カテゴリー > 中国人強制連行・強制労働事件
日中友好協会福岡県連合会
号外 2022年3月15日
日中国交回復50周年
第60回福岡県連大会成功裡に終わる!
~ZOOM14ヶ所を含め55人が参加~
(続報)大会発言 ⇒前半を読む
戦争は絶対ダメ
日高秀子(福岡・帰国者)さんは「ウクライナの戦争は帰国者の避難と重なってとても悲惨です。戦争は絶対起こしてはなりません。人間らしく生きたい、このままでは生活も心も苦しい。帰国者の声を国会に届けます。国会請願署名にご協力下さい。」
大学一(田川)さんは、ロシアのウクライナ攻撃に対して考えることを5点に纏めて報告。「①核兵器禁止条約を世界のすべての国が承認して署名する。②現在存在する各国の安全保障条約はすべて破棄する。国連憲章を守る。③世界の紛争は平和的に解決する。④世界のすべての国は戦争を放棄し、戦力を保持せず、交戦権を認めない。⑤基本的人権を尊重し、すべての人が平和のうちに生存する権利を認める。」

発言する稲津さん
コロナを乗り越えて
松永奉義(八幡)さんは「コロナ禍で行事が何もできなかったが、中国映画を見る会をとりくみ「山の郵便配達」を鑑賞して感銘を受けました。隣国中国との友好の為に頑張りたい。」
稲津克子(小倉)さんは「まんえん防止が解除されたので中国語講座を再開しました。宣伝紙を渡していた市民劇場のお友達に協力をお願いして新聞が増えました。」
中国人強制連行慰霊碑建立
松本正(飯塚)さんは「三菱マテリアルが飯塚炭鉱で強制労働させた中国人と和解が成立。現存する巻上機の土地155坪を購入して慰霊碑建立の実行委員会をつくって準備しています。その資金は、歴史人権平和基金管理委員会(三菱、弁護士、中国人当事者で構成)に申請中で間もなく承認される見通しで年内には完成する予定です。」
堀榮吉(大牟田)さんは「大牟田宮浦坑の慰霊碑建立から10年目を迎えています。宮浦石炭記念公園内の用地契約が10年となっており、今年は7月17日に予定しています慰霊祭を盛大に催して存続できるようにしたい。自分自身は90才となり、74人の帯封をつくって配布集金しています。若い協力者のお母様が入会され心強く感じています。」
「中国百科テキスト」は中国をまるごと知る
松尾武蔵(筑紫)さんは「中国の歴史、地理、文化、政治・経済の4分野の専門家が執筆した『中国百科テキスト』は中国を知る宝の資料です。日中両国民の相互理解を深める上で欠かせません。中国が改革開放以来急速な経済成長を遂げ、2022年には「高所得国」入りを果たし、さらに「共同富裕」を目指しています。中国の変化は「増補版」で補強されています。中国の正確な情報を知る為にみんなで学び合いましょう。『中国百科検定試験』は知ることの喜びを体験するいい機会です。挑戦しましょう。」
星野信(福岡)さんは「コロナの影響で両国民の交流が停滞しています。それでも、日中両国の若者は相互理解を深める努力を続けています。政治的な溝は広がっていますが、昨年の内閣府による世論調査では、18才から29才の若年層は『中国に親しみを感じる』との回答は41.6%で全体平均20.6%の2倍と毎日新聞は報じています。」

(左から)松尾さん、原田さん、
議長の岩佐さん、片山さん、
挨拶する稲村会長
大会のまとめ
原田祥昌事務局長はまとめで「13人の発言は支部活動の教訓になるものでした。中国総領事のオンラインでの挨拶は画期的でした。日中国交回復50周年を跳躍台にさらなる友好を発展させていきましょう。
ロシアによるウクライナ侵略は国連憲章をないがしろにするもので国連では非難決議が141ヵ国の賛成で採択されました。武力は許さない、田川支部の5つの決議は指針となるものです。
学生の報告は若者の実状を知るいい話でした。百科検定予備講座は中国を知るいい機会です。全国に発信されることになりました。
帰国者のとりくみを全面的に支えて要求実現をやり遂げましょう。コロナを乗り越えた支部活動が生き生きと語られたのは、今後の展望を示すものとなりました。
県連の前進を目指してともに奮闘しましょう。」と結びました。
2022年 3月 20日 福岡県連合会 イベント・講演 中国人強制連行・強制労働事件 中国残留邦人帰国者 交流 中国百科検定 | Permalink
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「中国の大地に立ち、空気を吸い、交流すること。中国の人は一見よそよそしいが情が深く平和を望んでいる」。 自ら体験して語る言葉には含蓄があります。 37年間、国語の高校教師を務めながら日中友好運動にかかわってきた野田一好さん。 その生き方を30年以上貫いた背景には、笠実さん(元県連常任理事・全国理事、故人)との貴重な出会いと中国留学の経験があります。 中国人強制連行慰霊碑の建立や慰霊祭に協力し、若い留学生との「草の根交流」を進める野田さんを紹介します。 |
「中国人留学生と
の交流が楽しみ」
と語る野田さん
高校教師在任中 京劇・白毛女
に感動 協会に入会 野田さんは1942年1月、八女郡広川町で出生。 地元の高校卒業後、広島大学に進学。
国語教育学を学ぶ一方、原爆の恐怖に触れます。 数年間、広島の高校で教鞭を執った後、西宮の高校に転勤。
72年の日中国交回復の頃、京劇の「白毛女」などを鑑賞、中国語サークルに参加します。
福岡県の高校に戻り、日中友好の機運が高まる中、協会に入会。
中国から筑後市の縫製会社に来た若い研修生たちへ日本語を教えたりしました。
草創期に貢献された笠実
さんとの出会いが転機に 79年(昭和54)、黒木高校在任時、友好運動を通じて笠実さんと出会います。 野田さん37歳、笠さん73歳の時でした。
久留米出身の笠さんは39年(昭和14)、北支方面軍の宣撫官として従軍。 敗戦後、撫順戦犯管理所に収容されます。
そこでは、自己告白による「認罪」という教育方針が執られました。 「鬼から人間へ」と生まれ変わり、11年間の禁固刑満了により釈放され、61年に帰還。 草創期の日中友好運動に貢献されました。
「笠先生との出会いは、日中不再戦・平和友好の生き方に確信を与えてくれました。戦犯を人間として扱う中国側の真摯な態度を聞き敬服しました」
二年半 中国に語学留学
偏見無くし 交流に確信 退職後二年半、上海大学と上海体育学院に語学留学します。
「留学中、かつて軍国主義者が行った侵略行為で批判されることはありませんでした。情が深く、先祖を大事にする中国の人々の態度に偏見がなくなり、多面的に物事を見れるようになりました」
留学生と交流「将来、中国の
指導者に」と期待込め 久留米大学の中国人留学生との交流は10年以上に、映画会を催したり、留学生が中心となって行う春節の会や大学合同の忘年会に支部として参加します。
日本の文化を紹介しようと「大地の子」や武士の一分」などを上映しました。
「中国の若い人との交流を大事にしたい。日本の文化や考え方を理解し、将来国の指導者になってくれることが楽しみです」と嬉しそうに語る野田さんです。
2016年 10月 3日 中国人強制連行・強制労働事件久留米筑後支部 人生に友好の歴史あり | Permalink
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「三菱勝田炭鉱大谷坑(糟屋郡宇美町)には終戦一年前、中国から三百五十二人が強制連行されました。終戦も知らされずに危険な坑内労働を強いられ、四分の一の八十七名が死亡しています」。時折、玄界灘に視線をやりながら静かに語る岩佐英樹さん(現県連副会長・玄界灘支部事務局長)。穏やかな表情の中にも歴史の真実を見極める強固な意思と犠牲者へのやさしい心情があふれています。高校教師を務めながら半世紀以上も日中友好運動に関わってこられた人柄を紹介します。 |
五歳の時、父親が他界
南海大地震の津波を経験
一九四一(昭和16)年、徳島県椿泊村生まれの岩佐さん。戦後間もない五歳の頃、相次ぐ不幸に見舞われます。小学校教師だった父親が盲腸から腹膜炎を併発し他界。津波に襲われた時は叔母に抱かれて逃げ、九死に一生を得ます。
十三歳の頃、親類の人々と一緒に当時、以西底引き網漁業の拠点だった福岡市の港町に移住します。
家族で福岡へ移住、叔父
の一言で中国に関心抱く
舞鶴中学に入学、母親は看護婦として済生会病院に勤務、頼りにしている親類は漁師として働く生活が始まりました。
当時、中国は東シナ海沿岸に「華東ライン」を設けていました。付近を操業していた伯父たちが中国側に拿捕されるという事件が起きます。
一年後、帰国した伯父は「中国側の対応は親切。建国の喜びにあふれ民族独立や平和の素晴らしさを学んだ」と語り、その一言が岩佐さんの生き方を方向づけます。
高校の社会科教師に、
修学旅行で生徒と共に
中国へ
北九州大学の中国科で学び社会科の高校教師に。一九八八年、宇美商業高校は県下で初めて中国へ修学旅行、中国についての特別授業も行い生徒を引率。社研部の顧問も定年まで担当します。
一九九三年、NHKが「華人労務者就労顛末報告書」の存在を大スクープ。これは戦後、外務省が全国百三十五の事業所から強制労働の実態を報告させたもので長年政府が秘匿していました。
強制連行の史実を調査
ライフワークに
一九九五年、岩佐さんは社研部員と上京、東京華僑総会を訪ね、三菱勝田大谷坑の「同報告書」を入手します。
一九九八年、大谷坑の犠牲者四十七名の遺族に「アンケート」を送付。一通だけ返事があり、はじめて中国の犠牲者遺族と連絡が取れました。
「大谷坑では中国人労働者が敗戦を知り一斉蜂起した事実もわかってきました。これらの歴史を正しく伝え、友好運動に貢献したい」と熱く語る岩佐さんです。
2016年 1月 30日 中国人強制連行・強制労働事件玄界灘支部 人生に友好の歴史あり | Permalink
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11月22日、日中友好協会田川支部は2002年に建立した中国人強制連行殉難者慰霊碑の前で、戦後70年の節目の年にあたり、慰霊祭を行いました。
当日は、中国総領事館の韓昇良領事、地元の田川市長、町長、県・市会議員、各団体、市民、県内各地の協会関係者など60人を超える人々が参列し、再び戦争をしないことを誓いあいました。
669人連行し27人の命が
大学一田川支部長は、「三井炭鉱鉱業所のこの地に中国人669人を強制連行し27人の尊い命が奪われました。この事実に向き合うことは過去の過ちを再び繰り返すことの無いようにすることです。」と慰霊祭の目的を表明し、参列者に謝意を述べました。
内閣決定で、強制連行
一番ヶ瀬宗幸県連顧問は、1942年、東条内閣時、閣議決定で、中国人38935人を強制連行し炭鉱などで強制労働させ、6830人が犠牲となった悲惨な状況を報告しました。また、強制連行者への謝罪と賠償を求めて裁判を行いました。最高裁で敗訴となりながらも「関係者の努力によって救済されることを期待する」という『付言』があることを紹介しました。
日中友好協会に感謝
中国総領事館の韓昇良領事が李天然総領事のメッセージを代読し、「いまも異国の地に眠る中国人殉難者に冥福を祈ります。戦争責任と賠償について少しずつ進展を見せています。日中友好協会やみなさんのご尽力に感謝します。70年前、軍国主義者によって中国人民と日本国民へ多大な犠牲をもたらしました。この過ちを繰り返さないために日中友好を深めていきましょう。」と心のこもった言葉を述べました。
歴史を忘れてはなりません
二場公人田川市長は「この歴史を忘れてはなりません。」、島野勝福智町長は「図書館歴史資料館を開館の計画です。この田川の歴史を見直していこうと話し合っています。」、佐々木允県議は「中国の戦争記念館を視察してきました。
若い世代のみなさんと歴史の問題など話し合っていきたい。」と哀悼の辞を述べました。
厳かな中で献花
参列者は田川支部の「二胡サークル」のみなさんが演奏する厳かな中で献花し、国境を越えてこの地に眠る御霊に哀悼の誠をささげました。
閉会挨拶で松山盛利県連会長は「中国の地で強制連行され、酷使され死に至らされた中国の方の悲しみは計り知れません。この悲劇を再び繰り返さないことを誓い、鎮魂碑の『日中不再戦・平和』の願いを全国に広めていく決意です。」と平和への決意と参列者に謝辞を述べました。
2016年 1月 30日 田川支部 中国人強制連行・強制労働事件 | Permalink
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国語教師との出会いがきっかけ
「戦後のレッドパージで職を奪われ、佐賀県唐津から妻の叔父を頼って田川に来た時は心細かった。
持ち物は布団一組と米一升」当時二十歳過ぎの松枝さん夫婦にとって田川での生活はゼロからのスタート。
ガリ版印刷の技術を生かし、すぐに印刷屋を始めます。「この地で生き抜く」覚悟を決めた松枝さん、友好運動の推進や田川民主商工会の結成など、旧産炭地にまかれた一粒の種が芽吹き、今日大きく発展。
おだやかで誠実な人柄を紹介します。
一九二九(昭和四)年、佐賀県生まれの松枝さんは終戦当時、工業高校生。
国語の岡正芳先生との出会いが社会を見る目を持つきっかけになりました。
戦争の悲惨さや戦後の荒廃を目の当たりにし、不再戦を誓い社会を変えていく生き方を求めるようになります。
杵島炭鉱の労組書記に
結婚 そしてレッドパージ
高校卒業後、駅弁屋で働き折尾駅でキャンデー売りをします。
駅弁屋の二階にあった産別会議(当時の労働組合総連合)事務所の方と知り合いになり、ガリ版切(謄写版での印刷方法)が得意だった松枝さんは紹介で上京。港区の港生協で働きます。
