人生に友好の歴史あり⑮ 「揺るがぬ交流の歴史 泰然と」 ~「文革」時も信念まげず~ 小沢 和秋さん (八幡・84歳)

小沢 和秋さん(八幡・84歳)
友好・革新運動に貢献 60年
「毎日30分以上歩き、エレベーター等は使いません。革新運動には健康体が大事です」さっそうと歩く姿に年齢は感じさせません。
24歳から八幡製鉄所の労組役員、31歳(1963年)から県会議員を三期、49歳(1980年)から72歳(2003年)まで衆議院議員を通算四期務めた小沢さんは、協会福岡県連初期からの会員です。
戦後日本の革新と平和、友好運動に全力を傾注し、「文革」時の混乱と分裂を体験した生き証人です。友好協会の「宝」とも言える小沢和秋さんの人生を紹介します。
大学でレッドパージ反対
闘争、ストライキで阻止
小沢さんは1931(昭和6)年9月15日愛知県稲沢市で出生。三日後には中国侵略の糸口となった柳条湖事件が勃発します。
子供がいなかった伯父さんの養子となり、東京で育ちます。
東京大学法学部へ進み、一年生の時にレッドパージに直面。民主的な教授が大学を追放されそうになり、小沢さんたちは学生ストライキで抵抗。闘いは全国の大学に広がりパージをくい止めました。
山田洋次監督は同期生
不破哲三さんは2年先輩
共に鉄鋼関連の組合運動
不破哲三(共産党中央委員会前議長)さんは同じ大学の二年先輩。卒業後不破さんは鉄鋼労連書記局、小沢さんは八幡製鉄所(現新日鉄)に就職。組合役員になります。
戦後日本の基幹産業の労働運動は鉄鋼労連や炭労、国労が中心部隊でした。二人は東京と北九州で共に鉄鋼労働者の権利や立場を守る為に活動します。
新中国建国に膨らむ期待
「文革」で役員から排除 1961年、五つの市が合併して北九州市に、革新吉田市長が誕生します。
1966年、吉田市長が中国に働きかけ「中国展覧会」開催を決定。成功に向けて「協力会」が発足し、要請を受けた県連は、常任理事の小沢さんら数人の役員を派遣します。
6月、中国で「文化大革命」が勃発。誤った路線が持ち込まれ、正常化に努力する小沢さんたちは「協力会」から排除されます。
「新中国の建国に喜びを感じ発展に期待していた頃。八幡支部も分裂し会員が激減した」と語ります。
「不再戦の誓い」が原点
腰を据えた友好運動を
「侵略戦争で中国の人々に多大な損害を与えました。償いのためにも友好は大切、日中不再戦は私の心からの願いです。数千年の交流の歴史と中国から文化を取り入れたことは事実。健全な認識を持ち腰を据えた友好運動が大事…」 困難を乗り越えた小沢和秋さんの言葉には千金の重みがあります。
2016年 7月 3日 人生に友好の歴史あり | Permalink
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