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(続報)第60回福岡県連大会成功裡に終わる! ~ZOOM14ヶ所を含め55人が参加~

日中友好協会福岡県連合会
号外 2022年3月15日
日中国交回復50周年
第60回福岡県連大会成功裡に終わる!
~ZOOM14ヶ所を含め55人が参加~
(続報)大会発言 ⇒前半を読む

戦争は絶対ダメ
日高秀子(福岡・帰国者)さんは「ウクライナの戦争は帰国者の避難と重なってとても悲惨です。戦争は絶対起こしてはなりません。人間らしく生きたい、このままでは生活も心も苦しい。帰国者の声を国会に届けます。国会請願署名にご協力下さい。」
大学一(田川)さんは、ロシアのウクライナ攻撃に対して考えることを5点に纏めて報告。「①核兵器禁止条約を世界のすべての国が承認して署名する。②現在存在する各国の安全保障条約はすべて破棄する。国連憲章を守る。③世界の紛争は平和的に解決する。④世界のすべての国は戦争を放棄し、戦力を保持せず、交戦権を認めない。⑤基本的人権を尊重し、すべての人が平和のうちに生存する権利を認める。」

発言する稲津さん
コロナを乗り越えて
松永奉義(八幡)さんは「コロナ禍で行事が何もできなかったが、中国映画を見る会をとりくみ「山の郵便配達」を鑑賞して感銘を受けました。隣国中国との友好の為に頑張りたい。」
稲津克子(小倉)さんは「まんえん防止が解除されたので中国語講座を再開しました。宣伝紙を渡していた市民劇場のお友達に協力をお願いして新聞が増えました。」
中国人強制連行慰霊碑建立
松本正(飯塚)さんは「三菱マテリアルが飯塚炭鉱で強制労働させた中国人と和解が成立。現存する巻上機の土地155坪を購入して慰霊碑建立の実行委員会をつくって準備しています。その資金は、歴史人権平和基金管理委員会(三菱、弁護士、中国人当事者で構成)に申請中で間もなく承認される見通しで年内には完成する予定です。」
堀榮吉(大牟田)さんは「大牟田宮浦坑の慰霊碑建立から10年目を迎えています。宮浦石炭記念公園内の用地契約が10年となっており、今年は7月17日に予定しています慰霊祭を盛大に催して存続できるようにしたい。自分自身は90才となり、74人の帯封をつくって配布集金しています。若い協力者のお母様が入会され心強く感じています。」
「中国百科テキスト」は中国をまるごと知る
松尾武蔵(筑紫)さんは「中国の歴史、地理、文化、政治・経済の4分野の専門家が執筆した『中国百科テキスト』は中国を知る宝の資料です。日中両国民の相互理解を深める上で欠かせません。中国が改革開放以来急速な経済成長を遂げ、2022年には「高所得国」入りを果たし、さらに「共同富裕」を目指しています。中国の変化は「増補版」で補強されています。中国の正確な情報を知る為にみんなで学び合いましょう。『中国百科検定試験』は知ることの喜びを体験するいい機会です。挑戦しましょう。」
星野信(福岡)さんは「コロナの影響で両国民の交流が停滞しています。それでも、日中両国の若者は相互理解を深める努力を続けています。政治的な溝は広がっていますが、昨年の内閣府による世論調査では、18才から29才の若年層は『中国に親しみを感じる』との回答は41.6%で全体平均20.6%の2倍と毎日新聞は報じています。」

(左から)松尾さん、原田さん、
議長の岩佐さん、片山さん、
挨拶する稲村会長
大会のまとめ
原田祥昌事務局長はまとめで「13人の発言は支部活動の教訓になるものでした。中国総領事のオンラインでの挨拶は画期的でした。日中国交回復50周年を跳躍台にさらなる友好を発展させていきましょう。
ロシアによるウクライナ侵略は国連憲章をないがしろにするもので国連では非難決議が141ヵ国の賛成で採択されました。武力は許さない、田川支部の5つの決議は指針となるものです。
学生の報告は若者の実状を知るいい話でした。百科検定予備講座は中国を知るいい機会です。全国に発信されることになりました。
帰国者のとりくみを全面的に支えて要求実現をやり遂げましょう。コロナを乗り越えた支部活動が生き生きと語られたのは、今後の展望を示すものとなりました。
県連の前進を目指してともに奮闘しましょう。」と結びました。
2022年 3月 20日 福岡県連合会 イベント・講演 中国人強制連行・強制労働事件 中国残留邦人帰国者 交流 中国百科検定 | Permalink | コメント (0)
「慰霊碑建立に感謝」 中国大使 程永華氏 ~ 県連会長ら四名 中国人殉難者座談会に出席
「慰霊碑建立に感謝」 中国大使 程永華氏
県連会長ら四名 中国人殉難者座談会に出席
九月十八日、中国大使館主催の「中国人殉難者慰霊碑維持管理者座談会・懇親会」に招待され、田川から一番ヶ瀬宗幸県連会長と中村仁美支部事務局長、大牟田から堀榮吉支部副支部長、県連から星野信事務局長が出席しました。
全国から二十八ヶ所で慰霊碑を維持管理している代表五十七人が参加、熱心な報告が行われました。
主催者側は程永華大使、劉少賓・郭燕公使、汪婉大使夫人ら参事官と福岡・長崎・札幌・新潟・大阪・名古屋の各総領事館の代表が列席。
程永華大使は「中国人の殉難者を哀悼して慰霊碑を建立し、今日まで慰霊祭を続けてこられたみなさんに感謝します。 八十四年前の九月十八日は日本の軍国主義者が『柳条湖事件』をきっかけに中国に対する侵略を始めた日、歴史を振り返り平和を願う重要な日です。 正しい歴史感を銘記していかなければなりません。後世に伝えるために関係資料をまとめていきたい」と意欲を示しました。
一番ヶ瀬会長が田川の慰霊碑の取り組みを、星野事務局長が大牟田の同取り組みを報告しました。
懇親会は少ない時間でしたが福岡総領事館張梅副総領事と懇談して交流を深めました。
2016年 1月 13日 福岡県連合会田川支部 中国人強制連行・強制労働事件大牟田支部 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (0)
総領事館が試みた初めての企画 「留学生と国留学体験者の交流会」 10月30日 福岡中国総領事館
10月30日、福岡中国総領事館で、福岡総領事館の全スタッフと在九州の中国留学生と中国留学体験者の交流会がありました。
日本で初めて福岡総領事館が試みた企画です。
日中友好協会福岡県連からは、4人が参加しました。
日本人参加者は、中国人の世話をする人、北京放送の元アナウンサー、中国語の先生、友好運動をする人等多岐に渡りました。
第1部は体験交流会。
3グループに分かれて意見交換しました。
中国での体験を語る人、現在の仕事を話す人、未来の日中関係への思いを語る人など、話が非常にバラエティに富んで楽しいものでした。
第2部は、立食会。
参加者との交流に花が咲き、歌あり、踊ありで楽しいひとときを過ごしました。
最後は、日本人も中国人も老いも若きも壇上に上がり、全員で「四季の歌」を合唱。
別れを惜しんでか、更に繰り返して大合唱をしました。
大変高揚した有意義な交流会となり、同じ目線での交流という実にすがすがしい気持ちで領事館を後にしました。
2015年 12月 7日 福岡県連合会 交流 留学 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (0)
中国大使 程永華氏 「慰霊碑建立に感謝」 県連会長ら四名 中国人殉難者座談会に出席
九月十八日、中国大使館主催の「中国人殉難者慰霊碑維持管理者座談会・懇親会」に招待され、田川から一番ヶ瀬宗幸県連会長と中村仁美支部事務局長、大牟田から堀榮吉支部副支部長、県連から星野信事務局長が出席しました。
全国から二十八ヶ所で慰霊碑を維持管理している代表五十七人が参加、熱心な報告が行われました。
主催者側は程永華大使、劉少賓・郭燕公使、汪婉大使夫人ら参事官と福岡・長崎・札幌・新潟・大阪・名古屋の各総領事館の代表が列席。
程永華大使は「中国人の殉難者を哀悼して慰霊碑を建立し、今日まで慰霊祭を続けてこられたみなさんに感謝します。八十四年前の九月十八日は日本の軍国主義者が『柳条湖事件』をきっかけに中国に対する侵略を始めた日、歴史を振り返り平和を願う重要な日です。正しい歴史感を銘記していかなければなりません。後世に伝えるために関係資料をまとめていきたい」と意欲を示しました。
一番ヶ瀬会長が田川の慰霊碑の取り組みを、星野事務局長が大牟田の同取り組みを報告しました。
懇親会は少ない時間でしたが福岡総領事館張梅副総領事と懇談して交流を深めました。
2015年 12月 7日 福岡県連合会田川支部 中国人強制連行・強制労働事件 交流大牟田支部 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (0)
福岡県連結成60周年 日中友好 長江の如く滔々と流れよ [第53回定期大会]
協会福岡県連は10月19日、福岡市で第53回定期大会を開催しました。
出席した最年少の19歳の代議員を含め63人の代議員と6人の評議員は、「汗と涙と宝の結晶」が詰まった福岡県連結成60周年のあゆみを学び、日中友好協会の“今こそ出番”の情勢にふさわしく、1400人の峰をめざす方針を決めました。
大会後の「福岡県連結成60周年・県連版500号記念祝賀会」には会員や来賓など100人の盛大な式典となりました。
小西浩子さんの司会で中村博則氏(劉福君教室門下生)の二胡演奏で開幕。
「県連60年のあゆみ」をスライドを観ながら日中友好の歴史を振り返りました。
田中義教理事長の祝辞、駐福岡総領事館李天然総領事のメッセージ(張馳領事代読)のあと、九経連植松嵒常務理事の乾杯の音頭で交流が始まりました。
大塚勝利県議(公明党)の紹介のあと篠田清氏(日本共産党福岡県委員会副委員長)が挨拶しました。
本部指導員による太極拳の表演、西川義男氏のハーモニカの演奏、帰国者の「やんこ踊り」や九州産業大学の「中国武術」の演武は華を添え、「美しい心は世界をつなぐ」と桧和田衛青年部長、能美友吏子さんの伴奏で「東京―北京」を全員合唱して幕を閉じました。
2014年 11月 27日 福岡県連合会 中国残留邦人帰国者 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (0)
「尖閣問題の話合いによる解決を求める県民へのアピール」

