友好と民主運動50年 戦後 戸畑でひとすじに 須崎健一さん(戸畑・七十六歳) --人生に友好の歴史あり②

須崎健一さん(戸畑・七十六歳) |
どこか「古武士」の風貌を漂わせる須崎健一さん(七十六歳)。厳しかった時代のことも楽天的に語る口調に、おおらかな人柄がにじみ出ています。一九三九(昭和十四)年三月、八幡で生まれ国民学校(当時)一年生の時から現在まで、戦後七十年間を戸畑で生活。二十歳過ぎから半世紀もの間、日中友好や民主運動一筋に生きてこられました。その人生と人柄を紹介します。 |
学習会参加がきっかけに
幼少期は田川郡糸田町の炭住街で育ち戸畑に転居。高校卒業後働き出した頃、九州工業大学の先生だった本荘光宏さんが自宅で開いていた学習会に参加します。本荘さんは日中友好運動の大先輩。戦後日本の民主化の道のりや社会の仕組み、中国との平和友好の話など引きつけられました。
一九五八年、五郡典夫さんが中国から帰国、西村義一さんらと共に日中友好運動を推し進めます。須崎さんは当時十九歳、正義感と情熱で迷わず友好と民主運動に加わりました。 小沢和秋衆議院議員の現地事務所の事務局長、黒崎合同法律事務所事務局長などを務めます。
一九九二年五十三歳の時、五郡支部長(当時)の依頼で支部長を引き受けた須崎さん。支部総会に来賓として参加した岩佐理事長の「会員拡大」の訴えに一念発起します。翌日弟さんに、その後知人友人に片っ端から入会を勧め、当時十二名だった会員が六十名と一気に五倍化しました。
この躍進をきっかけに八幡支部の結成、門司支部の再建、小倉・若松での活動へと発展します。 須崎さんは北九州協議会の事務所を開設、日中友好運動発展の拠点となりました。
「私の好きな三大映画は『初恋のきた道』『ニューシネマ・パラダイス』『ローマの休日』映画には文化が凝縮されている。中国映画の最高は『不屈の人々』多くの人に見てもらいたい」と目を輝かせます。自らもビデオカメラで映画を作成。支部総会では必ず中国映画を上映します。
「映画会や中国語教室、ギョーザ会など楽しいことをどんどん企画すべき、皆で話し合い笑いながら活動するところには自然と人が集まってくる」と語ります。
溢れるようなロマンを秘めヒューマニストの須崎さん、「活動に役立てて」と気前よく中国映画のDVDを県連に寄贈。周りを包み込む大らかな人柄は中国の大河を思わせます。
(訂正)2015/6/6 文中に、別な記事の文面があり、削除しました。
2015年 6月 5日 北九州協議会戸畑支部 交流 人生に友好の歴史あり | Permalink | コメント (0) | トラックバック (0)