宮浦坑石炭記念公園
100人を超える参加者
日中友好協会大牟田支部、福岡県連合会、熊本支部主催の「三井三池炭鉱宮浦坑中国人殉難者慰霊碑除幕式・第1回慰霊祭」が8月4日、大牟田市宮浦坑石炭記念公園で100人を超える参加者が見守るなか行われました。
90歳の中国人原告が幕あけ
矢田正剛大牟田支部事務局長の司会で、中国人強制連行強制労働福岡訴訟原告団長の崔書進さん(90歳)と原告のご子息謝民さん、福田紀彦大牟田支部長、岩佐英樹福岡県連副会長、加藤修熊本支部長の五人が幕をあけました。
御影石に刻まれた44人の殉難者は20代、30代の若者ばかり。暴力的労働の果てに故郷へ帰ることもなく、異国の地に眠らなければならなかった無念さが伝わってくるようでした。
市の理解で慰霊碑が
主催者を代表して堀榮吉大牟田支部副支部長は、「『悲しみは国境を越え ここに眠る』碑文は日本語と中国語が刻まれています。アジアで2000万人が犠牲となり、日本人が300万人を超える死者を出したあの戦争は再びしないと誓った表れです。宮浦坑には574人が連行され44人が死亡、万田坑・四山坑には1907人が連行され591人が死亡しています。来年は萬田坑にも慰霊碑を建立する計画です。」と挨拶しました。
(※訂正:『万田坑には694人が連行され194人が死亡しています』とありましたが、『万田坑・四山坑には1907人が連行され591人が死亡しています』に訂正します。[2014年1月10日])
民間交流に期待
中国駐福岡総領事館の白涛領事は、「日本軍国主義者の侵略戦争により、日中両国民が多大な犠牲を被りました。歴史を鑑として未来に向き合うことが大事なことです。今年は日中平和友好条約締結35周年の記念すべき年です。日中友好の草の根の民間交流は日中関係の改善に大きな役割を果たします」と挨拶しました。
市長からメッセージ
大牟田市長からの「中国人殉難者の事は、大牟田市民にとっても忘れることができないものです。遠いこの地に眠る御霊の安らかなことを祈念します」とのメッセージを市企画総務部長の井田啓之さんが代読しました。
日中友好協会の努力忘れることはできません。
中国人原告団の康健弁護士は、「強制連行被害者と共に調査に来た時、その人は線路にしがみつき泣き崩れていました。中国人は人間扱いされなかったのです。日本政府と三井の会社の冷たさを感じます。戦後68年もたっているのにその事実を認めないのは理解できません。『人の言うことを聞くだけではない。行動を見てください』という諺があります。日中友好協会やみなさんの努力で慰霊碑が建立されたことは、私たちにとって忘れることはできません。日中両国民の友好が深まっていけば戦争はなくなると思います」と結びました。
殉難者の声が伝わってくる
東京から駆けつけた森田大三弁護士は、「裁判は終わっていますが、国と企業の不法行為をはっきりと認めました。西松建設とは和解が成立しました。今後は三菱や三井との交渉で解決すべきです。慰霊碑が大きな煙突の真下に建立されたことは感動しています。中国人殉難者の事、アジアの平和のことを考える慰霊碑となることでしょう。これから毎年慰霊祭が行われるたびに、過去を反省し、未来に何をなすべきか、日中の平和のために決意を新たにしていきましょう」と挨拶しました。
歴史を語る立派な遺産
福岡県連からは岩佐英樹、松山盛利両副会長、松尾武蔵理事長、星野信事務局長をはじめ、役員、会員が多数参加し、代表して岩佐副会長が武田正勝会長のメッセージを紹介した後「福岡県は北海道に次いで多く、5企業16事業所に6090人を連行し648人が死亡しました。中国人がどんな目にあったか。ちょっと休んだだけで斧で足を殴られ歩けなくなったり、暴力が当たり前だったのです。証言によると、1升の米を4斗の水で炊き、どんぶりには26粒の米が入っているのみで、収容所の周りの草はすべて食べつくされたそうです。歴史の真実を語る立派な遺産が建立されました」と語りました。
熊本でも建立を
弁護士の加藤修熊本支部長は、「熊本の荒尾市にも中国人殉難者がたくさんいます。この慰霊碑のごとく熊本でも建立する計画です。若い20代、30代の犠牲者の名が刻まれています。このようなことは2度と許されるものではありません」と挨拶しました。
日本語と中国語で碑文を
雨が降り出した中で碑文「悲しみは 国境を越え、ここに眠る」日本語文を大牟田支部の北岡恭子さんが。中国語文は通訳の耿春梅さんが朗読しました。
献花の後も雷鳴はとどろき、殉難者の叫びが腹の底まで響わたっているようでした。
最後に大牟田センター合唱団の浦田伊佐雄さんのアコーデォンの伴奏で「友情の誓い~東京ー北京」を合唱しました。
激しい雨の中をホテルへ移動して、招待した中国の方と交流し懇親を深めました。