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「母なる中国に感謝」 人生に友好の歴史あり① 宗弘有蔵さん・宗弘マツさん

「母なる中国に感謝」 人生に友好の歴史あり① 宗弘有蔵さん・宗弘マツさん

 

宗広有蔵さん・88歳 宗広マツさん・81歳(糸島支部)

 

「母なる中国に感謝」 人生に友好の歴史あり① 宗弘有蔵さん・宗弘マツさん

 「よく生きて帰れた、絶望もあったが人生の基礎ができた」と語る宗広さんご夫婦。希望を持って渡った旧満州で敗戦を迎え、何度も死線をさまよいましたが、中国の大地と人々に助けられ人生の指針を得て帰国。以来、半世紀もの間日中友好運動を支えて来られました。シリーズ一回目は、絶望の淵から這い上がり友好運動に熱意を込める宗広さん夫婦の人生と人柄を紹介します。

 

南満州鉄道に就職
翌年現地召集
 有蔵さん(十七歳)

 

 有蔵さんは八幡製鉄所と南満州鉄道に合格。終戦一年前の一九四四年一月、「給料が高かった」南満鉄に入社。翌年八月一日、現地招集でチチハルの技術部隊に配属。訓練期間中の九日「ソ連軍参戦」で敗戦。捕虜となり、ソ連国境の黒河の収容所に入れられます。

 一九四六年、五百キロ離れた北安に徒歩で移動。七百人いた部隊は死亡者が続出、到着したのは三百人程でした。有蔵さんも発疹チフスにかかり、病人収容所に入れられます。薬も手当てする人もなく、七百人程いた病人の中で、生き残ったのは有蔵さん含め七人。「生きる運だけが頼りだった」と当時の悲惨な状況を語ります。

 

生き地獄と化した開拓団
十一歳の逃避行
 マツさん

 五歳で家族と満州に渡ったマツさん。敗戦の日、逃げる時家族とはぐれますが隣村の開拓団で母と姉妹に再会。安心したのもつかの間、地獄の逃避行が始まります。

 頼りになる「兵隊さん」は鬼の軍隊、「絶対服従」は開拓団員にも強制されました。「泣く子は殺せ」の命令が下り四歳の妹も犠牲に、たどり着いた収容所は栄養失調・伝染病で死体の山でした。

 母もなくなり中国人の家に引き取られます。二年後、十三歳の時解放軍の看護婦になった姉が探しに来てくれ、解放軍の保母として働くことになります。

 

鶴岡炭鉱で社会主義を学習

 

 待ち望んだ帰国列車が内戦の混乱で進めず鶴岡炭鉱に運ばれた有蔵さん達。帰国の望みを絶たれた中で五年間機械設計の仕事をします。そこで社会主義を学ぶ仲間と出会います。一週間に一度の学習会では社会の仕組みや人民が主人公であることを学び、「目からうろこが落ちる」日々でした。

 一九四九年十月一日、中華人民共和国が建国。人民の国ができ、そのために働けることに感動しました。二千人いた同僚から有蔵さん含め数十人が選抜され、北京の人民大学で学ぶことになります。奥さんのマツさんは人民大学の保母さんでした。知り合った二人は仲間に祝福され結婚します。

 

帰国後、友好運動に全力
糸島支部を創立

 一九五八年に帰国した宗広さん夫婦。早速、友好運動に参加、中国との国交正常化直後の一九九九年9月、糸島協議会(その後支部)を創立します。

 「中国への信頼はゆるぎない。『日中友好』の一点で楽しく、おおらかに、しなやかな運動が大事」と語る二人です。

 

2015年 5月 31日 糸島支部 中国残留邦人帰国者 交流 人生に友好の歴史あり | | コメント (0) | トラックバック (0)

随想 「日中友好の絆 留学生」  宗廣有蔵 (日中友好協会糸島支部)