13氏が連名で発表 記者会見
福岡県連は2月10日、県庁記者室において記者会見を行い石村善治福大名誉教授、馬奈木昭雄弁護士、木村琴江帰国者の会会長の同席のもと、県内の著名な13氏が呼びかけた「尖閣問題の話合いによる解決を求める県民へのアピール」を発表しました。
この署名は「一衣帯水」の福岡の地にとっては、もっとも切実な問題です。福岡県内では7市町村が中国各都市との姉妹都市が結ばれ民間交流が行われています。全国では338ヶ所に広がっています。
一番ヶ瀬宗幸県連会長は「尖閣問題は複雑な問題ですが、県民へのアピールをテコに話合いによる解決を求める世論を広げていきたい。」と情熱をこめて語りました。
石村善治福岡大学名誉教授は、「この博多港から出兵していった歴史を思い起こします。銃を取って侵略していった加害の歴史を忘れることができません。昨今の動きは再び戦争への道へ進んでいるように感じる」とアピールの重要性を強調しました。
馬奈木昭雄弁護士は「憲法前文にあるように、政府の行為で戦争が起こされる。それを止めるのは国民です。日中両国民が理解し合えれば戦争を止めることができる。今、わたしたち国民が声をあげていきたい。」と述べました。
木村琴江帰国者の会会長は「中国も日本も私たちの祖国です。戦争は私たち国民を苦しめます。両国民は仲良くしてほしい」と体験を語りました。
松尾武蔵理事長は「全国では賛同者が7590人となりました。県内の自治体で田川市、大宰府市、筑紫野市、大野城市の各市長が賛同していただいています。さらに県民の中に3600人の賛同者に広げていく方針です」と決意を語りました。
福岡県内13氏の紹介
安東毅(九州大学名誉教授) 石村善治(福岡大学名誉教授) 稲村晴夫(弁護士) 一番ヶ瀬宗幸(日中友好協会福岡県連合会会長) 小沢和秋(元衆議院議員) 木村琴江(九州地区帰国者の会会長) 新谷肇一(有明高専名誉教授) 武田正勝(医師) 蔦川正義(佐賀大学名誉教授) 馬奈木昭雄(弁護士) 三輪俊和(健和看護学院学院長) 村上陽三(九州大学名誉教授) 山田真一郎(医師)
2014年 3月 9日 福岡県連合会 中国残留邦人帰国者 交流 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (0)
「三井三池炭鉱宮浦坑中国人殉難者慰霊碑」除幕式 過去を反省し、日中平和のため決意を新たに
日中友好協会大牟田支部、福岡県連合会、熊本支部主催の「三井三池炭鉱宮浦坑中国人殉難者慰霊碑除幕式・第1回慰霊祭」が8月4日、大牟田市宮浦坑石炭記念公園で100人を超える参加者が見守るなか行われました。
90歳の中国人原告が幕あけ
矢田正剛大牟田支部事務局長の司会で、中国人強制連行強制労働福岡訴訟原告団長の崔書進さん(90歳)と原告のご子息謝民さん、福田紀彦大牟田支部長、岩佐英樹福岡県連副会長、加藤修熊本支部長の五人が幕をあけました。
御影石に刻まれた44人の殉難者は20代、30代の若者ばかり。暴力的労働の果てに故郷へ帰ることもなく、異国の地に眠らなければならなかった無念さが伝わってくるようでした。
市の理解で慰霊碑が
主催者を代表して堀榮吉大牟田支部副支部長は、「『悲しみは国境を越え ここに眠る』碑文は日本語と中国語が刻まれています。アジアで2000万人が犠牲となり、日本人が300万人を超える死者を出したあの戦争は再びしないと誓った表れです。宮浦坑には574人が連行され44人が死亡、万田坑・四山坑には1907人が連行され591人が死亡しています。来年は萬田坑にも慰霊碑を建立する計画です。」と挨拶しました。
(※訂正:『万田坑には694人が連行され194人が死亡しています』とありましたが、『万田坑・四山坑には1907人が連行され591人が死亡しています』に訂正します。[2014年1月10日])
民間交流に期待
中国駐福岡総領事館の白涛領事は、「日本軍国主義者の侵略戦争により、日中両国民が多大な犠牲を被りました。歴史を鑑として未来に向き合うことが大事なことです。今年は日中平和友好条約締結35周年の記念すべき年です。日中友好の草の根の民間交流は日中関係の改善に大きな役割を果たします」と挨拶しました。
市長からメッセージ
大牟田市長からの「中国人殉難者の事は、大牟田市民にとっても忘れることができないものです。遠いこの地に眠る御霊の安らかなことを祈念します」とのメッセージを市企画総務部長の井田啓之さんが代読しました。
日中友好協会の努力忘れることはできません。
中国人原告団の康健弁護士は、「強制連行被害者と共に調査に来た時、その人は線路にしがみつき泣き崩れていました。中国人は人間扱いされなかったのです。日本政府と三井の会社の冷たさを感じます。戦後68年もたっているのにその事実を認めないのは理解できません。『人の言うことを聞くだけではない。行動を見てください』という諺があります。日中友好協会やみなさんの努力で慰霊碑が建立されたことは、私たちにとって忘れることはできません。日中両国民の友好が深まっていけば戦争はなくなると思います」と結びました。
殉難者の声が伝わってくる
東京から駆けつけた森田大三弁護士は、「裁判は終わっていますが、国と企業の不法行為をはっきりと認めました。西松建設とは和解が成立しました。今後は三菱や三井との交渉で解決すべきです。慰霊碑が大きな煙突の真下に建立されたことは感動しています。中国人殉難者の事、アジアの平和のことを考える慰霊碑となることでしょう。これから毎年慰霊祭が行われるたびに、過去を反省し、未来に何をなすべきか、日中の平和のために決意を新たにしていきましょう」と挨拶しました。
歴史を語る立派な遺産
福岡県連からは岩佐英樹、松山盛利両副会長、松尾武蔵理事長、星野信事務局長をはじめ、役員、会員が多数参加し、代表して岩佐副会長が武田正勝会長のメッセージを紹介した後「福岡県は北海道に次いで多く、5企業16事業所に6090人を連行し648人が死亡しました。中国人がどんな目にあったか。ちょっと休んだだけで斧で足を殴られ歩けなくなったり、暴力が当たり前だったのです。証言によると、1升の米を4斗の水で炊き、どんぶりには26粒の米が入っているのみで、収容所の周りの草はすべて食べつくされたそうです。歴史の真実を語る立派な遺産が建立されました」と語りました。
熊本でも建立を
弁護士の加藤修熊本支部長は、「熊本の荒尾市にも中国人殉難者がたくさんいます。この慰霊碑のごとく熊本でも建立する計画です。若い20代、30代の犠牲者の名が刻まれています。このようなことは2度と許されるものではありません」と挨拶しました。
日本語と中国語で碑文を
雨が降り出した中で碑文「悲しみは 国境を越え、ここに眠る」日本語文を大牟田支部の北岡恭子さんが。中国語文は通訳の耿春梅さんが朗読しました。
献花の後も雷鳴はとどろき、殉難者の叫びが腹の底まで響わたっているようでした。
最後に大牟田センター合唱団の浦田伊佐雄さんのアコーデォンの伴奏で「友情の誓い~東京ー北京」を合唱しました。
激しい雨の中をホテルへ移動して、招待した中国の方と交流し懇親を深めました。


悲しみは 国境を越え ここに眠る
去る世界大戦の末期において、日本政府は国内の労働力不足を補うために、当時侵攻していた中国大陸で
中国人捕虜や住民などを強制的に連行しました。中国人約4万人が強制連行され、炭坑、港湾や土木作業に従事させられ、過酷な労働や事故、病気等によって約
7千人が無念の死を遂げられました。
三井三池炭鉱にも萬田坑や四山坑、宮浦坑などに2481名が連行され、635名が尊い命を奪われました。船中死亡95名は水葬されました。
この三井三池炭鉱宮浦坑では、574名が連行され、強制労働に従事させられ、そのうち44名が亡くなられました。
生きて母国へ帰還できなかった無念の思いを考える時、戦争による強制連行・強制労働は人間として許されない罪悪であります。
私たちは今こそ中国人殉難者に心から謝罪し、この過ちを繰返さない為に、あなた方のみ霊の前に永久不戦、恒久平和の誓いと日本と中国の友好を進めることを決意し、ここに「三井三池炭鉱宮浦坑中国人殉難者慰霊碑」を建立いたします。
2013年7月7日
2013年 8月 16日 福岡県連合会 中国人強制連行・強制労働事件大牟田支部 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (0)
「領土問題は話し合で解決を」 [中国中央テレビ]で発言 星野信県連事務局長 「東北三省平和の旅」旅行団
「領土問題は話し合で解決を」