二十歳のころ帰郷。杵島炭鉱大鶴鉱業所(佐賀県唐津市肥前町)の労働組合で書記として働き、その頃、選炭婦をしていたミチヨさんと知り合い結婚。
新婚生活もつかの間、アメリカ占領軍の命によるレッドパージによって松枝さんを追い出すため、会社側はミチヨさんを同調者として解雇。
炭鉱を追われた松枝さん夫婦は、夫人の伯父を頼って田川に。
持っていたのは布団一組と一升ばかりの米だけでした。
田川で印刷業スタート
献身的に友好平和運動
謄写版印刷で開始、三年目でやっと商売も軌道に乗り始めました。
タイプ印刷機からオフセット印刷機、写植機と印刷機も徐々に増えていきました。
学校関係の文書や文化雑誌の印刷、三井田川鉱業所からの注文など仕事も増え、同業者と「田川印刷工業協同組合」を設立しました。田川民主商工会も創立。
子供会の会長や診療所の健康友の会会長、公民館館長なども務めました。
日中友好協会田川支部の創立にも尽力。
当時からの健在者は、今では一番ヶ瀬さんと松枝さんの二人だけです。
友好運動に力を注ぎ、一番ヶ瀬さん(現県連会長)や仲間と「日中不再戦の碑」や「強制連行殉難者の碑」を建立。
特技を生かし、集会などの垂れ幕、式次第など毛筆で書くことは一手に引き受けています。
また30年間会計監査を担当してきました。
「絵画と書」歴三十六年
学習意欲に衰えなし
幼少のころから絵が得意だった松枝さんは五十歳から日展会友の江田茂人氏(故人)に師事し、本格的な油絵の勉強を始めます。
学び始めるころ知人に相談すると「五十過ぎて今さら」と反対されましたが意思は変わりません。
水彩画は独学で習得。同時に書の勉強も奥さんと一緒に始め、千鳥橋病院の新館に北アルプスを描いた500号の油絵を寄贈。
半世紀以上の平和運動と社会貢献、芸術活動に情熱を注ぐ生き方は後に続く多くの方に感銘と生きる指針を与えています。
2016年 1月 23日 田川支部 中国人強制連行・強制労働事件 人生に友好の歴史あり | Permalink
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「慰霊碑建立に感謝」 中国大使 程永華氏
県連会長ら四名 中国人殉難者座談会に出席
九月十八日、中国大使館主催の「中国人殉難者慰霊碑維持管理者座談会・懇親会」に招待され、田川から一番ヶ瀬宗幸県連会長と中村仁美支部事務局長、大牟田から堀榮吉支部副支部長、県連から星野信事務局長が出席しました。
全国から二十八ヶ所で慰霊碑を維持管理している代表五十七人が参加、熱心な報告が行われました。
主催者側は程永華大使、劉少賓・郭燕公使、汪婉大使夫人ら参事官と福岡・長崎・札幌・新潟・大阪・名古屋の各総領事館の代表が列席。
程永華大使は「中国人の殉難者を哀悼して慰霊碑を建立し、今日まで慰霊祭を続けてこられたみなさんに感謝します。 八十四年前の九月十八日は日本の軍国主義者が『柳条湖事件』をきっかけに中国に対する侵略を始めた日、歴史を振り返り平和を願う重要な日です。 正しい歴史感を銘記していかなければなりません。後世に伝えるために関係資料をまとめていきたい」と意欲を示しました。
一番ヶ瀬会長が田川の慰霊碑の取り組みを、星野事務局長が大牟田の同取り組みを報告しました。
懇親会は少ない時間でしたが福岡総領事館張梅副総領事と懇談して交流を深めました。
2016年 1月 13日 福岡県連合会田川支部 中国人強制連行・強制労働事件大牟田支部 | Permalink
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九月十八日、中国大使館主催の「中国人殉難者慰霊碑維持管理者座談会・懇親会」に招待され、田川から一番ヶ瀬宗幸県連会長と中村仁美支部事務局長、大牟田から堀榮吉支部副支部長、県連から星野信事務局長が出席しました。
全国から二十八ヶ所で慰霊碑を維持管理している代表五十七人が参加、熱心な報告が行われました。
主催者側は程永華大使、劉少賓・郭燕公使、汪婉大使夫人ら参事官と福岡・長崎・札幌・新潟・大阪・名古屋の各総領事館の代表が列席。
程永華大使は「中国人の殉難者を哀悼して慰霊碑を建立し、今日まで慰霊祭を続けてこられたみなさんに感謝します。八十四年前の九月十八日は日本の軍国主義者が『柳条湖事件』をきっかけに中国に対する侵略を始めた日、歴史を振り返り平和を願う重要な日です。正しい歴史感を銘記していかなければなりません。後世に伝えるために関係資料をまとめていきたい」と意欲を示しました。
一番ヶ瀬会長が田川の慰霊碑の取り組みを、星野事務局長が大牟田の同取り組みを報告しました。
懇親会は少ない時間でしたが福岡総領事館張梅副総領事と懇談して交流を深めました。
2015年 12月 7日 福岡県連合会田川支部 中国人強制連行・強制労働事件 交流大牟田支部 | Permalink
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中国人強制連行・強制労働事件の
全容と全体解決への展望
講師 松岡 肇 弁護士
中国人強制連行・強制労働事件全国弁護団幹事長
元同福岡訴訟弁護団事務局長
〇日時 2015年9月12日(土)
午後2時~4時
〇会場 福岡市民福祉プラザ
1F・ふくふくホール
〇入場無料
〇主催 松岡肇弁護士出版記念講演実行委員会
日中友好協会福岡県連合会 ☎092-761-0604
両国の間に真の歴史和解を実現させるために、戦後補償裁判に長年かかわってきた弁護士が「政冷経冷」状態の日中関係を氷解させる第一歩を提案する。
日本は、アジア太平洋戦争の末期に、政府の方針に基づいて占領下の中国から約四万人の中国人男性を日本に強制的に連れてきて、重労働をさせた。これが中国人強制連行・強制労働事件である。
外務省の文書によれば、日本の35の企業が135の事業所でこれらの人々を強制労働させ、6830人が亡くなった(死亡率=18%)。日本各地で損害賠償を
求める裁判が起こされたが、すべての裁判が請求を認めない結果(敗訴)に終わった。しかし、裁判後も被害の賠償を求める動きが後を絶たない。なぜなら歴史
的事実として、国と企業の共同不法行為だということを日本の最高裁が認めているからである。
戦後70年を迎える2015年。日本政府が「謝罪」「賠償」を拒む中、加害企業の中には和解する企業も出てきた。
本書は、この事件を未解決にせず、両国の間に真の歴史和解を実現させるために、戦後補償裁判に長年かかわってきた弁護士が「政冷経冷」状態の日中関係を氷解させる第一歩を提案する。
2015年 7月 23日 イベント・講演 中国人強制連行・強制労働事件 | Permalink
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ご案内
『三井三池炭鉱宮浦坑中国人殉難者』
第三回慰霊祭
◎時・七月十二日(日)午後二時
◎所・大牟田市宮浦石炭記念公園内
「殉難者慰霊碑」前 ご参加の方は日中友好協会福岡県連合会にご連絡ください
昨年の慰霊祭の スナップ写真
2015年 5月 29日 中国人強制連行・強制労働事件 交流 | Permalink
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61人が平和を誓う
日中友好協会大牟田支部、熊本支部、福岡県連合会主催「三井三池炭鉱宮浦坑中国人殉難者第2回慰霊祭」が7月13日、大牟田市宮浦坑石炭記念公園にある慰霊碑前で61人が参列して献花参拝を行いました。
あたたかく奏でる二胡演奏
慰霊祭は、やさしくあたたかく美しく奏でる二胡の演奏で始まりました。首藤小由美さん、井上かなさん、上村順子さんによる「島の風」(劉福君作曲)など3曲が、殉難者の冥福を祈り、平和への願いを込めて演奏されました。
河野一弘大牟田支部事務局次長の司会で進行し、主催者を代表して堀榮吉同支部副支部長が挨拶。「この三池炭鉱には2481人が強制連行され、635人の尊い命が奪われました。宮浦坑では44人が犠牲となりました。この悲劇を後世に伝え、過去の過ちを繰り返さない為に、昨年8月に慰霊碑を建立しました。除幕式に参加された中国の崔書進原告団長が昨年11月に亡くなりました。中国では、今年、2月から4月にかけて原告6団体933人の方々が旧三菱・旧三井企業に対して中国の裁判所に訴訟を起こし正式に受理されています。原告団の遺志を受け継いで企業と国の責任を果たさせ、裁判闘争を勝利させたいと決意をしています。また、熊本県荒尾市の四山坑・萬田坑の中国人殉難者591人の慰霊碑建立もこれからの課題です」。
福岡総領事など6人が挨拶
駐福岡総領事館李天然総領事(代理張馳中国領事、古賀道雄大牟田市長、中西倫仁日本共産党県政対策委員長、岩佐英樹福岡県連副会長、加藤修熊本支部長、稲村晴夫弁護士が平和を誓ってあいさつしました。
集団的自衛権閣議決定に抗議
「集団的自衛権行使容認の閣議決定に抗議する」決議しました NHKテレビ、朝日、熊本日日、有明新法が報道しました。
2014年 7月 26日 中国人強制連行・強制労働事件 交流大牟田支部 | Permalink
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福岡県連13番目の支部となる飯塚支部が4月26日誕生しました。
結成総会には各新聞が事前に報道したのを見て参加したという、3人の初顔の方を含め31人が参加して、期待が膨らむ結成総会となりました。
佐々木裕子さんの司会で議事は進行。支部準備会の松本正さんが、昨年の7月から13回の会合を重ねながら、太極拳体験教室や領土問題の講演会などを企画し、支部結成に必要な構成員20人を超える仲間を増やし今日の結成総会にこぎつけた経過を報告。
準備会代表の登野城安俊弁護士は「歴史を逆行する動きに対して、戦争中に中国人を強制連行したこの飯塚の地に支部を結成することは大きな意義がある。大きな志をもって日中友好の運動を進めていきましょう」と情熱をこめて挨拶。来賓として福岡県連の一番ヶ瀬宗幸会長が連帯の挨拶を述べました。
協会本部の「感謝と連帯のメッセージ」を松尾武蔵理事長が紹介。今後の活動方針、支部の規約、予算、役員が提案され拍手で承認されました。
支部長に登野城弁護士
新役員を代表して登野城支部長は「日本と中国が再び戦争をしないよう、日中両国民の相互理解と友好を深める目的を実現する支部活動にとりくみます」と決意を述べました。
最後に川上副支部長は「元気に、楽しく、おおらかに運動していきましょう」と閉会の挨拶を述べて歴史的な結成総会を終わりました。
二胡、横笛演奏も
飯塚支部結成を記念して二胡奏者の劉福君さんの門下生である中村博光さんと平田小百合さんが二胡を、また、田中勝昭さんが横笛を奏者し参加者を魅了しました。
2014年 6月 14日 中国人強制連行・強制労働事件飯塚支部 | Permalink
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崔書進さん 逝去 強制連行福岡訴訟原告団長
8月4日に開催した「三井三池炭鉱宮浦坑中国人殉難者慰霊碑」の除幕式・第一回慰霊祭に四人の中国代表の一人として出席された崔書進さんが、11月5日に八十八歳で亡くなられました。
崔さんは、中国人強制連行強制労働福岡訴訟原告団・団長でした。
中国の康健弁護士から連絡を受けた、大牟田支部の堀 榮吉副支部長は、次の哀悼の意を伝えました。
堀大牟田副支部長から 康健弁護士へのメール
急逝のお知らせに心からの哀悼の意を表します。
康健先生のメールを拝見してびっくりしました。8月3日~7日までの5日間ご一緒した時は、あんなに元気だったのにと悔やまれてなりません。
私たち夫婦は11月6日~8日まで、「康 健先生の萬田坑の資料作成に感謝しながら」沖縄の平和の礎の調査に行き、自宅に帰ったのは21:30すぎでした。
「42萬人超の沖縄戦の犠牲者平和の礎」は萬田坑・四山坑の591名の記念碑建立の参考に役立つことになりました。
2000年11月花岡事件(秋田県 鹿島建設)、2004年9月大江山事件(京都府 日本治金)、2009年10月安野事件(広島県 西松建設)、2010年4月信濃川事件(新潟県 西松建設)、いずれも中国人被害者と加害企業との間で和解が成立して解決しました。
崔 書進さんの意志を受け継いで、三井・三菱の企業と政府に対する責任追及の闘いを勝利するまで闘い続けることをお誓いして、生前の闘いに敬意をこめてお別れの言葉といたします。
2013年11月10日
日本中国友好協会 大牟田支部役員・会員一同
堀 榮吉
2013年 12月 7日 中国人強制連行・強制労働事件 | Permalink
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宮浦坑石炭記念公園
100人を超える参加者
日中友好協会大牟田支部、福岡県連合会、熊本支部主催の「三井三池炭鉱宮浦坑中国人殉難者慰霊碑除幕式・第1回慰霊祭」が8月4日、大牟田市宮浦坑石炭記念公園で100人を超える参加者が見守るなか行われました。
90歳の中国人原告が幕あけ
矢田正剛大牟田支部事務局長の司会で、中国人強制連行強制労働福岡訴訟原告団長の崔書進さん(90歳)と原告のご子息謝民さん、福田紀彦大牟田支部長、岩佐英樹福岡県連副会長、加藤修熊本支部長の五人が幕をあけました。
御影石に刻まれた44人の殉難者は20代、30代の若者ばかり。暴力的労働の果てに故郷へ帰ることもなく、異国の地に眠らなければならなかった無念さが伝わってくるようでした。
市の理解で慰霊碑が