随想  日中友好の絆 留学生   宗廣有蔵
 日中友好の大事な架け橋になれる中国人留学生が全国的、全県的に増え、九大でも1900人に急増したと言われています。
 ここ10年来、始めは20~30名の内輪の飲み会程度の春節祝賀会も、数年前から九大留学生との繋がりが次第に広まり、30人から50人が常時参加するまでになりました。その繋がりを重視するのは、日中の政治的関係がどんなに緊迫しても、日本国民は友好を求めており、特に日中友好協会が日中友好のためどれほど心を砕き、尽力しているかを知ってもらうためです。
 やや遠い昔話になりますが、敗戦8年目(1953年)から4年間、北京で学んでいる時でした。中国革命を指導した毛沢東、周恩来、劉少奇などそうそうたるメンバーの指導下で大活躍していた当時の若手幹部や活動家がよくやって来て、哲学や中国革命の経験などを話し、私たちとおおらかな歓談もしました。その中に流暢な日本語で語ってくれる人が何人かいました。皆日本の大学に留学し中国革命に馳せ参じた人達でした。なかに九大に留学していたという人が何人かいました。文化大革命で毛沢東派に屈した人もいましたが、多くが戦後の日中友好の絆を繋ぎ発展させてくれました。
 彼らが中国で私達に接し、注いでくれた友好の精神が、私の今を支える力強い土台になっています。いま中国人留学生は私が北京で学んでいた時とほぼ似た境遇にあります。多くが将来中国で然るべき地位につき、有能な影響力を発揮する時が必ず来ると思います。その時、真の日中友好の懸け橋になってくれたらと胸が熱くなります。そう思って5年先、10年先のことも視野に入れて春節祝賀会を楽しんできました。その留学生の回りには仲の良い日本人の友人が沢山いるのです。接し方には創造性と熱意が必要ですが、知恵を出し合い経験を交流していけば前途は開けます。そんな苦労を楽しみに変え得る仲間を増やし、揃えていかねばと思います。
  
 (日中友好協会糸島支部)

 

2014年 3月 9日 糸島支部 交流 留学 | | コメント (0) | トラックバック (0)

中国からの引き揚げ  「漫画展」に420人  糸島支部

中国からの引き揚げ  「漫画展」に420人  糸島支部

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 糸島支部主催の漫画展が、3月27日から4月1日まで伊都郷土美術館で開催されました。
 6日間で420人が鑑賞し、隣の佐賀県からも年金者組合の23人が貸切バスで訪れました。
 美術館前の大通りに面して立てられた大看板は、宣伝効果抜群でした。新聞も2社が報道しました。会員の奮闘で協力券を500枚以上配券して参加を呼びかけた活動が実りました。
 「涙がでてきました」[初めてこんな作品にあえてうれしいです]「いろんなことがわかりました」「戦争はいやだ。平和が一番」などのアンケート145通が寄せられました。 (泰)

2012年 4月 7日 糸島支部 イベント・講演 | | コメント (0) | トラックバック (0)

漫画展 「中国からの引き揚げ~少年達の記憶」  in 糸島 2012/3/27~4/1

漫画展
「中国からの引き揚げ
      ~少年達の記憶」

 

 

 

■出品
   赤塚不二夫 上田トシコ
   北見けんいち 高井研一郎
   ちばてつや 林静一
   バロン吉元 古谷三敏
   森田拳次 山内ジョージ
   山口太一 横山孝雄

 

■とき  3月27日(火)~4月1日(日)
■ところ 糸島市 伊都郷土美術館
             (伊都文化会館横)

 

     詳しくはこちら

 

 

 

2012年 1月 22日 糸島支部 イベント・講演 中国残留邦人帰国者 | | コメント (0) | トラックバック (0)

武総領事を迎え春節祝賀会開く 糸島支部 (2010/2/28)

武総領事を迎え春節祝賀会開く 
早くから広く市民に伝へ新しい仲間も増える 糸島支部

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 糸島支部主催の春節祝賀・ぎょうざ会は七年目を迎え、今や糸島地域のイベントの一つになろうとしています。僅か十万余の街にそよぐ春風のように。