[中国中央テレビ]で発言
星野信県連事務局長
「東北三省平和の旅」旅行団
9月14日から20日まで、八幡支部と県連共催の「東北三省平和の旅」が行われました。
折しも日本の「魚釣島国有化」に抗議する中国全土での世論が、一部暴徒化する険悪な状況の中での旅行でしたが、全員無事に予定通り帰国しました。
この旅の途中、ハルピンでも瀋陽でも中国TV局の取材を受け、星野さん・三隈さんがそれぞれインタビューに答え、その模様が中国全土に繰り返し放映されました。
星野さんは日中友好協会全国常任理事として紹介され「領土問題の紛争は武力では解決できない。外交的な話し合いによってのみ解決しうる。これは、われわれが20世紀の歴史から学び取った教訓です」と、諄々と中国人民に直接語りかけるような星野さんの話が印象的でした。
2012年 10月 27日 福岡県連合会 交流 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (0)
命の大事さ 復興を誓い 新たな一歩 東日本大震災・福島原発事故から1年目
東日本大震災福島原発事故から1年目の3月11日、震災でなくなった多くの人々を弔う慰霊祭や「さよなら 原発」の集会が全国各地で開かれました。
福岡県内の北九州、福岡、大牟田、久留米、直鞍、嘉飯、田川の地では、「命の大事さ」「復興」を願う団体・個人が参加する実行委員会主催の「原発NO」の集会がとりくまれ、参加者は9000人を超えました。
協会県連合会の各支部も会員に参加をよびかけ、支部旗などを掲げて、積極的に参加しました。 昨年の被災直後、「祖国に恩返しをしたいと」いち早く募金活動にとりくんだ中国帰国者のみなさんも、木村琴江会長(協会福岡支部理事)を先頭に「さよなら原発」の横断幕を持って参加しました。福岡では集会後、九電本社までパレードをし、“人間の鎖”で本社ビルを取り囲みました。
2012年 4月 1日 福岡県連合会 中国残留邦人帰国者 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (0)
「県労連旗開き」に100人超える参加者
「県労連旗開き」に100人超える参加者
「雇用と仕事の確保・賃上げ・社会保障の拡充で内需中心の経済、震災復興を」と福岡県労働組合総連合の旗開きが1月12日、都ホテルで百人を超える人々が労働組合、各団体から、参加して開かれ、協会県連から松山盛利副会長、星野信事務局長が参加しました。
梅野肇議長は「震災復興が課題。国民への負担ではなく、大企業がため込んでいる260兆円もの内部留保を復興に生かす世論作りが求められている」と開会あいさつ。
石村善治福大名誉教授の乾杯の音頭に続いて友好団体の一員として日中友好協会が紹介されました。
星野事務局長は「日米同盟のもと、尖閣列島周辺に緊張状態が続いていますが、軍事ではなく、日中両国民の草の根の交流で友好を深め、東シナ海を平和の海に」と連帯のあいさつを述べました。
2012年 1月 20日 福岡県連合会 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (0)
県中小企業経営者協会「名刺交換会」に出席
県中小企業経営者協会「名刺交換会」に出席
1月5日、西鉄グランドホテルで行われた福岡県中小企業経営者協会主催の「名刺交換会」に招待され、武田正勝会長と星野信事務局長が出席しました。300人を超す集まりで中小企業の経営者の話を聞く機会となりました。
38年の歴史をもつ中経協は「個性を生かし、つながる力を発揮しよう」「地球的視野で考え、地域社会で行動しよう」と宣言して活動している経営者団体で、その意気込みを感じました。
2012年 1月 20日 福岡県連合会 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (0)
県弁護士会、市丸会長ら三役が就任挨拶で来所 (2010/3/24)
県弁護士会、市丸会長ら三役が就任挨拶で来所
このほど新たに福岡県弁護士会の役員に就任された市丸信敏会長、岡崎信介副会長、小林洋二副会長、井上正義事務局長の4名の弁護士の方が、3月24日、県連事務局を訪問されました。県連からは武田正勝会長、松山盛利事務局長、大井信明次長、星野信常任理事の4氏が応接しました。
県弁護士会は「不安を安心に」をキャツチフレーズに「どんな相談」にも県内各地の「法律相談センター」で応じています。
県連とは中国人戦争被害者や残留日本人孤児支援、大連律師協会との交流提携祝賀会の出席や日中友好協会法律相談会をとおして弁護士のみなさんとの交流が深まっていきました。
2010年 3月 27日 福岡県連合会 中国残留邦人帰国者 | Permalink | コメント (2) | トラックバック (1)
福岡県連版四百号を迎える 日中友好の大事な宝

