主化を求める労働者に対し、様々な思想攻撃が行われていました。
椛島さんも上司に呼び出され「民青や労音には入るな、誰それとは付き合うな、彼らは発電所を止めようとしている。会社にも人権がある」と言われ、活動家のあぶり出しに遭遇。上司の強要を断りました。
自分に学問のないことを痛感し、早速「人権とは何か」という本を精読。これが弁護士をめざすきっかけとなりました。
友好協会が100万署名
「帰国者支援法」を実現 32歳で弁護士登録。故諌山博弁護士の福岡第一法律事務所に入所、日中友好協会にも加入します。
2004年から「中国残留孤児福岡訴訟弁護団」事務局長として帰国者支援に尽力。全国15か所で集団訴訟、協会は百万署名に取り組み支援。
07年12月「新支援法」を成立させ国と和解します。
「開拓団の人々は、国の『王道楽土』建設の呼びかけで関東軍の盾としてソ満国境に送り込まれ戦争の犠牲に。終戦後は『現地土着方針』で置き去りにされ、遅れて帰国した孤児たちは言葉の壁や生活苦に苛まれています。手厚い保護は当然」と語ります。
日本文化のルーツは中国
日中不再戦は人生の道標
「中国人養父母の慈愛の深さと艱難辛苦を体験している帰国者の純真さに多くのことを学びました。中国あっての日本文化の発展、日中友好と不再戦は人生の道標」と語る椛島敏雅さんです。
2016年 7月 10日 中国残留邦人帰国者 人生に友好の歴史あり | Permalink
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