主催者を代表して堀榮吉大牟田支部副支部長は、「『悲しみは国境を越え ここに眠る』碑文は日本語と中国語が刻まれています。アジアで2000万人が犠牲となり、日本人が300万人を超える死者を出したあの戦争は再びしないと誓った表れです。宮浦坑には574人が連行され44人が死亡、万田坑・四山坑には1907人が連行され591人が死亡しています。来年は萬田坑にも慰霊碑を建立する計画です。」と挨拶しました。
(※訂正:『万田坑には694人が連行され194人が死亡しています』とありましたが、『万田坑・四山坑には1907人が連行され591人が死亡しています』に訂正します。[2014年1月10日])
民間交流に期待
中国駐福岡総領事館の白涛領事は、「日本軍国主義者の侵略戦争により、日中両国民が多大な犠牲を被りました。歴史を鑑として未来に向き合うことが大事なことです。今年は日中平和友好条約締結35周年の記念すべき年です。日中友好の草の根の民間交流は日中関係の改善に大きな役割を果たします」と挨拶しました。
市長からメッセージ
大牟田市長からの「中国人殉難者の事は、大牟田市民にとっても忘れることができないものです。遠いこの地に眠る御霊の安らかなことを祈念します」とのメッセージを市企画総務部長の井田啓之さんが代読しました。
日中友好協会の努力忘れることはできません。
中国人原告団の康健弁護士は、「強制連行被害者と共に調査に来た時、その人は線路にしがみつき泣き崩れていました。中国人は人間扱いされなかったのです。日本政府と三井の会社の冷たさを感じます。戦後68年もたっているのにその事実を認めないのは理解できません。『人の言うことを聞くだけではない。行動を見てください』という諺があります。日中友好協会やみなさんの努力で慰霊碑が建立されたことは、私たちにとって忘れることはできません。日中両国民の友好が深まっていけば戦争はなくなると思います」と結びました。
殉難者の声が伝わってくる
東京から駆けつけた森田大三弁護士は、「裁判は終わっていますが、国と企業の不法行為をはっきりと認めました。西松建設とは和解が成立しました。今後は三菱や三井との交渉で解決すべきです。慰霊碑が大きな煙突の真下に建立されたことは感動しています。中国人殉難者の事、アジアの平和のことを考える慰霊碑となることでしょう。これから毎年慰霊祭が行われるたびに、過去を反省し、未来に何をなすべきか、日中の平和のために決意を新たにしていきましょう」と挨拶しました。
歴史を語る立派な遺産
福岡県連からは岩佐英樹、松山盛利両副会長、松尾武蔵理事長、星野信事務局長をはじめ、役員、会員が多数参加し、代表して岩佐副会長が武田正勝会長のメッセージを紹介した後「福岡県は北海道に次いで多く、5企業16事業所に6090人を連行し648人が死亡しました。中国人がどんな目にあったか。ちょっと休んだだけで斧で足を殴られ歩けなくなったり、暴力が当たり前だったのです。証言によると、1升の米を4斗の水で炊き、どんぶりには26粒の米が入っているのみで、収容所の周りの草はすべて食べつくされたそうです。歴史の真実を語る立派な遺産が建立されました」と語りました。
熊本でも建立を
弁護士の加藤修熊本支部長は、「熊本の荒尾市にも中国人殉難者がたくさんいます。この慰霊碑のごとく熊本でも建立する計画です。若い20代、30代の犠牲者の名が刻まれています。このようなことは2度と許されるものではありません」と挨拶しました。
日本語と中国語で碑文を
雨が降り出した中で碑文「悲しみは 国境を越え、ここに眠る」日本語文を大牟田支部の北岡恭子さんが。中国語文は通訳の耿春梅さんが朗読しました。
献花の後も雷鳴はとどろき、殉難者の叫びが腹の底まで響わたっているようでした。
最後に大牟田センター合唱団の浦田伊佐雄さんのアコーデォンの伴奏で「友情の誓い~東京ー北京」を合唱しました。
激しい雨の中をホテルへ移動して、招待した中国の方と交流し懇親を深めました。

悲しみは 国境を越え ここに眠る
去る世界大戦の末期において、日本政府は国内の労働力不足を補うために、当時侵攻していた中国大陸で
中国人捕虜や住民などを強制的に連行しました。中国人約4万人が強制連行され、炭坑、港湾や土木作業に従事させられ、過酷な労働や事故、病気等によって約
7千人が無念の死を遂げられました。
三井三池炭鉱にも萬田坑や四山坑、宮浦坑などに2481名が連行され、635名が尊い命を奪われました。船中死亡95名は水葬されました。
この三井三池炭鉱宮浦坑では、574名が連行され、強制労働に従事させられ、そのうち44名が亡くなられました。
生きて母国へ帰還できなかった無念の思いを考える時、戦争による強制連行・強制労働は人間として許されない罪悪であります。
私たちは今こそ中国人殉難者に心から謝罪し、この過ちを繰返さない為に、あなた方のみ霊の前に永久不戦、恒久平和の誓いと日本と中国の友好を進めることを決意し、ここに「三井三池炭鉱宮浦坑中国人殉難者慰霊碑」を建立いたします。
2013年7月7日
2013年 8月 16日 福岡県連合会 中国人強制連行・強制労働事件大牟田支部 | Permalink
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福岡県弁護士会「新役員祝賀会」が5月22日、ホテル・ニューオータニで行われました。
招待を受けた福岡県連は、岩佐英樹、松山盛利両副会長、松尾武蔵理事長、星野信事務局長が出席し、中国人強制連行事件や帰国者支援で尽力いただいている弁護士のみなさんと交流を深めました。
千人を超える弁護士会の「祝賀会」とあって、盛大な中にも、不祥事を根絶する決意のこもった凛としたものが感じられました。
橋本千尋県弁護士会会長は「弁護士法第一条に示されている『 弁護士は、基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とする。』原点にたちかえり、国民の立場に立って人権を守る、戦後復興のさなかに誕生した弁護士法は、あの間違いを繰り返さない社会の実現です。今後信頼回復に努力します。」と挨拶しました
2013年 6月 1日 中国人強制連行・強制労働事件 中国残留邦人帰国者 | Permalink
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7回目の中国人殉難者慰霊祭開く
総領事、大牟田、荒尾両市市長代理など
53名が出席。日中友好を誓う

10月14日、熊本県立公園・小岱山の中腹にある「三井三池炭鉱中国人殉難者慰霊塔」前で第7回慰霊祭が行われました。
慰霊祭は協会大牟田支部事務局長の矢田正剛さんの司会で進められ、最初に中国駐福岡総領事館の劉光耀領事が李天然総領事のメッセージを代読し、「中国と日本は、『一衣帯水の隣国』であり、2千年に及ぶ交流の歴史があり平和と友好の広がりは中日両国民の願いです。」と述べました。
次に、荒尾市・前畑淳治市長代理として保健福祉部長の鶴弘幸さんと大牟田市・古賀道雄市長代理として企画総務部総合政策課課長の湯村宏祐さんがそれぞれ市長のメッセージを代読しました。
その中では、両市の行政として中国との交流事業にもふれながら今こそ友好親善を広げるために努力しましょうと訴えました。
この後、県連の松尾武蔵理事長、同熊本県支部長の加藤修さんが挨拶しました。
大牟田支部副支部長の首藤心子さんが協会の都城支部、佐賀支部、大分支部、鹿児島県歴史教育者協議会からのメッセージを披露しました。
最後に、「慰霊塔を守る会」会長の兵藤重郎さんがお礼のあいさつを行いました。
兵藤さんは、慰霊塔建立の願主・深浦隆二さんが亡くなって今年が13回忌であることにふれながら「深浦さんは大変気骨のある方でした。私の父は、深浦さんと幼友達で一緒にがんばってきました。本日は、大勢のみなさんに来ていただいて大変ありがたく思います。この慰霊塔が日中友好の力となるようにがんばります。」と感謝の言葉を述べました。
献花・参拝の最初に玉名市の永田伸一さんが碑文「悲しみは国境を越えて」を朗読しました。
次に、参加者全員が菊の花一輪を霊前に捧げ苛酷な状況の中で無念の死を遂げた中国人労働者に思いをはせながら慰霊しました。
閉会あいさつを大牟田支部副支部長の堀榮吉さんが行い、堀さんはごく最近、中国北京で強制連行被害者原告団と懇談したことにもふれながら、「今後、慰霊祭を継続させ日中友好と被害者救済の活動を強めましょう。」と訴えました。
この日は、ベニヤ板4枚に県連が行った16事業所探訪の写真を展示し、新聞社からの取材もあり大きく報道されました。
また、この取り組みの中で「北京の中国人被害者との交流旅行」も行いました。
2012年 10月 27日 中国人強制連行・強制労働事件 交流大牟田支部 | Permalink
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第 9 回 |
9月11日 (火) |
「日本古代史の隠された真実」 ~中国正史の証言の重みと確かさ~ |
荒金 卓也 (日本古代史研究家 、鑑真研究家、 元中学校国語教諭) |
第 10 回 |
10月9日 (火) |
「沖縄の文化」 ~中・日・朝を紡いだ独自の海洋文化~ |
西表 宏 (香蘭女短大教授、 国文学者、福岡沖縄 県人会会長) |
第 11 回 |
11月13日 (火) |
「南シナ海、波高し」 ~米中世界戦略とアセアンの役割~ |
王 鵬 (大連市出身、 比較社会文化博士 、国際関係・国際経 済学者) |
第 12 回 |
12月11日 (火) |
「中国生活6年“私の中国報告”」 ~漳州・ハルビン ・泰州・上海での体験~ |
石津 宏介 (在中国・日本語教 師、元高校国語教 諭) |
第 13 回 |
1月8日 (火) |
「史跡で見る玄界灘と大陸」 ~中国・朝鮮と宗像・粕屋の文化往来~ |
福津市文化財係 担当 (福津市教育委員 会) |
第 14 回 |
2月12日 (火) |
「戦時下、三菱勝田大谷坑(宇美町) に於ける中国人強制労働事件とは」 ~高校生が発掘した地域の歴史~ |
岩佐 英樹 (日中・玄界灘支部 事務局長、元高校 地理・歴史教諭) |
第 15 回 |
3月12日 (火) |
「中国の『軍拡』を読み解く」 ~中国は軍事強化と日米軍事同盟~ |
王 鵬 (大連市出身、 比較社会文化博士 、国際関係・国際経 済学者) |
2012年 9月 1日 イベント・講演 中国人強制連行・強制労働事件玄界灘支部 | Permalink
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門司支部ついに再建
6年間の「血と涙の結晶」
5月27日、長期間準備してきた再建総会がやっと開かれました。
門司は会員数が支部基準数を大きく落ち込み、総会も開かれず、5年もの空白がありました。しかし、中国人強制連行の上陸地である門司に何としても支部を再建するために、県連、北九州協議会の応援をえながら、準備メンバーは「血と涙の努力」を続けてきました。
メンバーには病人が多く、その上、支部長以外に役員はおらず、総会開催に関わるのが初めて人もいる有様でした。参加者目標は、会員20名の倍以上。チラシ1500枚を配り、郵便、電話での案内もしました
当日は、門司みなと祭りの最終日の日曜日。気をもむ中、43人の参加となりました。会員外の方が多く、八幡、戸畑、小倉各支部からも参加され、本部からは、メッセージが寄せられ、福岡県連の松尾理事長が再建の祝辞を述べました。
迎由理男教授が講演
永いこと、日中としての独自の活動がほとんどなく、さまざまな中国問題が、渦巻く中で、多くの人が、「最近の中国事情について」ありのままを知ってもらうことが大事と、総会の前に講演会をおこないました。
講師には、北九州大学経済学部の迎由理男教授にお願いしました。
質問では、「汚職に対しての政府の姿勢」「中国は嫌いだが文化や自然の遺産には、親しめる」などが出されました。
議事では、中国を客観的に正しく、理解できるような学習会、会員が友好と平和のために活動できるよう務めること、強制連行中国人犠牲者の慰霊碑建立に向けての調査などが提案されました。 討議では、辛亥革命で孫文が、長い中国の王朝支配を倒し、選挙制と共和制をアジアで初めて導入した歴史的な先進面を紹介する発言もあり、すべての議案が承認されました。
2012年 7月 1日 中国人強制連行・強制労働事件門司支部 | Permalink
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PDFファイル (744KB)
にいはお戸畑 第36号
(日中友好協会戸畑支部ニュース)
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・餃子つくり会
- 戸畑支部は、3月25日(日)「餃子会」をしました。九州工業大学の中国人留学生4人や帰国者と家族6人を含めて・・・
・「西安」に行こう
- 鐘楼は街の中心にあり、かつては鐘で人々に時を知らせていました。明代1384年建造。現在はロータリーの中心・・・
・中国人現地調査in宇美
- 強制連行 強制労働
- 第4回目となる福岡県内の中国人強制連行・強制労働現地調査は、4月15日(日)に、宇美町の三菱鉱業・勝田大谷坑跡地・・・
・福岡中国総領事館訪問
- 4月10日、八幡支部が福岡の中国総領事館を訪問するというので、同行させてもらいました。当日は、郭主席領事はじめ・・・
・中国の街で見られる中国語
- 今月はちょっと長い文ですが無錫・太湖の映画セットの観光地にある、バスの駐車場から船着場・・・