日中友好新聞「福岡県連版」は、会員・支部と県連をつなぐニュースとして、本部新聞(年間32回発行)に併せて発行を目指しがんばってきました。
10年前の県連版2000年1月15日号(通算113号)は「日中交流の楽しい経験を」と、新年にあたって、藤井哲(当時)会長があいさつをしています。中国との交流が断絶して以降34年ぶりに、前年10月に協会との間に、交流が正常化した直後のことです。2カ月後の12月には、北川栄市元副理事長(現顧問)と松山盛利事務局長が、県連代表として、早速、北京を訪れ、北京師範大学幹部などと交流を行い、大歓迎を受けて、300人もの集会で、「協会は創立以来一貫して日中不再戦の立場で両国民の友好のために活動を続けてきた」と「歴史と伝統」の証である県連の旗を掲げながら挨拶し、大きな拍手を浴びました。
「中国を訪れる日本人は多いが、侵略戦争をキチット謝罪して友好を進めようと語った日本人はいなかった」と感想が寄せられ、また、挨拶と交流の状況が中国国内のテレビで報道されたと、県連版は掲載しています。
この中国との正常化から約10年県連版は287回(月平均2・5回)継続して発行されてきました。
県連創立当時(1951年頃)から、幾多の困難の中でも、故小林重光、故岡本征治、吉武健児元事務局長らの奮闘によつて、「県連版」の灯は消えることなくつづいていました。 この先輩たちの血のにじむような努力の基盤の上に、現在の県連版はあります。
コンクール 連続入賞
また、協会の全国機関紙コンクールでは、最優秀賞などに連続して、表彰を受けています。更に、組織面でもこの10年、県連は大きく発展し、この8年間増勢を続けてきました。そして、日中友好・平和が世界にこだまする今日、県連は「県内すみずみまで、日中友好を」を目指して、4年間で「2千名」の県連を築くためにがんばっています。
「県連版」は、「支部ニュース」とともに、日中友好の輪を県民の中に広げる上でも、「会員と県連をつなぐ絆」としても大事な役割をもつています。「県連版が待ち遠しい」「もっと支部のニュースや会員の声を載せてほしい」「広く県民の中に新聞を」などと期待と関心が強く寄せられています。
みなさん、県連版・支部ニュースは日中友好協会の大事な大事な宝です。
今後とも、みなさんのご協力と忌憚のないご意見や通信・投稿を寄せてくださることを心からお願いします。
2010年 1月 11日 福岡県連合会 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (0)
大牟田市に中国人殉難者の碑建立を申し入れ 協会福岡県連・ 熊本支部 (2009/12/18)
碑建立を申し入れ
12月18日、福岡、熊本両県の協会代表7名が大牟田市役所を訪れ、旧三井三池炭鉱宮浦坑跡の「宮浦石炭記念公園」の一角に、世界大戦の末期において中国より強制連行された労働者が苛酷な労働条件の中で労働災害や病気などで無念の死を遂げた殉難者の霊を鎮魂・慰霊する「中国人殉難者の碑」の建立について申し入れを行いました。
市からは中尾昌弘企画総務部部長を始め4氏が応対し、約1時間懇談しました。
最初に、原博道福岡県連副会長より申し入れ文書を読み上げ市側に手渡しました。
つづいて全員の自己紹介の後、堀榮吉大牟田支部副支部長から申し入れに至った経過を報告し、市の協力をお願いしました。
懇談は、市が中国・大同市との姉妹都市提携を生かした積極的な友好交流の取組みや、先日来日した中国の習近平副主席のレセプションに古賀道雄市長が出席頂いたことに協会として謝意を表明しました。
これに対し、市が先般、第8次訪中団を組織し28名が大同市を訪問したこと、新年の1月には中国から大同市の市長を始めとする訪日団が大牟田市を訪れる予定であること、環境をまもる技術研修など人的交流もかってなく盛んになってきたことなどが話されました。
また、申し入れについては、「市としては過去の歴史を直視し負の部分も含めて伝えていくことが大切であるという立場です。申し入れの趣旨は理解できます。市長にお伝えします。」と態度表明があり、原副会長から「碑建立は中国側からの要求にもなっており全国的に取り組まれつつあります。日本における中国人強制連行強制労働の重大な現地である大牟田市で是非実現出来るよう御尽力をお願いしたい。」と重ねて要望しました。
当日は、福岡県から矢田正剛大牟田支部事務局長、熊本県から上妻四郎県支部長を含めて3名と協会と大牟田市の懇談に調整に尽力していただいた高口講治大牟田市会議員も同席しました。
なお、懇談後、記者会見を行いNHKをはじめテレビ、ラジオ、新聞各社が「申し入れ」の内容や強制連行問題について一斉に報道しました。 (矢)
2009年 12月 27日 福岡県連合会 中国人強制連行・強制労働事件大牟田支部 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (0)
県連 理事会と強制連行問題対策委員会のお知らせ (2009/12/6)
■日中友好協会福岡県連合会
会場はすべて県連事務所
第1回常任理事会
◎日時 12月6日(日)13時30分
第1回理事会
◎日時 12月6日(日)15時30分
第2回強制連行問題対策委員会
◎日時 12月6日(日)10時30分
2009年 11月 19日 福岡県連合会 中国人強制連行・強制労働事件 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (0)
矢崎本部事務局長の講演に感銘 第48回 協会福岡県連合会大会開く (2009/10/18)
福岡県連合会は10月18日、福岡市中央市民センターで、第48回定期大会を開きました。
大会は、来年6月の全国大会までに、新たに2百名の新しい仲間を迎えるために、「確信がもてる大会に」という位置づけで開かれました。
このため、特別に企画した矢崎光晴事務局長の講演や強制連行問題をとおして全県的に友好運動を進める特別報告、また、諸分野にわたっての発言によつて、「協会の歴史と活動の意義がよくわかり本当によかった」「生き生きとした大会だった」と参加者が確信と情熱を強めるすばらしい大会となりました。
午前中は、矢崎本部事務局長が「日中友好運動の誇りと確信、そして展望・変革の力を持つ国民的な運動へ」と題して特別講演を行いました。
氏は、日中友好運動の60年を振り返り、戦前戦中の反戦平和活動、協会創立前後の情勢、中国の干渉との闘いと教訓、関係改善後の活動の発展と現状と課題について、70分にわたり、豊富な資料を使いながら、講演を行いました。
特に 「国民運動としての日中友好運動」については、中国の存在、歴史認識問題、「社団日中友好協会」てとの関係、民主連立政権の下での活動、変革の力を持つ協会づくりの話には、みんな、瞬きもせず、熱心に耳を傾けていました。
矢崎氏は最後に「日本を変え、中国を変え、アジアと世界を変える運動が、日中友好運動です。
生命と人間を大切にする社会を作るためにも協会の存在と活動の意義は大きなものがあります。
2万人協会に向けて福岡の奮闘を心から期待します」と講演を結び、会場から大きな拍手が起こりました。
講演後、チベット問題などについて6人の質問に矢崎氏はひとつひとつ丁寧に答えました。
午後は、大会となりました。
武田正勝会長の挨拶、議長に星野信、安永亮両氏を選出し、この1年間の活動の総括、新年度の活発な運動方針、財政の決算、予算及び人事を討議し、満場一致で承認しました。
大会は、13名の代議員から中国人強制連行事件と友好運動、青年学生が参加する運動、帰国者支援運動、班つくりの重要性、会員が増えると活動が豊かになるという体験、戦争展の一般市民の参加が増えた、組織の弱点を克服するために事務局体制の強化、協会の中国語講座の魅力、日ごろから会員を大事にすることが協会発展に繋がることなど、短い討議時間にかかわらず多岐にわたる心打つ発言があいつぎました。
役員改選では、6名の新任の役員を含め、34名が選ばれました。
最後に「県連は2千名の組織確立に向かって着実に前進する」との大会宣言を発表し、日中友好運動の更なる前進を誓い合いました。
大会終了後、矢崎本部事務局長、武田会長も参加して懇親会を開き交流を深めました。
2009年 11月 14日 福岡県連合会 中国人強制連行・強制労働事件 中国残留邦人帰国者 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (0)
荒尾市の議会・日中友好議連、教育委員会の申し入れ 強制連行殉職者の碑建立を (2009/10/5)
10月5日、福岡・熊本両県の友好協会代表5名は熊本県荒尾市を訪れ、万田坑跡地の一角に「中国人強制連行殉難者の碑(慰霊塔)」を建立してもらうよう前畑淳治市長に6月10日、申し入れをしていた件について、この実現を議会などそれぞれの立場から支援いただきたいと要請を行いました。
市議会からは島田稔議長(日中議連会長)、日中友好議員連盟からは副会長の蒲池哲夫議員、事務局長の山田礼二議員が応対しました。
最初に、上妻四郎協会熊本支部長から島田議長に申し入れ書を手渡し、堀榮吉大牟田副支部長が申し入れ文書を読み上げ、再度の申し入れに至った経過を報告し、協力をお願いしました。
意見交換の中で「万田坑が最も多くの中国人殉難者を出しているし、慰霊碑などで供養していくことは重要なことである」「碑の建立場所については旧万田坑跡の文化遺産登録の関係もあるので周辺の公園なども含めて工夫がいるのでは」「朝鮮人殉難者の供養などをどうするか」など活発に意見交換が行われました。 議会と日中議連の代表からは、実現出来るように、行政側、市長とも意見交換し知恵も出して検討してみたいとの態度表明があり、協会側から是非とも実現出来るよう力を貸してくださいとお願いしました。
引き続き、荒尾市教育委員会を訪れ、同趣旨の申し入れを行い、平島廣幸次長、勢田廣行社会教育課々長補佐が応対し懇談しました。
この申し入れには、ほかに協会側から熊本県支部の全国理事・釘埼昭一、事務局長・坂本康男、大牟田支部事務局長・矢田正剛の各氏が参加しました。また、荒尾市会議員・小川尭利氏も同席しました。 (Y)
2009年 10月 9日 福岡県連合会 中国人強制連行・強制労働事件大牟田支部 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (0)
世界文化遺産登録を目指す万田坑跡地に「中国人連行者殉難碑」建立を要請 (2009/6/20)
6月10日、福岡、熊本両県の協会代表6名は熊本県荒尾市を訪れ、世界文化遺産への登録を目指し周辺整備がすすむ三池炭鉱旧万田坑跡地の一角に「中国人強制連行殉難者の碑(慰霊塔)」を建立の要請を行いました。
荒尾市からは前畑淳治市長と吉永一夫副市長が応対し、約50分間懇談しました。最初に、文書を読み上げたあと熊本支部長の上妻四郎さんから前畑市長に申し入れ書を手渡しました。
大牟田支部事務局長の矢田正剛さんが申し入れに至った経過を報告し、荒尾市側の協力をお願いしました。前畑市長は、「あなたがたの申し入れの趣旨は、よく理解できます。市としてもこれまで、中国との交流に力を入れその成果も上がっています。過去において中国人強制連行者の問題があった事実を踏まえ、申し入れにどう応えていけるか検討させて頂きたい。」と答えました。
懇談の中で、福岡県連顧問の北川栄市さんから大宰府の戒壇院に建立した「日中不戦の碑」について「訪れた中国人は感銘を受けていますし、日本人も中国との友好の大切さを再確認しています。」と経験を紹介しました。金子正道顧問からは、中国における孫文の高い評価にふれ「荒尾市が、孫文と交流のあった宮崎兄弟生家を大切に保存し、資料館として公開されていることに心から感謝します。」と述べました。上妻熊本支部長から「荒尾市は、荒尾梨を中国で普及するために努力されていると聞いていますが。」という質問に前畑市長は、荒尾梨普及の苦労話や経済交流などにも触れ「中国の福岡総領事は着任されたら荒尾に来ていただき講演をお願いしていますが、その時は宮崎兄弟生家にも立ち寄ってもらっています。荒尾市に来た中国の子供たちも宮崎兄弟生家を見学しています。」と中国との交流などについても話が弾みました。 (矢)
2009年 7月 8日 福岡県連合会 中国人強制連行・強制労働事件大牟田支部 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (0)
創立60周年・2万人協会実現に向け前進を 第58回全国大会終わる (2009/6/13,14)
第58回全国大会は6月13日、14日、280名が参加して東京で開かれました。分散会も含めて148名が積極的に発言し、活発な討議となりました。
大会は、来年協会創立60周年という節目を友好運動の飛躍の年とし、2万人組織を早い時期に迎えるために奮闘することを誓い合いました。
大会には、福岡からは、14名の代表が参加し、全体会議、分散会での発言、大会役員などで大会の成功に貢献しました。大会では、福岡県連各支部の奮闘が、多くの参加者の注目を浴び、全国の運動に大きな励ましを与えました。そして、表彰では優秀組織をはじめ数々の受賞をしました。
県連代表団は大会一日目の終了後、全員が出席して会議を開き、2日目の分散会参加のための意思の統一を行いました。
夜には、恒例の祝賀会が開かれました。会では、福岡と交流が深い、モンゴル民謡歌手のサランマンドホさんが歌を披露し、アンコールの掛け声がいっせいに上がるほど盛り上がりました。北京風雷京劇団の松岩団長も北京からわざわざ姿を見せました。
大会参加者は2日間の会議を終え、支部にもどり早速新しい気持で大会報告や今後の活動の構想を練るなどがんばっています。
2009年 6月 26日 福岡県連合会 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (0)
福岡ベトナム総領事館開設 歓迎会に武田日中友好協会県連会長ら参加 (2009/6/4)
2009年 6月 9日 福岡県連合会 交流 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (0)
京劇文化について貴重な学習 「濱一衛と京劇展」を参観 県連理事会 (2009/5/17)
5月17日、日中友好協会福岡県連合会は京劇文化について貴重な学習をしました。
当日、第2回理事会が開催されましたが、協会の会員である中里見敬さん(九州大学准教授)と福岡日中文化センターの元講師の中尾友香梨さん(佐賀大学講師)が、京劇について九州大学で講演することがわかり、会議終了後参加することになったものです。
講演は元九州大学教授で永年、中国演劇を研究し、京劇をこよなく愛した故濱一衛氏が蒐集した貴重な資料の公開に併せて開かれたものです。両氏は「難しい」1930年代の京劇やコレクションの資料についての研究発表をパワーポイントを駆使し、時にはメロディも流して、興味深く、その上、わかりやすい説明で聴衆をひきつけました。参加者は「大変有意義で、参加できてラッキーでした」と喜んでいました。
2009年 6月 1日 福岡県連合会 京劇 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (0)
1千名会員を全国大会までに (2009/11/16)
22名、会員が一気に増えました
1千名会員を全国大会までに