 2月28臼、糸島健康福祉センターには、春節を祝い楽しむ、会員、ひまわりの会(中国人妻の会)、留学生の人々が、続々とつめかけ、開始の午前10時過ぎには 赤い提灯、切り紙、壁紙で華やかに飾られた会場を百十名を越える人々が埋めつくしました。
 宗廣マツさんの指導で一斉に餃子作りを開始。大人も子どもも、留学生もワイワイ日本語と中国語で歓談し、お腹一杯食ペました。

 ほっとしたところで、太極拳の加藤君子先生と黒木弘子さんの艶やかで闊達な扇の表演で二部の開幕。
 宗広有蔵支部長の「糸島で平和と友好への流れを大きくしましょう。みなさんも加わって下さい」と挨拶、武田正勝県連会長は「糸島は中国に最も近い所」とユーモアを交え参加者を激励しました。
 大きな拍手で迎えられた武樹民総領事は親しみ深く語りかけ、「今日は春節の最後の日です。一緒に楽しめて嬉しい。ネパールなどアジアの青年も参加していることに感銘をうけた」と述べ「中国総領事館に来てください。上海万博には福岡から近いので来てください。」と繰り返し語られました。
 ひまわりの会の牧歌(ヤンガ)踊りには総領事夫人に続き武田会長も加わり全員の手拍子のなか友好の熱気がみなぎりました。
 中国人留学生とネパールの留学生の唄とトークは踊りつきで会場をわかせました。

 元町長さんは美味しい一箱の蜜柑をお土産にもって友人を誘って参加。水沢健司さんによる飾りつけは、入ロの赤い対聯も加わり、参加者は入ってくるときから祝賀気分になったと好評でした。
 参加者は、「美味しかった」「内容も豊かで楽しかった」「来年はもっと連れてくるけん」と満足のようでした。 (広)

2010年 3月 15日 糸島支部 イベント・講演 交流 | | コメント (0) | トラックバック (0)

全国大会までに15名を増やす 総会を開く 糸島支部

全国大会までに15名を増やす
総会を開く 糸島支部

Img_20091001_03 9月5日、前原市の伊都文化会館で総会を開きました。
 一部では、宗廣有蔵支部長が「衆院選の結果と平和友好運動」と題して講演しました。
 「半世紀以上続いた自民党政治が崩壊した。このことで、平和と友好の見とおしが明るくなった。具体的には、改憲派議員同盟は130名から53名に激減した。新政権の代表もアジア重視の外交をかかげいる、共産党も新政権の良いところには協力することを約束している。このことから日中友好運動は発展の可能性がある」と参加者に確信を与えました、引き続き総会で方針案、役員をきめました。
 拡大では来年の全国大会まで会員、準会員、15名を増やすことをきめました。
 また、日中友好運動を発展させるための、講演会も行うこととしました。(ひ)

2009年 10月 1日 糸島支部 | | コメント (0) | トラックバック (0)

80人が参加し新春のつどい 糸島支部 (2009/1/25)

80人が参加し新春のつどい  糸島
  支部

Img_20090209_21

 1月25日(日)新春の集いを開きました。当日は、前日からの大雪が降りしきる中、続々と集まって80人になりました。春節が翌日とのこともあり中国の留学生の大半は、本国に帰っていました。それでも3名の中国留学生とベトナム、ネパールの留学生合わせて17名が参加しました。
 集いは宗広有蔵支部長の「アメリカのオバマ大統領の誕生、日本の多くの若者に小林多喜二の蟹工船が読まれている」など、世界と日本の変化にふれ、糸島での日中友好運動の発展を展望した挨拶がありました。
 その後、宗広マツさんの指導で一斉に餃子つくりにかかりました。ひまわり会(中国人妻の会)も子供さんを連れて10人近くが参加し餃子つくりの指導を手伝いました。交流会は中国の歌、ベトナムの歌、ネパールの歌、オカリナ、太極拳など大いに盛り上がりました。
 参加者からは「初めて参加したがすごく楽しかった」「来年もぜひ参加する」などの声があり大好評でした。餃子講習会は3月から、日中のサークルとして開くことを拡大役員会で決めました。(東)