2012年 4月 28日 イベント・講演戸畑支部 中国人強制連行・強制労働事件 中国残留邦人帰国者 交流 | Permalink
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4月15日、第4回目を迎えた探訪は、糟屋郡宇美町にある大谷坑跡地と博多港をめぐり、45人が参加しました。中国人を強制連行し、強制労働させた県内16事業所跡地を2年がかりで探訪しました。大谷坑跡地は想像できないほど開発され、住宅地となっていました。頑丈な「巻き上げ機」や「トロッコの橋脚」「坑道の壁と想像できるような分厚い煉瓦が土の中から露出している山の斜面」など昔に思いを馳せながら探訪して回りました。
博多港跡地は埋め立てられ、現在は、大相撲などが開催される国際センターとサンパレスが建てられています。また、博多港は、戦後の引揚者が全国一多い港で、「那の津往還の碑」建立にかかわった堀田広治さんに案内していただきました。
参加者を前に岩佐英樹県連副会長は、強制連行の実態について話しました。 宇美町の鳴海圭矢町議は、「町民の方は、過去の歴史を知る人は少ない。こういう調査で知り得た情報を多くの人に発信していきたい」と歓迎のあいさつをされました。
今後は、地元に慰霊碑建立の運動や4回の探訪をまとめた「報告集」をつくる準備に入ります。 協会大牟田支部は大牟田市と荒尾市に、宮尾鉱と万田鉱に慰霊碑を建立する「申し入れ書」を提出しています。
2012年 4月 18日 中国人強制連行・強制労働事件 中国残留邦人帰国者 | Permalink
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4月1日、第24回田川支部総会が、県連から松尾武蔵理事長が参加し、23名が出席して開催されました。
松尾氏から福岡県連の仲間つくりに向けての力強い挨拶を受け後、一番ヶ瀬宗幸支部長より、現在の中国情勢、田川支部の現状などが熱く語られました。
角銅立身弁護士から、前進座公演の成功と協力へのお礼の挨拶の後、「筑豊石炭砿業史年表」の資料をもとに、中国人強制連行関連の報告がありました。
決算報告・監査報告、予算の提案、役員選出と滞りなく、討議は進み、最後に河村たかし名古屋市長の「南京事件否定発言」に対し抗議する決議を採択しました。
懇親会では、中国旅行が話題になりました。また、若い層への働きかけを強める為の予算も組まれました。(仁)
2012年 4月 18日 田川支部 中国人強制連行・強制労働事件 | Permalink
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第二回目
「北九州市~宮若市」現地調査
戦時中、福岡県内16の事業所に、拉致・連行されてきた中国人6090人の強制連行・強制労働の実態を明らかにしていこうと「跡地探訪」を昨年の「三井三池炭坑関連施設」の現地調査に続いて第二回目を2月27日、「北九州市~宮若市」において、福岡県下10の地域から45名が参加して行いました。
当日は、中国から強制連行されてきた労働者を最初に日本で陸揚げした地、門司港に行きました。 現地では門司準備支部の大重さんと久野さんが説明しました。 現場には海岸線に沿って線路が残っており、貨車に乗せて各地に送ったことや中国との「侵略の窓口」となったこの地に「記念碑」を立てることの意義と今後の日中の友好が一層発展させることの重要性について話がありました。
北九州市議の大石さんは、元市議で協会県連副会長であった原博道さんの遺志を受け継いで、門司のこの地に記念碑を建てるために皆さんと運動をしていきたいと挨拶しました。
八幡港での港湾荷役の跡地では港のすぐ横に事務所を構えている労働者から「連れてこられた労働者の小さな小屋があってその中に中国人がいた」などの話を聴くことができました。
貝島鉱業大辻炭坑の跡地では、同坑ゆかりの紫雲寺を尋ね、炭坑で亡くなった人々を葬っているお墓(ここには中国から強制連行されてきた人も葬られているのではという話しもある)で手を合わせ、亡くなった中国人の遺骨を当時の住職が門司港まで送って行ったという話も聴くことができました。 貝島鉱業宮之浦炭坑跡地では大きな露天掘りの跡地を見学し、宮若市にある石炭記念館では石炭を炊いての懐かしい臭いと煙に迎えられ、館内の案内をしていただきました。
当日の探訪は、全体としては、意義ある現地見学バスツアーでしたが、「中国人強制連行、強制労働」の現地の跡かたちがあまりなく、事前に資料を良く準備して望むことが大事だと思いました。
2011年 3月 15日 中国人強制連行・強制労働事件 | Permalink
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協会の会員で、今年の5月に亡くなられた武松輝男さんが長年、精魂傾けて、書き上げた「葬火不熄烟」がこの度、県連の「中国人強制連行・強制労働問題対策委員会」を中心にした会員の手で、復刊されました。
同書は武松さんが、こつこつと地道に研究を重ねた労作で、一級の資料集です。人の命や人権を無視してでもあこぎに利益を吸い上げた三井資本への鋭い内部告発とも言えるものです。
武松さんの書き留めた内容はあくまで実証的で、例えば如何に酷い食事であったかを、カロリー計算までして証明しています。また、中国人が強制連行された三井三池の3つの事業所(四山、萬田、宮浦)の中国人を、出身県別に細かく分けています。資料も会社が出した事業所報告書、GHQが所有していたもの、会社が記録した他の資料など3種類を入手し、分析しています。
「中国人強制連行・強制労働事件」は、最高裁でさえ、そのひどい実態を認めざるをえませんでした。このような人道に対する罪は、「謝罪や賠償をしないで逃れる」ことが出来るはずは、絶対にありません。日本がこのさき、アジアの一国として、対等に伍して生きていくためにはどうしても解決しなければならない問題なのです。ですが、「中国人強制連行・強制労働事件」の事実を知らない人があまりにも多いこともまた、残念な事実です。
県連は、今後、県内の「強制連行・強制労働事件」跡地の探訪を広く県民に呼びかけて行う計画ですが、同書が復刊されたことは、多くの人に、その事実を知って貰うために、とてもタイムリーな出版です。是非、お求めくださり、周りの方にもお勧め頂ければ幸いです。
葬火不熄烟 (そうかふそくえん)
… 葬いの煙は今も消えていない …
三井三池炭鉱 強制連行中国人
「50年目の過去」
(一冊、千円。送料80円)
申込みは、日中友好協会福岡県連合会
電話・ファックス 092-761-0604
または、メール nc.fukuoka@gol.com
朝日新聞『asahi.com マイタウン 福岡・北九州』 2010年9月9日 より引用
強制連行の実態、次代に 研究家の資料、大牟田市に寄贈
大牟田市の旧三井三池炭鉱に約40年間勤め、強制連行や公害など炭鉱の負の歴史を告発した炭鉱史研究家、故武松輝男さん(5月30日、80歳で死去)の
残した各種資料が、遺族の厚意で同市に寄贈された。中国や朝鮮から強制連行されて炭鉱で働かされた人たちの実態を示す文書や名簿、取材メモなど段ボール
20箱分で、市立図書館での公開に向けて整理・分類が始まった。
武松さんは、50年前の三池争議の際、三池労組の若手リーダーとして闘争に参加した。その後、会社の総務部門に所属しながら、反公害のミニコミ紙「泥水」を発行するなど、炭鉱の歴史の暗部に目を向けて執筆を続けた。
定年退職後も、それまでに集めた各種資料をもとに、中国人強制連行の実態を描いた著作「葬火不熄烟(そうかふそくえん)」などを出版し、強制連行された
人たちの苦しみを告発した。太平洋戦争末期に三池炭鉱万田坑の坑内火災で中国人37人が中毒死したことなど、報道管制で秘密にされた歴史の暗部を初めて明
かしたこともある。
武松さんが長年かけて集めた炭鉱関係の資料の大半は、十数年前に大牟田市から市外に引っ越す際、トラック1台分を市立図書館に寄贈したという。強制連行関係の資料などは手元に残し、執筆のほか、強制連行の生存者が起こした損害賠償請求訴訟で原告側証人となって役立てた。
今回の寄贈資料の整理・分類を始めたのは、炭鉱関係の資料に詳しい市職員の大原俊秀さん(59)と坂井義哉さん(47)。来年で定年の大原さんは「ボラ
ンティアとしてでも、武松さんの貴重な資料をちゃんと分類して次の世代に伝えたい」。坂井さんは「三池炭鉱と大牟田は一緒に発展してきたが、光の当たる部
分だけでなく、強制連行など負の遺産と言われる部分も、歴史としてきちんと残さないといけない」と話す。
2010年 10月 1日 中国人強制連行・強制労働事件 | Permalink
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北九州でも事前調査
中国人強制連行跡地
「中国人強制連行・強制労働事件」について、県連は16ヶ所の跡地を広く県民に呼びかけてツアーを行うことにしています。5月8日は大牟田の三井三池炭鉱の跡地を45名でめぐりましたが、次回は北九州市で行うことにしています。
このツアーに先立って 北九州では、3カ所の現地である、八幡港・大辻炭坑・門司港を5月15日に14名で事前調査をしました。
八幡港では、県対策委員会の副責任者の岩佐英樹さんから強制連行についての説明と同時に北九州での状況について資料に基づき詳しい説明がありました、中でも八幡港での20名の死亡者について戦後、協会八幡支部。全港湾八幡支部。八幡製鉄労働組合で調査したが、遺骨の状況は、なお、不明であることが報告されました。 また現地に建っている倉庫は元中国から強制連行されてきた労働者が生活していた所だったことも地元で働いている港湾労働者から聞くこともできました。
大辻炭坑跡地では当時の模様を安部タマエさんが詳しく話され、村田孝英さんから歓迎と激励のあいさつも受けました。
門司港ではレトロの中にある「門司港出征の碑・馬の水飲み場・旧大連航路待合室」などについて見学し門司支部の大重幸彦さんの詳しい話がありました。(は)
2010年 5月 31日 中国人強制連行・強制労働事件 | Permalink
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無念の死を遂げた中国人労働者に思いをはせ
「強制連行県内16事業所跡地探訪」始まる
5月8日、参加者45名は、マイクロバスと乗用車に分乗し、午前中に、四山坑跡と中国人の収容所「四山社宅内華人合宿」跡、辛亥革命の孫文と交流があった「宮崎兄弟生家」を見学しました。
そのあと、熊本県立公園・小岱山の中腹にある「三井三池炭鉱中国人強制連行殉難者慰霊塔」を訪れ「慰霊の集い」を行いました。
「集い」は、最初に、「慰霊塔」の碑文「悲しみは国境を越えて」が朗読されました。
次に、「慰霊塔を守る会」会長の兵藤重郎さん・紀江さんご夫妻の献花・参拝に続いて参加者全員が菊の花一輪を霊前に捧げ苛酷な状況の中で無念の死を遂げた中国人労働者に思いをはせながら慰霊の誠を捧げました。
武樹民中国福岡総領事からのメッセージが紹介された後、県連副会長の岩佐英樹さん、理事長の松尾武蔵さん、同熊本支部の釘崎昭一さん、荒尾市議の小川尭利さんが挨拶をしました。
「守る会」会長の兵藤重郎さんは、いろいろな妨害を乗越えて「慰霊塔」建立を成し遂げた願主・深浦隆二さんについて「大変気骨のある方でした。父は、深浦さんと『竹馬の友』で一緒にがんばってきました。本日は、大勢のみなさんに来ていただいて大変ありがたく思います。この慰霊塔が日中友好の力となるようにがんばります。」と挨拶されました。
大牟田支部事務局長の矢田正剛さんが「探訪」に至る経過を報告しました。
午後からは「万田坑」跡や中国人を収容していた「障子岳収容所」跡、「通松収容所」跡、宮浦坑跡などを訪問しました。
現地では当時、小学6年生であった中西絹恵さん(76才)や小学1年生だった松尾進さん(73才)が、中国人を「支那人捕虜」と呼んでいたこと、火葬場で死体がたくさん積まれていたこと、冬の寒い日に、中国人が後ろ手に縛られてつりさげられ水を掛けられ叩かれていたのを見たことなどの証言報告がされ、参加者は真剣に聞き入っていました。
一行は、最後に「宮浦石炭記念公園」で解散集会を開き、県連事務局長の松山盛利さんから「みなさんの協力でつどいを成功させることができました。引き続きこれからの計画を成功させ、強制連行の事実を市民に知らせ、日中友好前進の力にもしていきたいと思いますので今後ともご協力をお願いします。」と挨拶し、散会しました。
当日は、放送局、新聞社などの同行取材があり、テレビニュースや新聞で大きく報道されました。 (田)
2010年 5月 23日 中国人強制連行・強制労働事件 | Permalink
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福岡と大連弁護士会が提携交流
調印祝賀会に武田県連会長が出席

2月27日、福岡市内のホテルで県弁護士会と大連市律師協会の交流提携調印式がありました。
式典には両会の弁護士、吉田宏福岡市長、報道関係幹部、武田正勝協会県連会長など約70人が出席。池永満県弁護士会長は、中国人強制連行・強制労働訴訟や残留日本人孤児訴訟などに携わってきた体験にも触れ、「平等、互恵、内政不干渉の原則に則り、相互交流を通じて、基本的人権の擁護と社会正義の実現に貢献する」と力強く挨拶しました。張耀東大連律師協会長は「中日友好のためにも両国の弁護士の交流は大切。レベルも高まる」と挨拶しました。武田県連会長は吉田市長をはじめ、参加者と交流を深めました。