日中友好協会福岡県連合会は11月16日、20名の役員が参加して、今年度、第4回目の理事会を開催しました。
当日は、北京風雷京劇団の福岡と北九州の両公演を大成功させた喜びで、討議も盛り上がりました。 この公演に示された情熱と日中友好運動が極めて困難な時期に、田川支部が国交回復署名運動で全国の10分の1を集めた気概を今後の運動で生かし、2千名県連(来年6月全国大会までに1千名)達成と若い人々に運動を引き継ぐことができるように、大奮闘することを誓い合いました。
また、第47回県連大会の日程の決定と組織拡大の具体的方針ついて討議を深めました。
なお、公演当日と取り組みの中で北九州で17名、福岡で5名。合計22名の会員が一気に増え、また、帰国者のサークルで入会運動が取り組まれていること、業者団体が加入に向けて役員会で手続きがとられていることが報告されました。(K)
2008年 11月 22日 福岡県連合会 中国残留邦人帰国者 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (0)
中国国慶節祝賀会 武総領事夫妻と懇談 (2008/9/26)
武総領事夫妻と懇談

中華人民共和国成立59周年を祝う会が、9月26日、福岡市のホテルで盛大に開かれました。
県連からは武田正勝会長、松山盛利事務局長が参加し、武樹民総領事夫妻をはじめ多くの領事や出席者と懇談しました。
今回は、遠隔地の沖縄県支部も招待を受け、上原源栄支部長が出席しました。
2008年 10月 9日 福岡県連合会 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (0)
日中春爛漫
日中友好協会福岡県連合会の事務所のドアを開けると、チューリップと「紫の花」が訪れる人の心を和ませています。この花は準会員の江口五郎さんが丹精こめて育てられたものてす。
日本軍の一兵士が中国から日本へ帰る時、南京大虐殺の行われた紫金山の麓に咲いていた「紫の菜の花」の種を取り、密かに日本に持ち帰えりました。戦争で命を奪われた人々への鎮魂と平和を願ってこの花を「紫金草」と名付け、自宅の庭で種を増やし、日本中に拡げて行きました。今では「むらさき花だいこん」などの名で呼ばれ、全国で見られます。

2008年 4月 19日 福岡県連合会 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (0)
国際婦人デー・中国福岡総領事館でパーティー (2008/3/8)
国際婦人デー・中国福岡総領事館でパーティ
日中平和友好条約締結30周年と国際婦人デーを記念して3月8日、中国総領事館でパーティがが催されました。
武田正勝県連合会長夫人も招待を受け、中西恭代県連常任理事が同伴して参加しました。
はじめに、武樹民総領事が「世の中の発展のために女性の力が大きく貢献しています。ぜひ、これからの中日友好のために今日の交流を深めてください」と挨拶。 そのあと、海老井副知事が挨拶。引き続き、日本の茶道の紹介があり、李領事夫人とお嬢様も和服を着て抹茶を楽しんでいました。 その後、呉汝俊氏の京胡演奏と歌で会場が和やかな雰囲気になり、中国の御祝いの席には欠かせない餃子の手作りを総領事夫人や各領事夫人が披露され、皆さん楽しんでいました。
パーティには、県内の国会議員夫人をはじめ、県副知事、福岡市長夫人ら30数人が招待されていました。
日中両国の異文化を楽しみながら、領事館や参加者の方々と楽しく交流しました。(恭)
2008年 3月 22日 福岡県連合会 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (0)
日中博多ひとくち仁〇加
日中博多ひとくち仁〇加
福岡 ニイハオ亭パンダ
沖縄
「あんたくさ、日中友好協会の県連版はよみましたな?」
「どうしたな」
「今年の九州ブロック会議はくさ、なんと沖縄でしたげなばい」
「へえ、今迄は、福岡でやりよったとに」
「基地の町、沖縄にはくさ、会員240人で4支部もできたとバイ」
「すごかぁー」
「そらー、不再戦を掲げる協会のことじゃけん、日中友好の輪が益々大きな輪(沖縄)になりよる」
2008年 3月 22日 福岡県連合会 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (0)
「基地」 沖縄で協会の発展をめざして活発な討議 (2008/2/2)
発展をめざして活発な討議
協会九州・沖縄ブロック会議開く |
2007年度の日中友好協会九州沖縄ブロック会議が2月2日、目覚しい活動を展開し、全国の注目を浴びている沖縄県支部の地元、那覇市で開かれました。
当日は、本部から田中義教理事長が参加。鹿児島を除くすべての県から40名の代表が出席しました。福岡県連からは9名が参加しました。中国総領事館の武樹民総領事からメッセージが寄せられました。
はじめに松山盛利氏が、57回全国大会を成功させるため組織を前進させることなど、会議を開く目的について挨拶をし、つづいて、沖縄支部代表が歓迎挨拶をしました。 田中義教理事長が本部報告を行いました。 田中氏は中国との今年度の交流及び協会活動について、「日中両協会代表の相互訪問団」「残留孤児支援」「文化活動」の貴重な成果について報告しました。 更に、北京風雷京劇団公演、沙飛写真展などの今年度の国民的視野での取り組みについて説明しました。 また、中国が「全方位外交」を保持しつつも、協会に対して誠実で積極的な対応をしていることも、具体的ま事例を挙げて説明しました。 このような活動の前進と成果に確信をもって、組織の倍加を目指して、平和・友好交流活動を更に大きく発展させることの大切さについて強調しました。 そして、このためには会員の要求と楽しい活動を基礎にすることだと語りました。
このあと、短期間で4支部240名の組織となった沖縄県支部から特別報告を受け、情勢と組織拡大を中心に討議を行いました。 討議は時間が足りないほど活発に行われました。 中には「いろいろ質問されると答えることができないので、入会を勧めることができない」などの悩みや、餃子問題について協会の対応について明確な説明を国民にすべきだとの意見もだされました。 福岡県連から参加した高尾翠氏(「天皇の軍隊と平頂山事件」の発刊について)、岡野昌明氏(青年層を対象にした活動)、岩佐英樹氏(組織拡大の留意点)、中村訓八氏(京劇公演の取り組みと大学支部の現状についての質問)、東泰之氏(中国人妻の会の活動)の5氏が発言しました。
交流会では沖縄舞踊など郷土芸能がつぎつぎに披露され、中国文化の影響を受け、伝統文化が大事に民衆の中に保存伝承されていることに深い感銘を受けました。
翌日はバスを借り切り、米軍の基地と集団自決あとを現地支部会員の丁寧な説明を聴きながら見学しました。参加者は、侵略戦争を二度と許さないために「日中不再戦」運動の重要性を改めて確認しあいました。
また、戦争中、沖縄から宮崎県に学童疎開させられた人々との懇談会も開かれ、この内容は地元の新聞が大きく報道しました。
2008年 2月 9日 福岡県連合会 中国残留邦人帰国者 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (1)
中日友好協会代表団を迎えて 県連大会開く (2007/11/8)
人間味あふれる活動を進め、二千名の組織を目指す
日本中国友好協会福岡県連合会は11月8日、福岡日中文化センターで、中日友好協会代表団(団長・井頓泉常務福会長以下4名)を迎えて。第46回定期大会を58名の代議員が参加して開きました。
昼休みには、江蘇省立南京鉄道職業技術学院の学生7名と食事をしながら交流を深めました。
大会は新生・八幡支部から3名の代議員、大牟田準備支部から久方ぶりの参加、大川及び宗像糟屋地域での支部準備の具体化、若い専従事務局員の確保などの発言もあり、討議は最高に盛り上がりました。
大会は、この1年間の活動の総括、新年度の活発な運動方針、人事などを討議し、満場一致で承認しました。
また、大会は「人間味あふれる活動を進め、各層、各界の理解と協力を得て、県下すべての市区町村に協会の支部、班をつくり、当面、二千名の会員・日中友好新聞読者を擁する県連を目指して奮闘します」と更なる前進を誓い合いました。
大会後、会場を近くのホテルに移し、井団長から「中国の現状と日中友好」とのテーマで、40分間、スピーチを聞きました。
氏は中国が大きく発展していることを紹介すると共に、経済成長のもとで生じている諸問題を解決するために、「調和社会」をめざして政府は全力を尽くしていると報告しました。
また、日中友好と世界の平和のために、日中友好協会や諸団体と力をあわせて中日友好協会は頑張りたいと語りました。その後、台湾問題、日中友好に対しての姿勢などについて、時間を超過するほど質問がだされました。
歓迎パーティーは、中村淑子さん、横田雅紫津さんの琴の演奏でオープニング。武田正勝会長が歓迎挨拶。団長が代表団の紹介の後、永年、苦難に屈せず中国国民との友好のために運動を続けてきた協会に対しての感謝の言葉をのべ、「歴史を鏡とし、未来に生かして中日友好を広げましょう」と挨拶しました。
来賓の後藤富和弁護士、中国帰国者の会会長・木村琴江さんの挨拶を受けたあと、福岡日中文化センター村上陽三所長の乾杯の発声。
趙萍さんの胡弓演奏、太極拳、会員のどじょうすくい、炭坑節の総踊り、東京ー北京の合唱を豪華な?料理とアルコールをとりながら楽しみ、交流を深めました。
2007年 11月 21日 福岡県連合会 中国残留邦人帰国者 交流 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (0)
日中カレンダー 今年も好評

申し込みは、県連事務局へ 千二百円
B3版(縦515mm×横364mm) 13枚綴り 定価 1,200円 (税込・送料別) このカレンダーの収益の一部は中国「残留孤児」の人間回復を 求める「支援基金」に充てられます。
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国交35周年祝賀会でお別れ 武総領事帰国 (2007/9/28)