2009年 2月 11日 糸島支部 交流 | | コメント (0) | トラックバック (0)

紆余曲折の五十年  文革の痛みを乗り越え

紆余曲折の五十年  文革の痛みを乗り越え

                      宗廣有蔵

 私が中国から帰国し舞鶴港に上陸してから50年が過ぎた。帰国直前の1958年6月、私の居た武漢市労働組会総連合会が催してくれた送別の宴で「互いに自国で日中友好に力を尽くそう」と誓い合った。それは今日まで私の頭から離れることはなかった。

 過ぎ去った半世紀、日中関係には紆余曲折があり、その度に胸を熱くし、心を痛めたりしてきた。だがその中で今もなお癒しきれず心の奥底で,染みの様な痛みを残したものがある。他ならぬ文化大革命での戸惑い悲しみ怒りの傷跡だ。しかしそれで私の日中友好への思いが挫かれる事はなかった。 戦後早くから日中友好運動を手掛け、嵐に抗して組織を守り抜き、癒しきれぬ痛みを持ちつつ,再建と発展に不屈に貢献している先輩・仲間が福岡にも全国にも多く居て、協会を土台から支えている。私も彼らに教えられ励まされている一人である。

 おかげで今なお50年前の「日中友好の絆になろう」という、今は存在すら分からない中国の友人との約束を生涯の信念として貫こうとしている。

 いま糸島支部では真面目で友好前進を自分の喜びにしている仲間が増え、その存在感を示し始めている。運動は人の育ち方で決まる。今年もまた回りの仲間とともに力をつけ、おおらかにしなやかに広がりをつくりたい。

2009年 2月 10日 糸島支部 交流 | | コメント (0) | トラックバック (0)

大らかにしなやかに友好を 糸島支部が第6回総会開く (2008/10/5)

大らかにしなやかに友好を

糸島支部が第6回総会開く

Img_20081018_03 糸島支部は10月5日、前原中央公民館で第6回総会を開き、総括と一年間のの方針を決め、役員を選出しました。
 開会挨拶で宗廣支部長が「世界は平和と友好へ大きく動いており、間近に迫った総選挙は、アジア、特に中国との平和友好の発展・強化に路を開く大きな可能性をもっている。幅広い人びとのなかに‘おおらかに、しなやかに溶け込み、日中友好を進めて行こう」と強調しました。
 挨拶に立った松山県連事務局長は、「映画「蟹工船」の悲惨さは今もある。違うのはアジア諸国民の変化と前進。靖国派の孤立化。保守派の人も含め日中友好を強めよう」とよびかけ、県下各地の状況を報告し、糸島支部への期待を述べました。
 続いて東事務局長が一年間の活動の総括と今後の取り組みを提案して承認されました。 役員には支部長に宗廣有蔵氏副支部長に朱雀千万斗氏を再選し、また他の役員も選出して総会を終了しました。
 総会終了後、昼食会を行い今後の友好運動等、なごやかに歓談しました (廣)

2008年 10月 18日 糸島支部 | | コメント (0) | トラックバック (0)

四川大地震救援募金:中国人妻の会からも 糸島支部 (2008/5/28)

中国人妻の会からも  糸島支部

Img20080611_21  糸島支部は5月28日、JR前原駅で募金活動をおこないました。雨の降るなか中国人妻の会からも2人が加わり11人が、被災状況を書いたポスターと横断幕を掲げて市民に訴えました。
   西日本新聞、読売新聞は翌日の朝刊で大きく報道しました。糸島新聞(週刊)は次週に掲載の予定です。募金は1時間の取組みで3万9千円が寄せられ、その日までに集められたものを含め5万5千円となり、さっそく県連を通じ中国総領事館に送られることになりました。
 活動に参加した王さんは、自らも多額の募金をし「被災者と同じ中国人として役に立ちたい」と言い、李さんは「私達がこのような活動に参加できるのは日中友好協会があるからです」と感動の面持ちでした。(宗)