2010年 3月 15日 中国人強制連行・強制労働事件 中国残留邦人帰国者 交流 | Permalink
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大牟田市に中国人殉難者の
碑建立を申し入れ協会福岡県連・ 熊本支部
12月18日、福岡、熊本両県の協会代表7名が大牟田市役所を訪れ、旧三井三池炭鉱宮浦坑跡の「宮浦石炭記念公園」の一角に、世界大戦の末期において中国より強制連行された労働者が苛酷な労働条件の中で労働災害や病気などで無念の死を遂げた殉難者の霊を鎮魂・慰霊する「中国人殉難者の碑」の建立について申し入れを行いました。
市からは中尾昌弘企画総務部部長を始め4氏が応対し、約1時間懇談しました。
最初に、原博道福岡県連副会長より申し入れ文書を読み上げ市側に手渡しました。
つづいて全員の自己紹介の後、堀榮吉大牟田支部副支部長から申し入れに至った経過を報告し、市の協力をお願いしました。
懇談は、市が中国・大同市との姉妹都市提携を生かした積極的な友好交流の取組みや、先日来日した中国の習近平副主席のレセプションに古賀道雄市長が出席頂いたことに協会として謝意を表明しました。
これに対し、市が先般、第8次訪中団を組織し28名が大同市を訪問したこと、新年の1月には中国から大同市の市長を始めとする訪日団が大牟田市を訪れる予定であること、環境をまもる技術研修など人的交流もかってなく盛んになってきたことなどが話されました。
また、申し入れについては、「市としては過去の歴史を直視し負の部分も含めて伝えていくことが大切であるという立場です。申し入れの趣旨は理解できます。市長にお伝えします。」と態度表明があり、原副会長から「碑建立は中国側からの要求にもなっており全国的に取り組まれつつあります。日本における中国人強制連行強制労働の重大な現地である大牟田市で是非実現出来るよう御尽力をお願いしたい。」と重ねて要望しました。
当日は、福岡県から矢田正剛大牟田支部事務局長、熊本県から上妻四郎県支部長を含めて3名と協会と大牟田市の懇談に調整に尽力していただいた高口講治大牟田市会議員も同席しました。
なお、懇談後、記者会見を行いNHKをはじめテレビ、ラジオ、新聞各社が「申し入れ」の内容や強制連行問題について一斉に報道しました。 (矢)
2009年 12月 27日 福岡県連合会 中国人強制連行・強制労働事件大牟田支部 | Permalink
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会員の声と悩みに心を寄せ
「無料法律相談会」2月スタート
相談内容は4名の弁護士が完全管理します
12月7日、福岡支部が主催する「無料法律相談会」の打ち合わせが行われました。
後藤冨和支部長が「会員の要望に応えられるような無料法律相談などの活動も必要ではないだろうか」との提案が、2月から毎月第3金曜日18時でスタートすることになりました。
残留孤児や中国人強制連行事件の問題などで日頃から弁護士のみなさんに多大な支援をいただき、また、何かと相談をしていたこともあって、実現に至ったものです。
弁護士の林健一郎さん(元協会県連会長)、椛島敏雅さん(中国残留孤児福岡訴訟弁護団事務局長)、福留英資さん(中国人強制連行・強制労働事件福岡訴訟常任弁護団)、後藤冨和さん(同常任弁護団)が交替で相談に応じていただきます。
相談時間は30分以内、料金は無料。
相談内容はすべて担当された弁護士の方が責任もって管理され、事務局にも知らされませんので、秘密は完全に守られます。
事前に予約が必要で、福岡支部以外の方も受け付けます。
「医療・健康相談会」も準備中
「医療・健康無料相談会」も、病院長の武田正勝県連会長の協力で現在、準備がすすめられています。
2009年 12月 27日 中国人強制連行・強制労働事件 中国残留邦人帰国者 法律相談・医療健康相談 | Permalink
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■日中友好協会福岡県連合会
会場はすべて県連事務所
第1回常任理事会
◎日時 12月6日(日)13時30分
第1回理事会
◎日時 12月6日(日)15時30分
第2回強制連行問題対策委員会
◎日時 12月6日(日)10時30分
2009年 11月 19日 福岡県連合会 中国人強制連行・強制労働事件 | Permalink
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福岡県連合会は10月18日、福岡市中央市民センターで、第48回定期大会を開きました。
大会は、来年6月の全国大会までに、新たに2百名の新しい仲間を迎えるために、「確信がもてる大会に」という位置づけで開かれました。
このため、特別に企画した矢崎光晴事務局長の講演や強制連行問題をとおして全県的に友好運動を進める特別報告、また、諸分野にわたっての発言によつて、「協会の歴史と活動の意義がよくわかり本当によかった」「生き生きとした大会だった」と参加者が確信と情熱を強めるすばらしい大会となりました。
午前中は、矢崎本部事務局長が「日中友好運動の誇りと確信、そして展望・変革の力を持つ国民的な運動へ」と題して特別講演を行いました。
氏は、日中友好運動の60年を振り返り、戦前戦中の反戦平和活動、協会創立前後の情勢、中国の干渉との闘いと教訓、関係改善後の活動の発展と現状と課題について、70分にわたり、豊富な資料を使いながら、講演を行いました。
特に 「国民運動としての日中友好運動」については、中国の存在、歴史認識問題、「社団日中友好協会」てとの関係、民主連立政権の下での活動、変革の力を持つ協会づくりの話には、みんな、瞬きもせず、熱心に耳を傾けていました。
矢崎氏は最後に「日本を変え、中国を変え、アジアと世界を変える運動が、日中友好運動です。
生命と人間を大切にする社会を作るためにも協会の存在と活動の意義は大きなものがあります。
2万人協会に向けて福岡の奮闘を心から期待します」と講演を結び、会場から大きな拍手が起こりました。
講演後、チベット問題などについて6人の質問に矢崎氏はひとつひとつ丁寧に答えました。
午後は、大会となりました。
武田正勝会長の挨拶、議長に星野信、安永亮両氏を選出し、この1年間の活動の総括、新年度の活発な運動方針、財政の決算、予算及び人事を討議し、満場一致で承認しました。
大会は、13名の代議員から中国人強制連行事件と友好運動、青年学生が参加する運動、帰国者支援運動、班つくりの重要性、会員が増えると活動が豊かになるという体験、戦争展の一般市民の参加が増えた、組織の弱点を克服するために事務局体制の強化、協会の中国語講座の魅力、日ごろから会員を大事にすることが協会発展に繋がることなど、短い討議時間にかかわらず多岐にわたる心打つ発言があいつぎました。
役員改選では、6名の新任の役員を含め、34名が選ばれました。
最後に「県連は2千名の組織確立に向かって着実に前進する」との大会宣言を発表し、日中友好運動の更なる前進を誓い合いました。
大会終了後、矢崎本部事務局長、武田会長も参加して懇親会を開き交流を深めました。
2009年 11月 14日 福岡県連合会 中国人強制連行・強制労働事件 中国残留邦人帰国者 | Permalink
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10月5日、福岡・熊本両県の友好協会代表5名は熊本県荒尾市を訪れ、万田坑跡地の一角に「中国人強制連行殉難者の碑(慰霊塔)」を建立してもらうよう前畑淳治市長に6月10日、申し入れをしていた件について、この実現を議会などそれぞれの立場から支援いただきたいと要請を行いました。
市議会からは島田稔議長(日中議連会長)、日中友好議員連盟からは副会長の蒲池哲夫議員、事務局長の山田礼二議員が応対しました。
最初に、上妻四郎協会熊本支部長から島田議長に申し入れ書を手渡し、堀榮吉大牟田副支部長が申し入れ文書を読み上げ、再度の申し入れに至った経過を報告し、協力をお願いしました。
意見交換の中で「万田坑が最も多くの中国人殉難者を出しているし、慰霊碑などで供養していくことは重要なことである」「碑の建立場所については旧万田坑跡の文化遺産登録の関係もあるので周辺の公園なども含めて工夫がいるのでは」「朝鮮人殉難者の供養などをどうするか」など活発に意見交換が行われました。 議会と日中議連の代表からは、実現出来るように、行政側、市長とも意見交換し知恵も出して検討してみたいとの態度表明があり、協会側から是非とも実現出来るよう力を貸してくださいとお願いしました。
引き続き、荒尾市教育委員会を訪れ、同趣旨の申し入れを行い、平島廣幸次長、勢田廣行社会教育課々長補佐が応対し懇談しました。
この申し入れには、ほかに協会側から熊本県支部の全国理事・釘埼昭一、事務局長・坂本康男、大牟田支部事務局長・矢田正剛の各氏が参加しました。また、荒尾市会議員・小川尭利氏も同席しました。 (Y)
2009年 10月 9日 福岡県連合会 中国人強制連行・強制労働事件大牟田支部 | Permalink
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第2回「県連・連行問題対策委員会」開く
10月1日、強制連行問題対策委員会第2回会議が開催されました。第1回の問題提起、報告・論議を踏まえて、今日の日中問題の差し迫った重要問題であることを再確認し、10月18日の県連大会に於いて特別報告を行うことを決定しました。同時に会場で、福岡市で開かれた「平和のための戦争資料展」に展示した写真パネルを展観して代議員評議員の皆さんに見ていただくことにしました。
当日は今後の取り組みについて、活発な議論が交わされました。堀委員から大牟田の「万田坑」などの現状の報告があり、市が既に駐車場や道路の整備に意欲を示しており、今月からはいよいよ大牟田市への働きかけに取り掛かることなど、関係写真や関係書面を示して、意欲的な現地の取組みがリアルに報告されました。 福岡支部の取り組みは先の写真パネルをもとに将来文書を整備し、「資料」を作成し広く頒布することにしました。
原委員から、中国の原告や遺族、律師協会などから、昨年末に寄せられている「門司港に強制連行者の慰霊の記念碑を建立して欲しい」との要請にどう応えるかについて発言があり、「協会が中心になるべきテーマであり、同時に北九州市民全体の問題でもある。また、県連・福岡県・関係自治体・関係企業など広く取り組む問題であり、大きな市民運動を展望して、民主団体などに相談していきたい」と発言がありました。
更に「各地で慰霊祭を計画し、募金活動を始める。」「議連への申し入れ」「16事業所を三回に分けたバスハイクなど楽しい計画を考える。」「県下各支部・準備支部などで、学習会・市民のつどいなどを計画する。」以上のような話し合いを行いました(H)
2009年 10月 9日 中国人強制連行・強制労働事件 | Permalink
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中国人強制連行問題は終わってない
全県に運動を広げるために 委員会を設置
9月5日、福岡市で、第一回日中友好協会福岡県連合会の「中国人強制連行・強制労働問題対策委員会」が開かれました。
対策メンバーは、原博道副会長を委員長に7名で構成し、今後、補充することを確認しました。
会議では、強制連行の歴史的経過、今日の到達点、今後の活動方針が提起され、白熱した討論が展開されました。
そのなかで日本の戦後処理(日本と中国との間の15年にわたる侵略戦争に関する責任の明確化と被連行者への謝罪と損害賠償など)が最近の我が国における「裁判」の動向から見て、国などに対する解決への国民運動が差し迫っていることが明らかにされました。
同時に福岡県での当面する大きなテーマ三課題が緊急性のある問題としてそれぞれ報告、論議されました。
すでに様々な取り組みが開始されていますが、これらの問題を県連として取り上げていくことになりました。
福岡県では16事業所6,090人が連行され、うち648人が死亡、北海道に次ぎ全国第2位です(H)
2009年 10月 1日 中国人強制連行・強制労働事件 | Permalink
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戦争中、福岡県内では16の事業所に6,090人が中国から強制連行され、648人が過酷な労働と劣悪な待遇のため1年も経たないうちに死亡。その比率は10.6%にのぼります。
協会福岡支部が各支部の協力を得て強制連行・強制労働の実態を今日時点で改めて明らかにするために、チームをつくり、3年がかりで記録することになり、13ヶ所の炭鉱と3ヶ所の港湾が存在した場所の撮影を始めました。
炭鉱跡は都市化が進み当時の面影はあまり残っていませんが、中国人の血と汗を記録している地元の研究者に出会い、資料を提供していただくなど新しい発見の旅が始まりました。
8月18日から始まる福岡の「戦争展」には、すでに調査した三菱鉱業、三井鉱山などの炭鉱跡地、宿舎、慰霊碑などの写真が展示されますが、今後、県下各地でも公開されることが期待されます。
募金のご協力を
調査とその結果を戦争展展や資料で報告するためには、かなりの経費を必要とします。
ぜひ、みなさんの支援募金のご協力をお願いします。(星)
2009年 8月 5日 福岡支部 中国人強制連行・強制労働事件 | Permalink