9月28日、福岡市内のホテルで中華人民共和国成立58周年・国交正常化35周年記念の祝賀会が開かれ、250名を越える各界からの参加者でにぎわいました。
しかし、残念なことには、福岡在任中の3年の間、庶民性と誠実な人柄で県民に愛され、日中両国の友好のために尽くされた武亜朋総領事が退職のため帰国することが公表されました。
県連から出席した 岩佐英樹理事長、松山盛利事務局長は武総領事の労をねぎらい、協会の運動に対しての協力に感謝の言葉を述べました。
2007年 10月 13日 福岡県連合会 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (0)
「中国福岡総領事館主催 民間団体交流会」に参加して交流深める (2007/9/1)

日中国交正常化35周年記念
日中友好協会福岡県連も参加して交流深める
日中国交正常化35周年を記念して、9月1日、中国福岡総領事館の主催で日中友好を進めている民間団体の交流会が開かれました。
当日は、日中友好協会福岡県連合会を始め、福岡県日中友好議員連盟(顧問・新宮松比古自民党県連会長)、創価学会、(社団)日中友好協会、公民館など約15団体から30名が参加し、活動の報告と今後の課題について発言しました。
協会福岡県連合会からは、岩佐英樹理事長、松山盛利事務局長が出席し、松山氏が協会活動の目的、歴史、及び最近の活動内容について発言しました。
領事館が日本の団体から活動報告を直接聞くという懇談会は極めて稀なことであり、中国が民間の活動を重視していることを示しています。
各団体からは、教育や在日中国人留学生に対しての支援、文化交流などについての報告がありました。また、会員の高齢化、減少、財政難などの悩みも出されました。また「中国と仲良くしようというだけでは本当の友好でない。侵略戦争の反省の上に運動をすすめなければならない」という友好運動のあり方について発言もありました。
交流会に参加して 日中友好協会福岡県連合会のように、57年の長期にわたり、幾多の困難を乗り越え、日中不再戦と真の友好を願って、しかも、多彩な活動を行っている団体は他にはありませんでした。 このような協会の存在と活動をもっと多くの人々に知ってもらうことが、今後の草の根の運動を進める上でも大切だと感じました。 (松) |
2007年 9月 14日 福岡県連合会 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (1)
過去の教訓を未来に 領事館交流会での発言
過去の教訓を未来に 領事館交流会での発言
県連事務局長 松山 盛利
■ 松山氏は、交流会で協会の歴史と最近の活動について報告した後、次のように述べました。■
日本と中国は友好提携の都市が増えていることは喜ばしいことです。しかし、最近は、会員からこんな話を聞きました。ある市では、中国の中学生たちとの交流を定期的に行なっています。昔は炭鉱で栄え、拉致されてきた多数の中国人が働かされていたところです。ところが、その地に中国の生徒たちを案内するわけでもなく、拉致・連行の事実を全く生徒たちに知らせようともせず、隠した交流を市は続けています。これが交流なのかという声が市民からあがっているそうです。
しかし、子ども達は悲しい過去の事実を知ってこそ、未来を考え、前進する力が生まれてくると思うのです。
大宰府市に戒壇院というお寺があります。鑑真和上が6度目の渡航の挑戦に成功し、奈良への途中に立ち寄った地に、つくられたお寺です。そこに「日中不再戦の碑」があります。
最近、ある高校の先生から電話がありました。交流している中国の先生が大宰府を訪れ、この碑の裏面に刻まれた建立の経過を読んで深い関心を示したそうです。この碑は、日本が中国に全面的に侵略を開始した、盧溝橋事件・1937年から30年の節目を迎えた1967年、再び中国を侵略してはならないという願いから日中友好協会が県民に建立募金を訴えて立てたものです。
最初はお隣の観世音寺の境内に建立されました。ところが、なに者かによって、ある時、その碑は、持ち去られ、藪の中に捨てられました。会員たちは嘆き悲しみ憤り、何とかしなければと考えました。そのことを知った、戒壇院に和尚さんの協力で今の地に移されたものです。当時は、国交回復前、日本と中国は自由に行き来もできない時代でした。しかも、中国は文化大革命という混乱の時代でした。
単に観光で大宰府を訪れるのではなく、日中友好にとって、極めて大切なお寺に交流先の学校の先生を案内された日本の先生に私は頭が下がるのです。同時に碑文を読んで関心を示した中国の先生の歴史認識の深さと真摯な姿勢に深い感動を覚えました。
温家宝首相は日本国会で「真の友好のためには、過去の教訓を未来に活かす必要がある」という趣旨の講演を行いました。こういう日中友好の姿勢が今、求められているのではないのでしょうか。
日中友好の前途には厳しいところがまだまだあるでしょう。しかし、盲目の鑑真が6回目の挑戦で日中友好の念願を果たした不屈の精神に学び、私たちも今後も頑張る決意でいます。
みなさん、共に協力し合って日中友好の前進のために頑張りましょう。
2007年 9月 14日 福岡県連合会 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (0)
菰口治さん逝去 (2007/8/22)
元福岡日中文化センサー副所長