2008年 6月 12日 糸島支部 支援募金 | | コメント (0) | トラックバック (0)

緑の風に乗って 大宰府を歩く (2008/4/15)

緑の風に乗って
 大宰府を歩く
糸島支部
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 恒例の「春ウォーキング」は4月15日、脚を延ばしてバスで太宰府に行きました。参加者は23名。目当ては九州国立博物館見学ですが、太宰府は都府楼址、観世音寺、戒壇院、そして天満宮など、散策するところのたいへん多いところです。はじめに立ち寄った観世音寺には、県連副会長で太宰府市在住の北川栄市さんがお出迎えでした。北川さんによると、今、戒壇院の庭にある「日中不再戦」の石碑はもともと観世音寺の脇に立てられていたそうですが、妨害に遭い、境内の薮に捨てられていたのを現在地に立て直したものだとのことでした。
 戒壇院は、日中友好の最初の橋渡しをしたといわれる、唐の高僧鑑真が、西日本の僧に初めて戒律を授けたところとして有名です。ここで記念写真を撮り、「梅が枝餅」のおいしい香りの中、商店街を歩きながら天満宮境内へ。昼食をとつて国立博物館に入場、折から開催中の「国宝・大絵巻展」を見学しました。
 これまで徒歩で行ってきたのですが、今回初めてバスハイクを試みたのでした。天気のことも含めて、参加者に喜んでもらえるかどうか心配でしたが、当日は好天気にも恵まれ、筑紫野の緑の風にのつて、快い散策を楽しみました。 参加者からはまた計画してほしいとの要望もあり、大成功でした。(朱)

2008年 4月 27日 糸島支部 | | コメント (0) | トラックバック (0)

子ども連れで楽しい総会 糸島支部 (2007/9/16)

子ども連れで楽しい総会 糸島支部

Img20070916_01  9月16日、糸島支部第4回総会が伊都文化会館で14人の参加で開かれました。
 新人会員さんの4人が、3人の幼児を連れて参加し、新鮮な雰囲気になりました。
 宗廣支部長は挨拶で、新入会員の参加を踏まえて、協会の活動目標と支部の活動スタイルについて「おおらかに、楽しく」と説明しました。
 松山県連事務局長の挨拶と報告を受け、東事務局長が活動の総括と今年度の活動方針について提案しました。討論の中で会員の石井さんが中心となってすすめている、映画「日本の青空」(糸島地区上映実行委員会)の普及、太極拳福岡県交流会の糸島開催準備、中国人妻の会支援等が強調されました。
 今年の総会は子どもを連れたお母さん2人が参加しましたが、これからの支部の拡大と発展の方向を示唆するものとなったようです。 (宗)

2007年 9月 14日 糸島支部 | | コメント (0) | トラックバック (0)

母の霊を弔う旅

母の霊を弔う旅 糸島 宗廣マツ

 