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第15回平和のための戦争展in北九州
8月30日(日) 11:00~16:00
8月31日(月) 10:00~16:00
門司港レトロ地区
入場無料
■先行企画
8月23日(日) 午後
若松区内で戦争遺跡ツアー
同区深町の朝鮮人遭難慰霊碑を振り出しに砲台跡、
強制連行施設跡などを巡る。定員50人。
申し込み・問い合わせは事務局093-582-4181
■開催内容
【旧大阪商船ビル】
30日(日) 11:00~16:00
31日(月) 10:00~16:00
原爆や空爆の被害、戦中の庶民生活が分かる資料などを展示
・戦争の遺品展
・南京事件展
・イスラエルのGAZA 攻撃写真展
・731部隊展
・原爆の被害と門司・下関の空襲の資料
・中国報道写真家・沙飛展
・朝鮮からの強制連行写真
他
【ヴァストホール・門司港ホテルそば】
30日12:30~14:00
戦争体験者の「語り部」
元軍人、引揚者、シベリア抑留者、残留孤児など戦争体験者
【門司レトロ観光物産館 ・ 港ハウス】
30日11:00~14:20 多目的ホ-ル
「平和のうたごえ」青年の自主企画
映画、青年企画等
演奏:「ねがい」「八月の小倉」「誓い」「花をおくろう」
30日14:30から
記念講演
毛利 正道 弁護士(長野県しらかば法律事務所)
憲法九条を世界に広げる諏訪地方ネットワーク事務局長
「GAZA攻撃から、戦争と人間の矛盾を問う」
■主催 2009平和のための戦争展in 北九州実行委員会
〒803-0813 小倉北区城内1-1 北九州市職労内
TEL:093-582-4181 FAX:093-582-4183
■問合せ 日本中国友好協会福岡県連合会
TEL/FAX: 092-761-0604
2009年 8月 5日 イベント・講演 中国人強制連行・強制労働事件 中国残留邦人帰国者 平和のための戦争展 | Permalink
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「戦争」は国際的な「平和」の力でやめさせることができる
平和のための戦争展ふくおか 2009
□2009年08月18日(火) 〜 2009年08月23日(日)
10:00 〜 20:00 (最終日17:00まで)
□会場 アクロス福岡 交流ギャラリー、セミナー室
□入場料 入場無料
■パネル展示 (交流ギャラリー)
150坪の広い会場いっぱいに展示します。
・特別展示『美ら海に基地はいらない
・領土拡張の歴史
・広島・長崎への原爆投下
・中学生のための「慰安婦」展
・中国人強制連行の記録
・枯葉剤・劣化ウランの被害の実相
・オバマ大統領のプラハ演説
・ノーベル平和賞受賞者の宣言
・平和をめざす地域共同体パノラマ
・米軍再編と基地の変化、沖縄・福岡
・いまの憲法の誕生
・「憲法9条」と平和の共同体を世界へ
■ビデオ・コーナーでは平和を題材にした作品を終日上映
入場料は無料です。
■記念講演 8月22日(土) (セミナー室)
15:00~
映像作家・映画監督: 鎌仲 ひとみさん
『私たちが支える核の存在、そしてそこからの降り方』
18:00~
福岡大学名誉教授: 石村 善治さん
『日米安保条約と日本国憲法、その過去・現在そして』
□みなさんの浄財が「平和のための戦争展」を支えています。
会場にカンパ箱のおいています。よろしくお願いします。
□お問い合わせ
平和のための戦争展ふくおかを成功させる会
福岡市博多区住吉5-17-14太平ビル202
TEL/FAX: 092-473-4207
日本中国友好協会福岡県連合会
TEL/FAX: 092-761-0604

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2009年 8月 5日 イベント・講演 中国人強制連行・強制労働事件 平和のための戦争展 | Permalink
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6月10日、福岡、熊本両県の協会代表6名は熊本県荒尾市を訪れ、世界文化遺産への登録を目指し周辺整備がすすむ三池炭鉱旧万田坑跡地の一角に「中国人強制連行殉難者の碑(慰霊塔)」を建立の要請を行いました。
荒尾市からは前畑淳治市長と吉永一夫副市長が応対し、約50分間懇談しました。最初に、文書を読み上げたあと熊本支部長の上妻四郎さんから前畑市長に申し入れ書を手渡しました。
大牟田支部事務局長の矢田正剛さんが申し入れに至った経過を報告し、荒尾市側の協力をお願いしました。前畑市長は、「あなたがたの申し入れの趣旨は、よく理解できます。市としてもこれまで、中国との交流に力を入れその成果も上がっています。過去において中国人強制連行者の問題があった事実を踏まえ、申し入れにどう応えていけるか検討させて頂きたい。」と答えました。
懇談の中で、福岡県連顧問の北川栄市さんから大宰府の戒壇院に建立した「日中不戦の碑」について「訪れた中国人は感銘を受けていますし、日本人も中国との友好の大切さを再確認しています。」と経験を紹介しました。金子正道顧問からは、中国における孫文の高い評価にふれ「荒尾市が、孫文と交流のあった宮崎兄弟生家を大切に保存し、資料館として公開されていることに心から感謝します。」と述べました。上妻熊本支部長から「荒尾市は、荒尾梨を中国で普及するために努力されていると聞いていますが。」という質問に前畑市長は、荒尾梨普及の苦労話や経済交流などにも触れ「中国の福岡総領事は着任されたら荒尾に来ていただき講演をお願いしていますが、その時は宮崎兄弟生家にも立ち寄ってもらっています。荒尾市に来た中国の子供たちも宮崎兄弟生家を見学しています。」と中国との交流などについても話が弾みました。 (矢)
2009年 7月 8日 福岡県連合会 中国人強制連行・強制労働事件大牟田支部 | Permalink
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6月7日、協会大牟田支部再建総会が、熊本県荒尾市の小岱山の中腹にある「三井三池炭鉱中国人殉難者慰霊塔」前において会員など20名が出席して開催されました。
総会に先立って、大戦末期に中国から強制連行され三井三池炭鉱で過酷な労働を強制され無念の死を遂げた564名の中国人殉難者の「慰霊塔」に、献花・参拝を行いました。
総会は、来賓挨拶、経過報告、活動方針の報告・提案が行われ、討論では、荒尾市の中国との交流の現状と万田坑跡地をめぐる動きや中国訪問の経験などがだされました。
出席者の多くの人がこの「慰霊塔」に来たのがはじめてで驚きの感想もこもごもだされました。
役員選出では支部長に福田紀彦さん(医師)をはじめ11人の新役員を承認しました。
2009年 6月 26日 中国人強制連行・強制労働事件大牟田支部 | Permalink
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被害者の人権の思いに、最大限可能な応答を
中国人強制連行・強制労働事件福岡訴訟第2陣結審
12月1日、福岡訴訟第2陣は結審を迎えました。判決は来春3月9日に決まりました。
この日、2人の中国人原告(崔書信=北京市、唐坤元=上海市)の訴え、4弁護士の足掛け10年にわたる裁判の締めくくりともいえる、白熱の弁論が展開されました。
小野山裕治団長は締めくくりに、この事件を歴史的に解明し「正義公平と平和への信念を貫いて生きてきた中国人被害者の人権と遺族たちの思いに、裁判所は最大限可能な応答を」と渾身の力を振り絞って訴えました。
2つの支援団体の奮闘もあり、法廷はいっぱいになりました。
閉廷後、弁護士会館で市民集会が開かれました。
原告の唐坤元さんは「来て、ほんとによかった。帰って妻や子どもに言います」と話しました。
康健弁護士は、「被害者・遺族103名連名による事件解決策案をもって、日本大使館や在中国の関係日本企業に要請行動を行った」中国での活動紹介しました。
宮崎訴訟の鳴海弁護士は「中国の世論をもっと動かそう。状況を動かすような福岡の判決に期待したい」と連帯の挨拶がありました。
支援団体からも「小野山弁護士の弁論はぜひ平和教育につかいたい。強制労働のフィールドワークをしよう」(梶村晃進める会代表)、「私と同じ年頃の彼らが、私のすぐ近くに連行され強制労働をさせられていた。(侵略戦争の)罪を認めて再出発するとの憲法原文の示す決意を大事にしたい」(石村善治支える福岡の会代表世話人)と、それぞれ発言がありました。(岩)
->中国人強制連行・強制労働事件福岡訴訟についてはこちら
2008年 12月 20日 中国人強制連行・強制労働事件 | Permalink
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これからが全面解決の山場強制連行・労働事件・福岡訴訟第2陣 第2陣の裁判が、9月29日・福岡高裁で開かれました。
次回(12月1日)の結審を控え、4弁護士が弁論を展開しました。
岩城邦治弁護士は持帰金問題について、現在業務を引き継いでいるのは税関と法務省管理局であり「責任部署において経緯を明らかにする必要がある」として2名の承認申請を行いました。
後藤富和弁護士は未払い賃金問題(「持帰金」「補償金問題」)を国、関係企業が放置し、そればかりでなく「、積極的に隠匿、隠滅を行い、問題解決を困難にした」ことを追求しました。
福留英資弁護士は控訴人本人尋問の必要性について「極めて悪質な戦争犯罪事件です。被害者らはその意に反し外国に連行され、そして働かされ、その外国で訴訟を行うことを余儀なくさせられているという極めて国際性の濃い事件である」と述べました。
池永満弁護士は「西松判決後、の経緯に照らしても裁判所は自らの憲法上の役割と国際的な責任を自覚して司法としてなしうることをその権限を最大限に行使して、本件全面解決に資する責務がある。先に裁判所が示された『和解所見』はそうした姿勢に基づくものであったと考えるが、それを一顧だにしなかった国の姿勢を明確に批判し全面解決に向けた内外市民の歩みを促進する歴史的な役割を果たしうる判決を出していただきたい」と述べました。
裁判後、三者代表者会議が開かれ、12月2日の宮崎での裁判支援集会、3・4日の東京行動は支援者を送って「全面解決のために大いに奮闘しよう」との意思統一をしました。(岩)
2008年 10月 18日 中国人強制連行・強制労働事件 | Permalink
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「三井三池炭鉱の街」大牟田で
支部再建会議を開く
日中友好協会大牟田支部再建のための第一回会議が、9月9日、大牟田市で開かれました。
大牟田は、かつては三井三池炭鉱の名で全国に知られた労働者の街。太平洋戦争中、二千五百名余の中国人が強制連行され、五百六十四名の尊い命が奪われました。大牟田市でも日中友好協会は早い時期に結成され、活発に活動を行っていましたが、中国と交流が正常化される前に、あいついで活動家がなくなり、活動は停滞していました。
しかし、「絶対に大牟田の日中友好の灯は消さない」という矢田正剛さん、堀栄吉さんらの心血注いだ奮闘の末に、ついに支部再建会議がもたれました。会議の後、昼食をとりながら懇親を深めました。当日は、「三池炭鉱中国人殉難者慰霊塔」を守るために永年、力を尽くしてきた兵藤重郎さんご夫妻も参加され、慰霊塔の環境・条件整備の取り組みなどについて方針を決めました。また、北京風雷京劇団公演、「沙飛写真展」、日中友好カレンダーの普及の取り組みについても討議し、力を尽くすことにしました。このような活動の中で、支部再建を来春に行うことにしました。
さっそく、9月13日には、「中国人殉難者慰霊塔」で、9名が参加して、「旧盆会・慰霊のつどい」を行いました。
2008年 10月 2日 中国人強制連行・強制労働事件 沙飛写真展大牟田支部 | Permalink
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2008平和のための戦争展 in 北九州
詳しくは、「2008平和のための戦争展 in 北九州」特設ページ
青年ピース・フェスティバル
9月21日(日)
11:00~16:00 戦争遺跡めぐり (健和会大手町公園集合、バスツアー)
18:00~20:00 ピース・フェスタ (ウエルとばた 多目的ホール)
戦争展パネルコーナー (ウエルとばた 交流プラザ)
9月22日(月)13:00~16:00
9月23日(祝)10:00~16:00
戦争の遺品展、「南京事件」・侵略と強制連行の記録、731部隊、
治安維持法下で戦争に反対して闘った人々、
シベリア抑留の記録(デッサン展)、
原爆の被害と門司・八幡・戸畑・若松の空襲の資料、
軍隊と戦時下の国民生活の資料、
憲法問題を考えるコーナー (米軍再編や現在の戦争)
青年パネル展 ~ピース・カフェ~
フェアトレード商品と自然食品&コーヒー
世界の平和パネル 青年平和運動パネル 平和メッセージパネル
メイン企画
9月23日(祝)
10:30~11:30 記録映画「沖縄戦・未来への証言」
11:30~12:00 平和の歌声
13:00~14:40 記念講演「憲法9条で未来を拓く」
小沢隆一 慈恵医大教授
14:50~16:30 戦争体験の「語り部」
主催 2008平和のための戦争展in北九州実行委員会
実行委員長 三輪俊和(健和看護学院学院長)
事務局 北九州市職員労働組合内