8月22日、食道ガンのため死去、69歳。東北大学で漢文学を専攻。
学生時代に日中友好協会に入会。青年部長、日中友好新聞宮城版編集長を歴任。宮城県連の牽引者をつとめ、第1回青年交流代表団の一員として中国を訪問。
大学院卒業後、東北大学助手。その後、福岡教育大学に移り、講師、助教授、教授。学長を2期。また、現役時代から、福岡日中文化センターの副所長、文化講座講師を務める。
昨年10月22日のセンター25周年記念行事講演(演題「川柳の中の中国)以降から闘病生活。
葬儀は24日盛大に行われ、福岡日中文化センターの村上陽三所長、大坪暢子元事務局長、日中友好協会福岡県連合会の岩佐英樹理事長、松山盛利事務局長らが参列しました。
2007年 9月 14日 福岡県連合会 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (0)
2000名の県連を目指して討議 第4回理事会開く (2007/6/16)
胡弓を聴き、中国文化を楽しみながら第4回理事会開く
5月の全国大会で優秀組織賞を獲得し、6年連続増勢を続けている福岡県連は、6月16日、胡弓奏者・劉福君さんの茶坊で 第4回理事会を開きました。
休憩時には中国茶をのみ、趙萍さんの胡弓を楽しむという、中国文化を満喫しながらの、「充実した」会議となりました。
会議では、この間の全国大会を成功させるための組織拡大、財政活動、糸島の中国人妻の会への援助、太極拳の県研修会などの活動について事務局から報告を受けました。
協議では、戦争をする国へ急速な動きや国交回復35週年・盧溝橋・南京事件70周年の節目の年の協会内外の情勢について討議を深めました。
今後の取り組みについては、南京・日本語学校への支援活動、筑後地区・武総領事との懇談、帰国者・中国人戦争被害者支援、憲法9条を守る運動、中国との交流、2千名県連組織つくり、中国とのかかわりを取り上げる様々な文化活動などの具体的活動について討議を行いました。
理事会終了後、永年、県連活動の先頭に立ってこられた金子正道、北川栄市両副会長の傘寿を祝う会を中華料理店で開きました。
2007年 6月 28日 福岡県連合会 中国残留邦人帰国者 二胡 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (0)
中国訪問決定・飛行機も確保 (2007/12/12~12/16)
12月12日~16日 日本語学校、南京記念館など
今年は日中国交正常化35周年・南京事件70周年の節目の年です。この大事な年に、両国民の相互理解・友好を大きく促進するために、県連は大量の訪中団を送ることを大会で決めました。
特に、今年よろこばしいことに、日中友好協会や福岡日中文化センターが協力した日本語学校が南京に開設されます。
学院側から私たちの訪問団を大歓迎するとの返事ももらっています。
新しい南京虐殺記念館も、70周年の12月13日落成を目指して、拡張工事が進められています。
新しい記念館の敷地は以前の倍。3万人規模の集会もできます。ここで記念集会が開催されるものと考えられます。
この記念館と日本語学校訪問・交流を中心に各所旧跡を訪れます。すでに航空機座席70席を確保しました。12月12日午前発、16日夕刻便で帰国します。
「休日を利用して中国上海旅行を手軽に」という要望に沿って、しかも、3日間を最大に利用した上海旅行がついに実現します。 ただ、午前出発、夕刻便で帰国の飛行機を安全に確保するために、1日だけは平日となります。10月7日(日)10時出発、10月9日(火)夕刻便で帰国します。 具体的なスケジュールなどは早急にお知らせします。
2007年 4月 29日 福岡県連合会 福岡日中文化センター 日本語学校 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (0)
待望の南京日本語学校 遂にスタート
待望の南京日本語学校 遂にスタート
福岡県連は「日中両国民の相互理解を深めるために中国に日本語学校をつくろう」と3年前の大会で決め一日も早い実現を目指して努力してきました。
学校経営のかかわり方が中国国内法との関係で、「共同運営」から「協力支援」に変わりましたが、日中友好の立場で、今回、江鮮省立南京鉄道職業技術学院(学生数5千名)が責任をもつ日本語学校立ち上げに協同・協力してきました。
3月29日、武田正勝県連会長の代理で、高向洋人氏(県連会員・福岡日中文化センター副所長)が南京を訪れ、伊藤正敏氏(同学院講師・県連会員)の立会いで、銭吉奎副学院長と学校支援協定書に調印を行い、百万円の協力金を手渡しました。
すでに、学校設置については省の認可を得、省物価局から募集要項などの許可も下り、開校は5月14日の予定です。現在、スタッフは学生募集など準備に全力を挙げています。
銭吉奎副学院長は「ぜひ、成功させたい。福岡の皆さんの訪問・交流を歓迎します」と語っています。
〔南京訪問計画〕
県連は、南京事件70周年の今年、県民に広く呼びかけ、12月に記念集会と日本語学校訪問の予定です。
[訂正とお詫び]
南京鉄道職業技術学院副学院長のお名前は、正しくは「銭吉奎」さんでした。
本文を訂正の上、お詫びいたします。
2007年 4月 9日 福岡県連合会 日本語学校 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (0)
私と中国 北川栄市さん
私と中国
北川栄市さん
随分以前のある年の夏、福岡日中文化センターの短期留学に参加して、大学の宿舎に北川さんと同室した。ある日、妙齢の美人が訪ねてきて流暢な日本語で「日本のお父さん居ますか?」「え?・・・(まさか!・・・)」思わず口ごもった。
彼女李蕾さんは、北京の某日系企業に勤めているが、福岡に留学していた当時、北川さんの自宅で毎週開いていた「初級中国語講座」の講師を務め、毎回夕食をご馳走になり、休日には九州各地を案内してもらうなど、”まったく家族同様のあたたかい”付き合いをしてもらって、それ以来北川夫妻を「日本のお父さん、お母さん」と呼んで慕っていると。
実は北川夫婦には、この李さんを長女として、翁、馬、趙、高、五人の”中国の娘さん”がいる。みな李さんと同じ様な経緯を経て、現在も”あたたかい交流”がつづいている。
「本当の”日中交流”は、庶民の間でやる”草の根交流”の積み重ねが基本になる。その為にもお互いの文化を知り、楽しむことが大事」と常日頃言っている北川栄市さんと”中国文化のとの交流”は、63歳で初めた中国語、68歳からの太極拳、さらに73歳からの二胡と正に多岐にわたる。殊にもっとも遅く始めた胡弓の演奏は、「七十からの手習いで進歩は遅いけど、胡弓(呼吸)は止めるわけにはいかないから」といいながら、楽しそうに研磨を重ねている。
今年2月8日には、劉福君先生に習っている九州各地の二胡仲間60名と共に、上海で開かれた「民族楽団展演会」に参加して、中国人に日本の曲を披露し、大喝采を受けたばかり。 (三)
2007年 4月 9日 福岡県連合会 福岡日中文化センター | Permalink | コメント (0) | トラックバック (0)
中国における日本語教育支援についてのご協力のお願い
中国における日本語教育支援についてのご協力のお願い
江鮮省立 南京鉄道職業技術学院日本語学校への援助
日中友好協会福岡県連合会では、中国での日本語教育を支援する運動のとりくみとして、江鮮省の省都・南京市にある省立の南京鉄道職業技術学院の日本語学校の創立を支援することにしました。このため、協力債と支援募金を集めています。
以下のリンクのページをお読みの上、ご協力をよろしくお願いします。
→
南京鉄道職業技術学院 日本語学校 の創立の支援のページを読む
2007年 3月 5日 福岡県連合会 日本語学校 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (0)
日中友好のため胡弓をひろめたい.60人が上海演奏会へ (2007/2/8)
日中友好のため、胡弓をひろめたい
劉福君さんの夢、内外に大きく実る 60人が上海演奏会へ
2月8日、上海で国内外の中国民族楽器の演奏者や愛好家1500名が参加して、「上海第4回中国長江三角州地区民族楽団演奏会」が開かれます。
長江三角州地区は、上海、南京、杭州、揚州などを含む地域です。
この演奏会は、中国では大変権威あるものとして関係者から期待を集めています。
日本からは劉福君さんが指導する日中胡弓教室をはじめ、九州各地から生徒さんたち60名が参加します。
劉さんは13年前、「日中友好のため、胡弓をひろめたい」と大志を抱いて日本留学しました。そして、劉さんと日中友好協会福岡県連合会や福岡日中文化センターは10年近く前から音楽をとおして協力信頼関係が強まり、今回、松山盛利日中友好協会福岡県連合会事務局長が団長として参加することになりました。北川栄市県連副会長も「演奏者」として参加します。
また、この大演奏会と時を同じくして、胡弓で日本の曲を演奏した中国初の劉福君さんのCDが中国で発売されます。
このように今、劉さんの夢は国内外に着実に、大きく実りつつあります。
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劉福君先生の「日中胡弓教室」は、毎月2回、熟練度に応じて3講座開講してしています。
→ サークル・講座については、ここをクリック
2007年 1月 22日 福岡県連合会 福岡日中文化センター 二胡 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (0)
武総領事と語る夕べに団体、市民60名が参加 (2006/11/29)
武総領事と語る夕べに
団体、市民60名が参加
中国への大きな期待感!
世界の平和や社会発展のために
11月29日、福岡アクロスで、日本中国友好協会福岡県連合会が主催する福岡総領事館の「武総領事と語る夕べ」が開催されました。
当日は、福岡市内の三十の諸団体と学者文化人、県下各支部の協会員など60名が参加し会場はいっぱいとなりました。
はじめに、武総領事が、「今後の日中関係の発展の如何は、安部首相が訪中し中国首脳と話し合って約束したことを、きちんと守ることが、大きなカギとなる。「政冷経熱」などといわれるが、日中間、九州地区と中国の関係はこの間も、人的交流の面でも、経済交流の面でも、極めて大きく発展してきて、お互いに重要なパートナーになっている。友好協会などの強制連行など中国人戦争被害者への支援に心から感謝する。中国は国としての対日賠償請求権は放棄したが、中国国民個人の賠償責任権は当然ある」などを語りました。
つづいて、1時間半にわたり、「北朝鮮の核保有と中国の影響力」「核軍縮への中国のイニシアチブへの期待」「中国社会に今日起こっている格差やモラルの問題」「中国の若者の歴史認識」など11名から質問が出され、武総領事が丁寧に答えました。
総領事の飾らない、親しみある率直な人柄もあって、参加者は多いに感激。中国への理解や日中友好の絆がいっそう深まりました。
2006年 12月 11日 福岡県連合会 中国人強制連行・強制労働事件 | Permalink | コメント (1) | トラックバック (2)
2千名の組織を7年計画で実現 福岡県連合会定期大会を開く (2006/11/23)
2千名の組織を7年計画で実現
福岡県連合会第45回定期大会を開く
11月23日、北九州市小倉北区で第45回定期大会を代議員50名が参加して開きました。
前年度総括、決算、新年度の運動方針、予算及び人事を満場一致で承認し、2千名会員・準会員を7年計画で実現させるために引き続き更なる前進を誓い合いました。
大会では、25名の代議員が発言し、大会議案をいっそう深め、新役員を選出しました。
その後、場所を移して懇親会を開きました。
2006年 12月 10日 福岡県連合会 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (0)
日中友好の講師引きうけます 学者・研究家が協力
2006年 5月 30日 福岡県連合会 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (0)
南京に友好の日本語学校設立
福岡県連の念願に光が
南京に友好の日本語学校設立
日中両国民が相互理解と交流を深めることを願って、南京に「日本語学校(教室)」をつくるために、福岡県連は2年前から調査をすすめ、江蘇省立大学の設置の為の具体案を提起していました。困難と思われた時期もありましたが、大学と伊藤正敏さん(福岡支部会員・南京在住)の意欲と協力で、話し合いがすすめられ、すでに、大学側では、設置のための担当者も決定しています。