Img20070620_01
 今年6月、姉妹三人で、中国東北に母の霊を弔う旅をしてきました。
 ハルピンに着いた午後、731部隊跡地をたずねました。頂いた資料。勿忘(「忘れることができない」)には、ここには、元日本軍の細菌戦の中核だった731部隊があり、細菌戦犯石井四郎の統括のもとで、日本国内の医学専門家千人以上が集められ、中国人、外国人の抗日志士と平民を人体実験材料に三千人余りを虐殺したと書かれていました。
 広い館内に展示された実験用の注射器、刑具の足かせ、細菌実験の注射をしている模型や写真など、それはすさまじく、人間が人間に対してここまで出来るのかと軍国主義教育への怒りの連続でした。
Img20070620_02
 3日目、私達は、早朝3時間かけて目的の方正市に到着、市政府の協力で建立(1963年)された「方正地区日本人公墓」に参拝しました。
 ここは、元開拓団員を含め4500人以上が命を落とした場所で、菊の花と線香をあげて供養し、目的地の母の亡くなった場所に向かいました。
 その走行40分の間、私は、母が終戦時の死の逃避行、収容所の恐怖の中でいつも自分を犠牲にして私達を守り通し、また自分がいなくなった後でも「いつか3人を迎えに行って欲しい」と預け先を看護婦をしていた長姉に教え、2年半後私達は、無事姉に探し出され、残留孤児にならなかったことなど、母の優しさ、強さと心使いなど思い浮かべていました。
 走行中姉が、声を弾ませ「ここへんだ」と車を止めました。私達は、62年目にして、やっと母への供養ができました。花を供え、熱い熱い感謝の念をこめた祈りを捧げました。
 私は、今度の旅を通じて、平和と友好の尊さを考えさせられ、憲法9条を守り通す決意を新たにしました。
 最後の19日は、天安門広場、故宮、万里の長城を観光し、6月20日、母と妹の眠る中国に複雑な思いを残しつつ帰国しました。

2007年 7月 10日 糸島支部 中国残留邦人帰国者 | | コメント (2) | トラックバック (0)

今年もおいしく、楽しい餃子会 糸島支部 (2007/2/18)

今年もおいしく、楽しい餃子会
糸島支部  中国留就学生など40人参加

Img20070218_1  2月18日、春節の当日、糸島支部は餃子会を40人の参加で行いました。
 中国留就学生6人に加え、乳母車に乗った赤ん坊から、92才の高齢の方までの参加でした。中国の留就学生は、大きな中国の地図を棒で指して「西安から来ました」など、日本語で自己紹介をしてくれました。参加されたアメリカの英語教師は「餃子はうまく作れないけど、とてもおいしかった」と上手な日本語で話されました。
Img20070218_2 宗廣マツさんの作る餃子はとてもおいしく、今年は特に地元産の豚ミンチを使ってあり、皆満足でし た。会場の調理室は、40人が限界なので「参加者がもっと増えたらどうしよう」という、うれしい悩みもあります。餃子で満たされた後は、ギター伴奏での歌の交流で、心も体もホカホカになりました。(東)

2007年 3月 18日 糸島支部 | | コメント (0) | トラックバック (0)

日中友好 新春餃子を楽しむ会 (2007/2/18)

日中友好
新春 餃子を楽しむ会

◎日時 2月18日(日)
    10時30分 餃子つくり作業開始
    12時~14時 交流会
◎場所 前原市糸都文化会館
◆参加費 500円

  申し込み 092-326-5302
    (日中友好協会糸島支部  東)

2007年 1月 22日 糸島支部 | | コメント (0) | トラックバック (0)

糸島支部総会開く (2006/9/16)

20%組織拡大を決める
糸島支部総会開く
Img20060916
 糸島支部は第4回総会を9月16日に前原市で開きました。
台風が近くまで来ているということで、参加者が少なくなりましたが、会議前に卓球大会を開いてリラックスして総会を行いました。
 総会では、支部が着実に前進していることを互いに確認しました。「今後、もっと糸島の多くの人に日中友好協会を知ってもらうため努力してもらいたい。」「最近の中国事情についての講演会など、開いてもらいたい。」の意見がありました。総会では、全国大会までに全国目標10%を上回る20%の組織拡大をおこなうことを決めました。
 来賓として出席した県連の松山盛利事務局長は「今、日中友好協会の出番です。多いに会員を増やして運動を進めていこう」と挨拶しました。
 懇親会では、東芙美子、東泰之両氏の太極拳の表演がありました。(H)

2006年 10月 1日 糸島支部 | | コメント (0) | トラックバック (0)

春のウォーキング (2006/4/16)