TEL 093-582-4181 FAX 093-582-4183
詳しくは、「2008平和のための戦争展 in 北九州」特設ページ
http://homepage3.nifty.com/sensouten/
2008年 9月 14日 イベント・講演 中国人強制連行・強制労働事件 平和のための戦争展 | Permalink
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中日友好協会代表団歓迎会の来賓挨拶
民間交流の積み重ねが平和・友好の礎
弁護士 後藤富和
中日友好協会代表団の皆様、ようこそ日本にお越しくださいました。
かつて、ここ福岡には、多くの中国人の青年たちが日本軍によって拉致され、強制的に炭鉱で働かされて、多くの命が奪われました。かろうじて生き延びた青年たちも、賃金すら支払ってもらえませんでした。
この事件について、日本の裁判所は、戦後60年以上の時が経っているから時効である等として、中国人被害者の訴えを退けています。
しかし、彼らが法廷で流す悔し涙をみるとき、時間の経過によって、彼らが受けた痛みが決して癒されるものはないことを痛感しました。
今後、中国と日本がアジアの平和のために協力していくために、わが国は、過去の過ちをきちんと償う必要があります。
先日、私は、3歳と1歳の子ども達を連れて北京を訪問しました。子ども達が天安門広場や万里の長城を無邪気に駆け回る姿、そして、この子達に声をかけてくれる中国人の方の姿を見て、子ども達には国境の壁がないことを痛感しました。
日本の憲法は、戦争を永久に放棄すると誓っています。では、どうやって平和を維持しようというのでしょうか。この点、憲法は前文で「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」安全を保持することを決意したとしています。ここで注目すべきは、「諸国」ではなく、「諸国民」を信頼するとしたことです。
それは、すなわち、日本、中国という国の単位で考えるのではなく、一人の日本人が一人の中国人を、一人の中国人が一人の日本人を信頼すること、つまり隣の人と仲良くすること、これが大きく広がってこそ平和が実現するとしているのです。
今回、両国の友好協会がこのような形で交流することは、憲法が理想とする「諸国民」の信頼を構築する貴重な機会であると感じています。
このような民間交流の積み重ねが両国の平和・友好の礎になることでしょう。
皆様の来日を心より歓迎いたします。
2007年 12月 2日 中国人強制連行・強制労働事件 交流 | Permalink
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メーデー会場で 残留孤児支援の訴え
5月1日、福岡市で行われたメーデーで、帰国者の会、協会福岡支部、支援する会の15名は共同で、孤児支援を訴えました。
当日、中国人強制連行事件裁判の最高裁判決に憤った女性がただ一人プラカードを持ってメーデーに参加していましたが、一緒に行進も行い、運動をひろげることについて語り合いました。

2007年 6月 5日 中国人強制連行・強制労働事件 中国残留邦人帰国者 | Permalink
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企業の安全義務違反を追及
中国人強制連行・強制労働事件 福岡訴訟第2陣高裁公判
3月5日、約50名の傍聴者がつめかけて、中国人強制連行・強制労働事件 福岡訴訟第2陣第2回公判が行われました。
聴衆の中には京都から旅行に来た3名の法律系の大学生もいました。弁論にたった福留、岩城両弁護士は会社の安全義務違反を明らかにするために膨大な準備書面を作成、その核心部分を法廷で陳述しました。
閉廷後、弁護士会館で総括と今後の闘いについて討論がありました。現在、焦眉の急は、西松建設の上告理由のうち(広島高裁判決では原告被害者が勝利した)、最高裁が「条約によって個人の請求権が放棄されている、とした部分だけ」上告を、受理したことです。これまでの通例では最高裁は2審判決を見直すときに弁論を開いています。そうしたことから、最高裁の弁論開催は広島高裁の原判決取り消しの予告と考えられます。
私たちは人道にもとる強制連行・強制労働という戦争犯罪を無罪放免にするわけにはまいりません。
2007年 3月 19日 中国人強制連行・強制労働事件 | Permalink
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武総領事と語る夕べに
団体、市民60名が参加
中国への大きな期待感!
世界の平和や社会発展のために
11月29日、福岡アクロスで、日本中国友好協会福岡県連合会が主催する福岡総領事館の「武総領事と語る夕べ」が開催されました。
当日は、福岡市内の三十の諸団体と学者文化人、県下各支部の協会員など60名が参加し会場はいっぱいとなりました。
はじめに、武総領事が、「今後の日中関係の発展の如何は、安部首相が訪中し中国首脳と話し合って約束したことを、きちんと守ることが、大きなカギとなる。「政冷経熱」などといわれるが、日中間、九州地区と中国の関係はこの間も、人的交流の面でも、経済交流の面でも、極めて大きく発展してきて、お互いに重要なパートナーになっている。友好協会などの強制連行など中国人戦争被害者への支援に心から感謝する。中国は国としての対日賠償請求権は放棄したが、中国国民個人の賠償責任権は当然ある」などを語りました。

つづいて、1時間半にわたり、「北朝鮮の核保有と中国の影響力」「核軍縮への中国のイニシアチブへの期待」「中国社会に今日起こっている格差やモラルの問題」「中国の若者の歴史認識」など11名から質問が出され、武総領事が丁寧に答えました。
総領事の飾らない、親しみある率直な人柄もあって、参加者は多いに感激。中国への理解や日中友好の絆がいっそう深まりました。
2006年 12月 11日 福岡県連合会 中国人強制連行・強制労働事件 | Permalink
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「鎮魂の碑」不戦の願い込めて清掃
日中友好協会田川支部
9月22日、田川支部は田川市の石炭記念公園にある中国人強制連行・強制労働殉難者慰霊の「鎮魂の碑」周辺の草刈・清掃をしました。
写真は2002年4月27日の「鎮魂の碑」除幕式に参加し、 同胞を弔う、中国人強制連行・強制労働事件の中国人 原告
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当日は「鎮魂の碑」周辺の草刈を、一番ヶ瀬支部長を先頭に糸田町議の松岡氏、副支部長の野中、岡田両氏に加え有志の田中氏の5氏が、汗を流し日中不再戦の誓いを新たにしました。(中)
2006年 11月 4日 田川支部 中国人強制連行・強制労働事件 | Permalink
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「戦争犯罪を隠していては、民主主義も正義も ない」と語る岩佐氏を報道した中国の新聞
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2006年春 第1回
杭州・上海の旅
強制連行・強制労働が問う
日本の民主主義
県連理事長 岩佐英樹
4月25日、福岡空港発の東方航空の便で出発。10時半にはもう上海浦東空港に到着した。ここから、直通バスで杭州へ。
この日、夜、「杭州青年時報」との記者会見があった。記者は若い女性とその上司、そして通訳は浙江工商大学の王欣女史だ。私が最初に三菱勝田の中国人強制連行・強制労働事件にかかわり、真相を明らかにしてきた16年間の取り組みの経過を説明した。
続いて、3月の福岡地裁判決が話題になった。見通しは?今後どう打開するのか?など質問が出された。「私たちは権力がない。闘いは日本と中国の民衆の力に依拠する。またこれまでの大きな成果は”日本政府と企業が共同して悪質な不法行為を行った、強制連行・強制労働をした”という事実である。これはもう否定しようがなくなった。この二つを縦糸、横糸に一層奮闘したい」と答えた。また「あなたがたは何でこの課題に取り組むのか」との問いには「一つはこのような人道上の問題には国境も民族もない。人間として許せない問題である。人類共通の問題だ。二つは日本自身の問題である。つまり、日本がよりよい社会に発展するための民主主義の課題である。自ら犯した戦争犯罪を隠したり、否認したりしていては、民主主義も正義もない」と答えた。
この会見の模様は、翌日4月26日の「杭州青年時報」に掲載された。
2006年 5月 28日 中国人強制連行・強制労働事件 | Permalink
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日本の侵略戦争で
両国人民は共通に被害者
強制連行・労働事件 市民集会
2月18日、福岡市民会館において、「中国人強制連行・強制労働事件福岡訴訟を勝利させる為の市民集会」が200人を超える参加者で開催されました。
主催は、支援団体「中国人戦争被害者の要求を支える福岡の会」「中国人・強制連行事件福岡裁判を進める会」と「中国人強制連行・強制労働事件福岡訴訟弁護団」ですが、日中友好協会福岡県連と各支部の全面的バックアップが集会成功の大きな力となりました。
浅井基文さんの講演「中国関係の過去・現在・未来」では、1972年の日中共同声明から問題をときおこし、台湾問題や日米安保が「日本流の解釈でごまかされた」こと。そのうえ、今日、アメリカの世界戦略(先制攻撃)に日本政府は急速に歩調を合わせ、日本国民はきわめて、危険な状況に追い込まれつつあると警告しました。
戦後補償問題を考える視点として日中戦争・太平洋戦争が『日本の侵略戦争であった』という原点を日本国民の間に明確にする。そのうえで、日中両国民共通に『日本の戦争政策の被害受忍の義務はない』との視点が大切だ、と語りました。
集会は、その後、後藤富和、渡辺昌子両若手弁護士の訴え、「支える会」の石川捷治世話人、「進める会」の中村元気世話人の決意表明、松岡肇弁護団事務局長の経過報告、木村琴江「残留孤児の要求を支える会」会長の訴えがありました。
また、協会久留米筑後支部の会員である、高尾翠さんと著書「天皇の軍隊と平頂山事件」が参加者に紹介され、用意した全ての書籍が売り切れました。(岩)
高尾翠著 「天皇の軍隊と平頂山事件」
新日本出版社 ; ISBN: 4406032231
2005年11月 単行本 173ページ
→ 購入の案内はこちら
福岡県連でも取り扱っております。
お問い合わせは、日本中国友好協会 福岡県連合会、各支部へ。
2006年 2月 25日 中国人強制連行・強制労働事件 中国残留邦人帰国者 | Permalink
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市民集会・帰国者弁論大会
成功のために 各団体を訪問
中国人強制連行・強制労働裁判は、3月29日が判決です。多くの市民に事の事実、真実を知ってもらうため、2月18日、浅井基文・元外務省中国課長を講師に迎えて開く市民集会をもちます。会場の福岡市民会館小ホールいっぱいの参加者で埋め尽くすことができれば、少なからぬ反響を呼びます。 (→ 浅井基文さんの2月18日の講演の案内はこちら)
そのために、現在、「中国人戦争被害者の要求を支える会」「中国人・強制連行事件福岡裁判を進める会」「中国人強制連行・強制労働事件福岡訴訟弁護団」の三者が協力して県下一円に働きかけを強化しています。
「支える会」と日中友好協会福岡県連合会は1月30、31日の両日、石村義治・支える会代表、岩佐英樹・県連理事長をはじめ11名が組をつくって、16の団体、労組、政党などを訪ね協力要請をしてきました。
また、要請行動では佐々木ミヤ子・中国帰国者を支援する会事務局員も参加し、3月5日の中国帰国者日本語弁論大会に参加について協力要請を行ないました。 (→ 中国帰国者日本語弁論大会の案内はこちら)
2006年 2月 11日 中国人強制連行・強制労働事件 中国残留邦人帰国者 | Permalink
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中国人強制連行支援市民集会成功に向けて
「要求を支える会」が世話人会
1月20日、「中国人戦争被害者の要求を支える福岡の会」は世話人会を開きました。
3月19日の福岡訴訟第2陣判決を前にして、広く世論に訴えるための市民集会のとりくみを成功させるために、
団体訪問などを取り組むことにしました。
市民集会は、2月18日、午後1時30分から福岡市民会館で開かれます。
2006年 1月 28日 中国人強制連行・強制労働事件 | Permalink
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元外務省中国課長 広島市立大学平和研究所長 |
浅井基文さんが語る |
「中国人強制連行・強制労働事件」福岡訴訟を勝利させる市民集会 |
日中友好を築いてゆくために、どのように中国人強制連行など 戦争責任・戦後処理問題を解決したらいいのでしょうか。 中国問題の専門家が語ります。 |
◎日時 2月18日(土)開場 午後1時30分 開演 午後2時 ◎場所 福岡市民会館・小ホール ◎参加費 無料 |
主催 |
中国人強制連行・強制労働事件福岡訴訟弁護団 中国人戦争被害者の要求を支える福岡の会 中国人・強制連行事件福岡裁判を進める会 |
