人生に友好の歴史あり⑱ 「出会い・留学 人生の指針に」 野田一好さん (久留米・筑後支部事務局長)
「中国の大地に立ち、空気を吸い、交流すること。中国の人は一見よそよそしいが情が深く平和を望んでいる」。 自ら体験して語る言葉には含蓄があります。 37年間、国語の高校教師を務めながら日中友好運動にかかわってきた野田一好さん。 その生き方を30年以上貫いた背景には、笠実さん(元県連常任理事・全国理事、故人)との貴重な出会いと中国留学の経験があります。 中国人強制連行慰霊碑の建立や慰霊祭に協力し、若い留学生との「草の根交流」を進める野田さんを紹介します。 |
高校教師在任中 京劇・白毛女
に感動 協会に入会 野田さんは1942年1月、八女郡広川町で出生。 地元の高校卒業後、広島大学に進学。
国語教育学を学ぶ一方、原爆の恐怖に触れます。 数年間、広島の高校で教鞭を執った後、西宮の高校に転勤。
72年の日中国交回復の頃、京劇の「白毛女」などを鑑賞、中国語サークルに参加します。
福岡県の高校に戻り、日中友好の機運が高まる中、協会に入会。
中国から筑後市の縫製会社に来た若い研修生たちへ日本語を教えたりしました。
草創期に貢献された笠実
さんとの出会いが転機に 79年(昭和54)、黒木高校在任時、友好運動を通じて笠実さんと出会います。 野田さん37歳、笠さん73歳の時でした。
久留米出身の笠さんは39年(昭和14)、北支方面軍の宣撫官として従軍。 敗戦後、撫順戦犯管理所に収容されます。
そこでは、自己告白による「認罪」という教育方針が執られました。 「鬼から人間へ」と生まれ変わり、11年間の禁固刑満了により釈放され、61年に帰還。 草創期の日中友好運動に貢献されました。
「笠先生との出会いは、日中不再戦・平和友好の生き方に確信を与えてくれました。戦犯を人間として扱う中国側の真摯な態度を聞き敬服しました」
二年半 中国に語学留学
偏見無くし 交流に確信 退職後二年半、上海大学と上海体育学院に語学留学します。
「留学中、かつて軍国主義者が行った侵略行為で批判されることはありませんでした。情が深く、先祖を大事にする中国の人々の態度に偏見がなくなり、多面的に物事を見れるようになりました」
留学生と交流「将来、中国の
指導者に」と期待込め 久留米大学の中国人留学生との交流は10年以上に、映画会を催したり、留学生が中心となって行う春節の会や大学合同の忘年会に支部として参加します。
日本の文化を紹介しようと「大地の子」や武士の一分」などを上映しました。
「中国の若い人との交流を大事にしたい。日本の文化や考え方を理解し、将来国の指導者になってくれることが楽しみです」と嬉しそうに語る野田さんです。
2016年 10月 3日 中国人強制連行・強制労働事件久留米筑後支部 人生に友好の歴史あり | Permalink | コメント (0) | トラックバック (0)