春のウォーキング
糸島支部

Img20060416_1  4月16日に「春のウォーキング」を行いました。
 目的地は、最近、国宝に指定された日本最大の銅鏡「内行花文鏡」が発見された前原市の平原歴史公園です。
 少し風がありましたが、野花が咲く野道を7人と朱雀副支部長の愛犬「ユリちゃん」と歩きました。公園は「旧藤瀬家住宅」があり、又、広々とした芝生になっていて、弁当をたべるところは最高でした。今まで忙しくて日中の行事に参加できなかったI夫婦も大変喜ばれ、「次からもぜひ来たい」と話しておられました。
 帰りに朱雀副支部長が愛犬を木につないだまま忘れて、帰りそうになり、しきりにユリちゃんに謝っていました。(ヒ)

2006年 5月 7日 糸島支部 | | コメント (0) | トラックバック (0)

楽しい餃子会のとりくみをとおして (2006/2/26)

楽しい餃子会のとりくみをとおして
会員・準会員6名を迎えました
  糸島支部

img20060226  糸島支部は、2月26日、新春餃子会を41人が参加して開きました。中国留学生4人は出身地を大地図で示して自己紹介をし、中国の歌「朋友」をうたい、ダンスのステップを見せ、福岡大学の中国語サークルから4人が参加し、若々しい雰囲気をかもし出しました。
 また、小倉支部から3人が参加し、深谷節子さんが中国語で美声を披露しました。素晴らしいギターの演奏は「四季の歌」や「東京・北京」の全員合唱をより楽しいものにしました。
 参加者は餃子包みに腕をふるい、美味しさに舌ずつみしながらの催しに、楽しい充実感を味わいました。
 支部は日本と中国の友好を強めるため、今後も楽しい催しを引き続き行なっていく事にしています。なお、この取り組みなどをとおして6名の会員・準会員を迎えました。
 ある高齢者の方は「日中友好のために尽くしたい」と賛助会員(会費月1500円以上)になられました。(宋)

2006年 3月 10日 糸島支部 | | コメント (0) | トラックバック (0)

ウォーキングとバーベキュー会を開く (2005/10/29,11/14)

ウォーキングとバーベキュー会を開く
日中友好協会 糸島支部

◎ 10月29日「日中友好 秋のウォーキング」を行いました。参加者は小学生をいれて9名でした。
 朱雀福支部長の案内で元寇防塁を歩き、モンゴルと日本のかかわりなど、ガイドしてもらいました。
 その後、毘沙門山に登り玄界灘の白波の美しさに一同感激の声をあげました。

◎ 11月14日に新婦人二丈班と共催してバーベキュー会。20名が参加しました。
 二丈町の海でとれたカキを食べ、ビールを飲んで楽しい一日でした。なお、全国大会で糸島支部が受賞した優秀賞を紹介し、みんなに受賞を喜んでもらいました。

2005年 12月 10日 糸島支部 | | コメント (0) | トラックバック (0)

糸島支部 ピンポン交流会と第3回総会を開催 ( 2005/7/24 )

ピンポン交流会と第3回総会を開催 糸島支部 7月24日

ncitosima ピンポン交流会は参加者は楽しく汗を流し、スマッシュがきまるたびに歓声があがっていました。
 総会は県連から松山盛利事務局長が出席し、今日の日中関係、今後の展望について話しました。
 ひわだ正子二丈町議も会員として出席しました。
 総会では新会員の27才の青年が「自分はマスコミの報道で、日中関係を見ていた。これからは協会の中で日中関係を勉強していきたい。」との発言がありました。高齢の参加者に感謝するとともに、青年の参加は他の参加者をおおいに励ましてくれました。
 そして会員も増やすことを話し合いました。最後に池田守之副支部長の福岡支部転出を確認して、これまでの池田副支部長の指導と運動に深く感謝して総会を終えました。(東)

2005年 8月 1日 糸島支部 | | コメント (0) | トラックバック (0)

糸島支部 第4回総会 ( 2005/7/24 )

◎時 7月24日(日)
  ◆ 中国留就学生とのピンポン交流会 9時
  ◆ 総会開会 10時30分~12時
◎場所 伊都文化会館

2005年 6月 29日 糸島支部 | | コメント (0) | トラックバック (0)