連絡先 |
日中友好協会福岡県連合会 電話・Fax 092−761−0604 メール nc.fukuoka@gol.com |
2006年 1月 15日 イベント・講演 中国人強制連行・強制労働事件 | Permalink
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「初恋の来た道」鑑賞と総会
早速新しい会員も迎える 戸畑支部
総会翌日、須崎健一支部長から県連に電話がありました。「昨日はありがとうございました。一名増えましたよ。入会申込書を15枚ほど送ってください。」
12月18日戸畑支部総会が開かれました。その筋の熱達者が多い戸畑支部。オープニングは、映画「初恋が来た道」の鑑賞。参加者はみな我が若かりし日の自分に重ね合わせ感動。続いて総会行事。まず須崎支部長があいさつ、「中国映画や旅行など様々な取り組みをおこない、会員をふやそう」と呼びかけました。
県連の岩佐英樹理事長は、「来年5月の大会に向け (1)10%拡大 (2)準支部は支部に (3)新支部をつくる 運動をすすめています。県独自には、強制連行強制労働裁判に関わって (1)公正裁判要請ハガキを送る (2)市民集会(2月18日)の成功を」と訴えました。役員の留任。会計報告を承認し総会は終了しました。
そのあと、祝賀パーティー。「中国映画の評論」「中国旅行の報告」「2ヶ月に一度の映画会」など夢いっぱい、話の花が咲きました。(岩)
2005年 12月 24日 ニュース戸畑支部 中国人強制連行・強制労働事件 | Permalink
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新事務局長に岩佐秀樹氏
「中国人戦争被害者の要求を支える会」総会開く
11月25日、「中国人戦争被害者の要求を支える福岡の会」第5回総会が開催されました。
過去1年の取り組みの総括をし、次年度の運動方針を討議しました。
新事務局長には、岩佐秀樹氏(日中友好協会福岡県連合会理事長)が就任しました。
運動方針では主に次のような点が強調されました。
(1) 裁判の内容や進行具合を知ってもらい、世論を喚起するために裁判傍聴者を大いに増やす。
(2) 会の運動を広げるために「未来にこだわる私は過去にもこだわる」などのパンフや書籍の販売を強化する。
(3) 会費の安定確保
(4) 会員の10%拡大をめざす。
などです。
当面の活動として、3月29日の福岡地裁の第2陣判決に向けて、「公正な裁判を求めて」裁判所に要請ハガキを集中することと、市民集会(2月18日)を成功させることを確認しました。
2005年 12月 10日 中国人強制連行・強制労働事件 | Permalink
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10月16日、終戦60周年、日中友好協会創立55周年、中華人民共和国建国56周年を記念して、福岡県連合会主催の祝賀会が福岡市内のホテル開かれました。
会には、中国駐福岡総領事館の武亜朋総領事、李憲章 福岡華僑総会会長、強制連行裁判弁護団、九州残留孤児会長、県労連、政党(みらい福岡、公明党、日本共産党)、前進座、日本コリア協会、日本ベトナム協会、福岡北京同郷協会、内モンゴルの歌手サランマンドホさん、福岡日中文化センターの村上陽三所長・中国語講師団、日本中国友好協会会員など80名が参加しました。
麻生渡福岡県知事、山崎広太郎福岡市長、社民・市政クラブ福岡市議団からもメッセージが寄せられました。
アトラクションでは、深谷節子さんの麗しの歌声、優雅な太極挙、サランさんの熱唱なども披露されました。





2005年 10月 29日 福岡県連合会 中国人強制連行・強制労働事件 中国残留邦人帰国者 | Permalink
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中国総領事館 建国56周年
祝賀会盛大に開催
日中友好協会県連、強制連行弁護団も出席

祝賀会は9月27日、福岡市内のホテルで、行政、議会、企業、在日中国人、日中友好関係者など各界各層から多くの人々が参加して開かれました。
武亜朋総領事から参加者へのお礼と中日友好関係を発展させるために力を注ぎたいと、力強い挨拶のあと、麻生県知事から祝辞がありました。
日中友好協会福岡県連合会から、北川栄市副理事長、松山盛利事務局長が参加し、武総領事、中国人強制連行弁護団の松岡肇、小野山裕治、岩城邦治、中村博則各弁護士をはじめ出席者と懇親を深めました。
2005年 10月 10日 ニュース 中国人強制連行・強制労働事件 | Permalink
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「2005平和のための戦争展in北九州」が開催されます。
10月2日(日)9時半?16時、八幡市民会館
→ 詳しくは、ここをクリック
会沢芽美さんの歌、井上ひさしさんの記念講演、北九州市立大学学生による寸劇、青年の主張など。
展示コーナーでは、戦争資料、遺品展示、八幡・戸畑・若松の空襲資料、広島・長崎・沖縄、侵略・強制連行、シベリア抑留、治安維持法下で戦争に反対してたたかった人々、戦時下 の教育・国民生活などの展示があります。
鉄かぶとや銃、砲弾、風船爆弾など展示では、自由に触れて実感できます。
入場無料(ただし入場整理券が必要です)
→ ここをクリック
2005年 9月 16日 イベント・講演 中国人強制連行・強制労働事件 平和のための戦争展 | Permalink
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抗日戦争・世界反フアシズム戦争勝利60年座談会
中国総領事館主催・協会福岡県連などから総勢35名が参加
8月13日中国駐福岡総領事館
中国では、中国人民抗日戦争・世界反フアシズム戦争勝利60年の今年を記念して、国家的行事が相次いで行なわれています。
福岡でも8月13日、座談会が開かれました。
はじめに、武亜朋総領事が挨拶し、この記念行事が「歴史を顧みて、抗日戦争で経験した民族精神を高揚させ、世界平和の発展のために貢献するため」に開かれていることをのべました。
つづいて、抗日戦争とファシズム戦争の歴史認識ついて触れ「戦争の本質をはっきりつかみ、犯した過ちを認めることが大切だと」語りました。
靖国参拝問題について、「戦争を引き起こしたA級戦犯を祭るところに総理や官房長官が参拝することを中国国民はけっして受け入れられない」と毅然として語りました。
最後に、「中国は日本の友人と手を携えて、中日友好のために、歴史の教訓、経験を生かし、今後も一層がんばっていきます」と平和に向けての決意を語り、「今日は自由に語り、発言してください」と開会の話を結びました。
この武総領事の挨拶に応えて、最初に松山盛利県連事務局長が発言を求め、記念すべき座談会に招待されたことについての謝意を表し、つづいて、55年間、困難な中でも中国国民を信頼し、友好・平和と相互理解を深めるために様々な運動を行ってきた、日中友好協会の活動を紹介しました.。そして、当日、出席した、「八路軍に参加した人、中国強制連行事件、残留日本人孤児の支援、中国語講座運営などで、日夜奮闘しいてる6名の会員の話を聞いて欲しい」と発言しました.。
福岡支部副支部長で戦争を知らない世代の弁護士の後藤富和さんは「日中間の清算をきちっとすることは、今後の日中友好のために大切です。それがなければ又、戦争を起こすと思います。9条が改正されようとしています。自由に戦争ができるようにするためです。私は強制連行・労働裁判の弁護士ですが、裁判は全国で負けています。しかし、強制連行・労働の事実はどこも認めています。ところが、政府は何も言わない。今こそ、過去を問いただす時です。日中韓、三国が手を取り合えば必ず大きな力になります。しかし、日本はアメリカばかりに目を向けている。こんな状況を改めさせ、日中友好を発展させることが大事だと思います」と語りました。
3歳で大連に父母とともに渡り、小学校3年生のときに敗戦を迎え、18歳で帰国した深谷節子さんは、「弟妹は33年間、中国の養父母に育てられました。感謝の気持ちでいっぱいです。20年間、私は、学校で子どもたちに話をしています。戦争が日本にもたらした不幸を2度とさせてはなりません。ところが、国は被告であるが反省はしてはいません。今、私は日中友好協会の会員として学ばされています。人生大学のようなものです。2度と過ちを繰り返させてはなりません。私は1人の国民として、母親として行動を今後も続けていきたいと思います。戦争の悲惨さを語っていくことが大事だと思います」と戦争体験者としての思いを語りました。
また、華僑総会の人は「母親は纏足(てんそく)でした。シナ人、チャンコロと石を投げられたこともあります。しかし、ほとんどの周りの人は善良な人でした。オ偉い人のために、国民はひきづられ、みんなだまされた。誰が戦争の責任を取ったか。教科書問題、日本のマスコミも右翼にマイクを渡すようなことをしています。中国は私の母であり、命です。日本は正しい教育をすべきです」と今日の日本を憂えていました。
また、別の華僑の人も「教科書には戦争がいつあったかさえ載っていない。大学生さえ戦争を知らない。戦争は市民を苦しめるもの。平和のために日中両国民は仲良くしよう」と日中友好の大切さを訴えました。
中華料理店の経営者で、シャンソン歌手でもある女性の人は「父は、大牟田の炭鉱に連れてこられました。3年前に亡くなり、荼毘(だび)にふした時、銃弾が腰の付近から出てきました。私は4人の子どもたちにも、唄うときも、政治のことを敢えて話します。私が歩んで来た道や中国人であることを~」と凛とした中国人の誇りが伝わってきました。
九州平和友好会の会員から「八路軍の規律はすばらしかった。今の日本は戦争への清算はしていない。国民は昔のごとく洗脳されたままです」「中国の子どもたちのために、毎年30万円援助を続けている。日中友好は大切」などと発言がありました.。
また、新聞社の元北京特派員の人は「小泉首相の批判をするといやがる人がいる。日中友好は50年、100年単位で取り組む必要がある。それは、人を育てることです。政府や行政が留学生を相互に交換し、お互いに勉強していくとが大事です。交渉だけではダメです」と日中友好の今後のあり方について発言をしました。
活発な発言が続きましたが、最後に武総領事が「みなさんの発言を聞いて感激しました。大変、見識が高く誠実で、他に見られない良い座談会であつたと思います。日中両国はどんなことがあつても、仲良くしていく、そうしなければ互いにマイナスになります。手を携えてがんばっていきましょう」と閉会の言葉を述べました。
2005年 8月 21日 福岡県連合会 中国人強制連行・強制労働事件 中国残留邦人帰国者 | Permalink
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役員は大幅増、専門部も設置
中国に日本語学校設立も準備
福岡支部が第39回定期大会開催
福岡支部は、吉林省民族楽団公演を大成功させ大いに盛りあがる中で、7月10日、第39回定期大会を開きました。
ここ5年の間、中国国民との交流が大きく広がり、支部や福岡日中文化センターの様々な講座やサークルは活気を見せています。
また、戦争被害者である帰国者や中国人強制連行者の支援活動も進んでいます。一方、今の日本と中国の情勢を反映して、日中友好協会に対する期待と関心は高まり、事務局の仕事量が大幅に増えています。
こうした中で大会は、ひとりでも多くの会員の協力を得て運動を進めるために、交流・旅行部、学習部、文化部などを作ることや役員も23名から31名に大幅に増やすことにしました。また、「日本語学校」と「茶館」の設立などの計画を進めていくことにしました。
大会では、24名の人から報告や発言がありました。
大会終了後、会員から寄贈された「宏介ちゃんプロジェクター」「正勝ちゃん暗幕」の披露も兼ねて映写会と懇親会を楽しく行ないました.。(M)

2005年 7月 23日 福岡支部 中国人強制連行・強制労働事件 中国残留邦人帰国者 日本語学校 | Permalink
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6月4日開きました。強制連行問題では、第2陣公判も終盤を迎え、より一層の世論喚起の必要性、田川では石炭資料館に強制連行の史実を掲げるコーナーを設けるよう働きかけていくこと。また、戦後60周年の節目の今年、「平和のための戦争展」「戦後60周年紀念コンサート」の開催等、報告ならぴに、各議案の討議・確認がなされ、この一年間の最重要目標に、役員・組織の若返りを掲げ、組織拡大に取り組むことになりました。
昨年結成された「9条の会・田川」に田川支部会員も多数呼びかけ人となり参加していますが、会員それぞれが積極的に署名活動など、広げていくことも大切だと確認しました。
総会終了後の懇親会では、新会員を迎え、活発な意見交換がなされました。そのなかで、組織の若返りが話題になり、次期支部長候浦名も出され、内諾を得たました。また、支部には直方、飯塚の両市に住む会員もおり、近隣地域に支部も作ることの大切さも話になりました。
2005年 6月 26日 田川支部 中国人強制連行・強制労働事件直方支部 | Permalink
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