近々、大学側から具体案が県連に定時がある予定です。
この念願の日本語学校が実現すれば、福岡と南京、江蘇省との民間交流は大きく発展します。中国との交流を願うとりわけ若い人々に夢と展望の道を開くことになることでしょう。
![]() 昨年8月13日、福岡を訪れた南京大学の一行と福岡県連役員 |
2006年 4月 24日 福岡県連合会 日本語学校 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (0)
武亜朋総領事と協会福岡県連役員懇談 (2006/3/15)
武亜朋総領事と協会福岡県連役員懇談
福岡県連は、3月15日、北川栄市副会長と岩佐英樹、松山盛利、三好正明の3役員が中国駐福岡総領事館を訪れ、武総領事と懇談しました。
この中で、領事館の活動の一端について説明を受け、「お役所」仕事でなく、人道的立場で忍耐強く業務にあたっているいくつかの話を聞いて深い感動を受けました。
また、県連主催の「学習懇談会」での講師依頼及び、会員から要請のあった「58会」(戦後、中国に残留し中国の新しい国造りに貢献してきた人々のグループ)の集まりでのあいさつについても、総領事にお願いし、快諾を得ました。
中国での日本語教室(学校)つくりについても、総領事の意見を聞きました。
なお、学習懇談会については、5月下旬以降開くことで、内容などについては検討することにしました。
2006年 3月 19日 福岡県連合会 中国残留邦人帰国者 日本語学校 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (0)
終戦60周年日中友好祝賀会を開催 ( 2005/10/16 )
10月16日、終戦60周年、日中友好協会創立55周年、中華人民共和国建国56周年を記念して、福岡県連合会主催の祝賀会が福岡市内のホテル開かれました。
会には、中国駐福岡総領事館の武亜朋総領事、李憲章 福岡華僑総会会長、強制連行裁判弁護団、九州残留孤児会長、県労連、政党(みらい福岡、公明党、日本共産党)、前進座、日本コリア協会、日本ベトナム協会、福岡北京同郷協会、内モンゴルの歌手サランマンドホさん、福岡日中文化センターの村上陽三所長・中国語講師団、日本中国友好協会会員など80名が参加しました。
麻生渡福岡県知事、山崎広太郎福岡市長、社民・市政クラブ福岡市議団からもメッセージが寄せられました。
アトラクションでは、深谷節子さんの麗しの歌声、優雅な太極挙、サランさんの熱唱なども披露されました。
2005年 10月 29日 福岡県連合会 中国人強制連行・強制労働事件 中国残留邦人帰国者 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (0)
人生のラストを日中友好に尽くしたい ( 2005/10/16 )
積極的な討議がつづいた協会県連大会
協会福岡県連は、10月16日、福岡日中文化センターで第44回定期大会を各支部から40名の代議員が参加して開きました。
医師である武田正勝会長は挨拶で、731部隊の残虐な行為の実態を紹介しながら「こんなことを2度と繰り返さないために、非難だけでなく、なぜ、起こったのかを考え、日中友好に生かす必要がある」と問題提起をしました。
大会は、日中不再戦・平和のための活動や中国文化などに関する様々な要求・関心に応える活動、中国国民との交流活動など、過去1年の活動についての役員会からの報告をもとに、活発な討議がされました。
甲斐悟さん(久留米筑後支部)は「父親は中国戦線に参加した。中国国民の首をはねた写真などを40枚も持っていた。これだけの悪いことを日本はした。人生のラストを日中友好のために尽くしたい。」と発言し参加者に感動を与えました。
来賓として、「天平の甍」公演以来つながりを深めている前進座の嵐圭史さんの名代として女優の江林智施さんが来賓として出席し、挨拶をしました。 また、福岡県連は江蘇省との交流を深めていますが、大会に出席した省都南京からの4名の女子留学生対し、会員から寄せられた炊飯器、テレビ、毛布などの生活用品の目録を武田会長から贈呈しました。
2005年 10月 21日 福岡県連合会 前進座 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (0)
戦争に反対する多くの国民がいる ( 2005/8/25 )
戦争に反対する多くの国民がいる
日中平和友好交流北京集会に福岡からも参加
戦後60年と抗日戦争勝利60周年を記念した「日中平和友好交流北京集会」が8月25日、北京市内のホテルで開かれました。
同集会は、日中友好協会、中日友好協会、中国人民対外友好協会の三団体が主催、日中両国の諸団体が協賛、両国の市民約三百人が参加しました。
日中友好協会福岡県連は、村上陽三福岡支部顧問をはじめ、福岡、田川、小倉、糸島などから市民も含めて18名が参加しました。
伊藤敬一本部協会会長があいさつし、「再び戦争を起こしかねない日本政府の危険な右傾化路線に対して、これを憂慮し反対する多くの国民がいること」を中国の人々に知ってほしいと述べ、日中両国民の友好連帯のいっそうの発展と強化を訴えました。
中国側を代表してあいさつした中国人民対外友好協会の陳会長は、「中日友好協力が歴史の主流」であり、一時的に逆流が現れても「主流に取って代わることはできない」と強調しました。集会では、日中両国から報告や日本から参加した各団体の報告もありました。
会場の演壇には、福岡支部の中西恭代さんの長女直子さんが日中友好と平和を願って託された千羽鶴が飾られていました。
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2005年 9月 10日 福岡県連合会 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (0)
中国南京に日本語学校設立の準備を進める ( 2005/8/15 )
中国南京に日本語学校設立の準備を進める
協会福岡県連合会が中国の学院長に協力要請
福岡県連は、昨年の大会で、中国に日本語学校設置について検討をはじめることを決め、実情調査など進めてきました。
8月15日には、中国南京市のN学院と第1回目の話し合いを行ないました。
この学院は江蘇省の省立で、4000名の学生を擁しています。福岡支部の会員でこの学院の日本語教師をしているIさんの斡旋で、学院長等の来日を機会に協力要請を行なうことにしたものです。
当日は県連の松山盛利事務局長、三好正明理事が依頼書を持参し、趣旨説明をおこないました。
学院長は、「政府も外国の協力を得て私学を発展させることを奨励している。特色ある学校ならば当学院の知名度アップにもつながり有効です。帰国後、会議を開き人民政府の許可も必要であり前向きに検討を進めます」と応え、カリキュラムや資金などについて4点について県連に質問をしました。
この学校創立は、日本語教育をとおして、中国の若い人々と相互理解を深めるためことを目的に計画されているもので、とりわけ、福岡県と江蘇省は姉妹都市であり、南京市を省都にもつ同省との交流は歴史上からも、また、今日的意義から見ても極めて重要であるとの立場から進められています。(M)
2005年 8月 21日 福岡県連合会 日本語学校 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (0)
抗日戦争・世界反フアシズム戦争勝利60年座談会 ( 2005/8/13 )
抗日戦争・世界反フアシズム戦争勝利60年座談会
中国総領事館主催・協会福岡県連などから総勢35名が参加
中国では、中国人民抗日戦争・世界反フアシズム戦争勝利60年の今年を記念して、国家的行事が相次いで行なわれています。
福岡でも8月13日、座談会が開かれました。
はじめに、武亜朋総領事が挨拶し、この記念行事が「歴史を顧みて、抗日戦争で経験した民族精神を高揚させ、世界平和の発展のために貢献するため」に開かれていることをのべました。
つづいて、抗日戦争とファシズム戦争の歴史認識ついて触れ「戦争の本質をはっきりつかみ、犯した過ちを認めることが大切だと」語りました。
靖国参拝問題について、「戦争を引き起こしたA級戦犯を祭るところに総理や官房長官が参拝することを中国国民はけっして受け入れられない」と毅然として語りました。
最後に、「中国は日本の友人と手を携えて、中日友好のために、歴史の教訓、経験を生かし、今後も一層がんばっていきます」と平和に向けての決意を語り、「今日は自由に語り、発言してください」と開会の話を結びました。
この武総領事の挨拶に応えて、最初に松山盛利県連事務局長が発言を求め、記念すべき座談会に招待されたことについての謝意を表し、つづいて、55年間、困難な中でも中国国民を信頼し、友好・平和と相互理解を深めるために様々な運動を行ってきた、日中友好協会の活動を紹介しました.。そして、当日、出席した、「八路軍に参加した人、中国強制連行事件、残留日本人孤児の支援、中国語講座運営などで、日夜奮闘しいてる6名の会員の話を聞いて欲しい」と発言しました.。
福岡支部副支部長で戦争を知らない世代の弁護士の後藤富和さんは「日中間の清算をきちっとすることは、今後の日中友好のために大切です。それがなければ又、戦争を起こすと思います。9条が改正されようとしています。自由に戦争ができるようにするためです。私は強制連行・労働裁判の弁護士ですが、裁判は全国で負けています。しかし、強制連行・労働の事実はどこも認めています。ところが、政府は何も言わない。今こそ、過去を問いただす時です。日中韓、三国が手を取り合えば必ず大きな力になります。しかし、日本はアメリカばかりに目を向けている。こんな状況を改めさせ、日中友好を発展させることが大事だと思います」と語りました。
3歳で大連に父母とともに渡り、小学校3年生のときに敗戦を迎え、18歳で帰国した深谷節子さんは、「弟妹は33年間、中国の養父母に育てられました。感謝の気持ちでいっぱいです。20年間、私は、学校で子どもたちに話をしています。戦争が日本にもたらした不幸を2度とさせてはなりません。ところが、国は被告であるが反省はしてはいません。今、私は日中友好協会の会員として学ばされています。人生大学のようなものです。2度と過ちを繰り返させてはなりません。私は1人の国民として、母親として行動を今後も続けていきたいと思います。戦争の悲惨さを語っていくことが大事だと思います」と戦争体験者としての思いを語りました。
また、華僑総会の人は「母親は纏足(てんそく)でした。シナ人、チャンコロと石を投げられたこともあります。しかし、ほとんどの周りの人は善良な人でした。オ偉い人のために、国民はひきづられ、みんなだまされた。誰が戦争の責任を取ったか。教科書問題、日本のマスコミも右翼にマイクを渡すようなことをしています。中国は私の母であり、命です。日本は正しい教育をすべきです」と今日の日本を憂えていました。
また、別の華僑の人も「教科書には戦争がいつあったかさえ載っていない。大学生さえ戦争を知らない。戦争は市民を苦しめるもの。平和のために日中両国民は仲良くしよう」と日中友好の大切さを訴えました。
中華料理店の経営者で、シャンソン歌手でもある女性の人は「父は、大牟田の炭鉱に連れてこられました。3年前に亡くなり、荼毘(だび)にふした時、銃弾が腰の付近から出てきました。私は4人の子どもたちにも、唄うときも、政治のことを敢えて話します。私が歩んで来た道や中国人であることを~」と凛とした中国人の誇りが伝わってきました。
九州平和友好会の会員から「八路軍の規律はすばらしかった。今の日本は戦争への清算はしていない。国民は昔のごとく洗脳されたままです」「中国の子どもたちのために、毎年30万円援助を続けている。日中友好は大切」などと発言がありました.。
また、新聞社の元北京特派員の人は「小泉首相の批判をするといやがる人がいる。日中友好は50年、100年単位で取り組む必要がある。それは、人を育てることです。政府や行政が留学生を相互に交換し、お互いに勉強していくとが大事です。交渉だけではダメです」と日中友好の今後のあり方について発言をしました。
活発な発言が続きましたが、最後に武総領事が「みなさんの発言を聞いて感激しました。大変、見識が高く誠実で、他に見られない良い座談会であつたと思います。日中両国はどんなことがあつても、仲良くしていく、そうしなければ互いにマイナスになります。手を携えてがんばっていきましょう」と閉会の言葉を述べました。
2005年 8月 21日 福岡県連合会 中国人強制連行・強制労働事件 中国残留邦人帰国者 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (0)