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帰国者墓前で平和祈願祭   中国帰国者九州連合会

帰国者墓前で平和祈願祭   中国帰国者九州連合会

永遠の友好願い 献花と黙とう

帰国者墓前で平和祈願祭   中国帰国者九州連合会

 8月15日猛暑の中、福岡市西区西部霊園の墓前で中国帰国者九州連合会による平和祈願祭が開催され、福岡県内や熊本県から帰国者30人が参加しました。

 協会福岡支部から当時久保副支部長・大井理事長が参加。
 木村琴江会長のあいさつに続き「第71回終戦記念日平和宣言」が中国語で宣言され、会場には日本語翻訳文が配布されました。

 木村会長は「終戦後の中国で私たちは日本の鬼子と差別されました。帰国しても日本語が話せず『日本に何しに来た中国に帰れ』と言われ、自分自身が中国人か日本人かさえ分からなくなりました」
 「国交がなく帰国が遅れ、日本の義務教育も職業訓練も受けられませんでした。現在は貧しい生活で過ごしています。政府に戦争が残した悪の解決を強く要求します。日本と中国の友好が永遠に続きますように、戦争がおこらないように平和を祈ります」と力強く訴えました。
 亡くなられた方々を偲んで献花と黙とうをささげました。

 

2016年 10月 8日 中国帰国者, 中国残留孤児 | | コメント (0) | トラックバック (0)

『平和は幸福の本 戦争は災難の根』 中国帰国者の会「平和祈願祭」開く 

『平和は幸福の本 戦争は災難の根』 中国帰国者の会「平和祈願祭」開く 

『平和は幸福の本 戦争は災難の根』 中国帰国者の会「平和祈願祭」開く 

 福岡県中国帰国者の会(木村琴江会長)は、8月15日、福岡市西区の市立西部霊園「中国帰国者乃墓」の前で、平和祈願祭を開きました。

 当日は射るような厳しい太陽のもと、県外からの参加者も含めて40名が故人を弔うとともに平和を誓い花を捧げました。
 祈願祭は同会が2002年に発足以来、毎年開かれています。

 木村琴江会長は「日本は中国やアジアを侵略し、多くの人々を殺害しました。家庭を壊し、妻と子を奪いました。私はまだ幼く、寒さと飢餓のため痩せこけ、死に直面しましたが、善良な中国の養父母が助けてくれました。そして、大人になるまで育ててくれました。この恩は永遠に忘れません。『平和は幸福の本。戦争は災難の根』です。私たちは安倍政権の戦争政策に断固反対し、「憲法」を「戦争憲法」に変えることに反対します。日本と中国が永遠に友好あるように、戦争は絶対反対です。」と平和への誓いを力強く語りました。

 墓は1994年に建立され、現在17柱が納められています。、
 今年も県連の松山盛利副会長、福岡支部の当時久保正弘副支部長、大井信明事務局長、名和田澄子理事が参列しました。

 

2016年 2月 5日 中国帰国者 | | コメント (0) | トラックバック (0)

18人の中国残留孤児による「血涙史」  『戦後七十年回憶録』 出版  ~新聞報道に大きな反響

18人の中国残留孤児による「血涙史」  『戦後七十年回憶録』 日本語翻訳付版(B5 188P) を出版 定価1,000円(税別)で発売中!

新聞報道に大きな反響・電話注文が次々に

 戦後70年にあたる昨年9月、中国帰国者九州連合会が、18人の会員の“壮絶な体験記”をまとめ、中国語の“戦後七十年回憶録”を発行しました。

18人の中国残留孤児による「血涙史」  『戦後七十年回憶録』 日本語翻訳付版(B5 188P) を出版 定価1,000円(税別)で発売中!

 これを知った会員からの「ぜひ日本語翻訳版を出してほしい」との要望に応えて、協会県連は、中国語を学んでいる会員の協力を得て、全篇を翻訳しあげ、「中国語原文付きの日本語翻訳版」を昨年末に出版に漕ぎつけて、12月25日報道関係に発表しました。
 発表の翌日から「新聞を見たけれど…」と言う電話での注文が、県外も含めて次つぎにかかって来て、「自分も引き揚げ者だ。帰国者のために何らかの協力をしたい」など、電話での注文だけで既に100冊を超えて、 事務局では反響の大きさに驚くやら、喜ぶやら…。
   

18人の中国残留孤児による「血涙史」  『戦後七十年回憶録』 日本語翻訳付版(B5 188P) を出版 定価1,000円(税別)で発売中!

 

毎日新聞2016年1月7日 地方版
      戦後七十年回憶録   日本語訳出版
      「平和で安心な世の中に」 元中国残留孤児の手記まとめ /福岡

 

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日本語翻訳付版(B5 188P)

1冊1000円+消費税です。
遠方の方の郵送料は82円です。

問い合わせ:日本中国友好協会福岡県連合会
           電話/FAX 092-761-0604
           nc.fukuoka@gol.com

2016年 1月 17日 中国帰国者, 中国残留孤児 | | コメント (0) | トラックバック (0)

 『望郷の鐘』  戦後70年 ぜひ観てほしい映画です  福岡県内各地で上映 

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<上映日程>

福津市 中央公民館大ホール
      11月21日(土) ①11時 ②14時

宗像市 河東コミセン多目的ホール
      11月22日(日) ①11時 ②14時

筑紫野市 生涯学習センター
      11月20日(金) ①14時30分 ②19時

久留米市 えーるピア
      2016年3月1日(金) 時間未定

◎その他、県内各地で準備中


(これまでの上映)
7月11日(土) 福岡 コミセンわじろ 
7月18日(土) 福岡・中央市民センター 
7月21日(火) 福岡 早良市民センター 
8月30日(日) 田川 青少年文化ホール 
9月11日(金) 戸畑区 ウェル戸畑 
7月10日(金) 北九州ムーブ大ホール 
9月12日(土) 八幡西区 黒崎子どもの館 
8月23日(日) 春日市・クローバーホール 
9月5日(土) 飯塚市 コミニティセンター 
8月8日(土) 八女市 おりなす八女 
8月28日(金) 大牟田市 大牟田文化会館 



 
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映画 『望郷の鐘』 ホームページはこちら。

  ダイジェスト動画


 みずからも満州で過酷な体験をしながら、生涯を残留孤児たちの肉親さがしに捧げ、献身的な愛で支えた山本慈昭。 その生涯をたどった物語。

 

2015年 10月 26日 イベント, 中国帰国者, 中国残留孤児, 交流 | | コメント (0) | トラックバック (0)

人生に友好の歴史あり⑤  帰国者の立ち上げ運動を開始、「帰国者支援法」制定へ全力   木村琴江さん

帰国者の立ち上げ運動を開始、「帰国者支援法」制定へ全力
人生に友好の歴史あり⑤   木村琴江さん

 二十九年前、43歳で帰国した木村さん。 当時、残留孤児など中国帰国者のほとんどは日本語が話せず、職場や地域社会で孤立。 お互いどんな生活をしているかわからない状況でした。 当時、ハンセン病問題で元患者さんたちが立ち上がり、国に勝利して制度改善を勝ち取ったことを知った木村さんは、「自分たちが置かれた現状を変えよう」と帰国者の会」を立ち上げ運動を開始。 全国で集団訴訟を取組み、やがて帰国者支援法を成立させます。

人生に友好の歴史あり⑤  帰国者の立ち上げ運動を開始、「帰国者支援法」制定へ全力   木村琴江さん
 穏やかな表情にも苦難
を生き抜いてきた強さを
秘めた木村琴江さん

二歳半で残留孤児に「この
子だけでも」と母が哀願
 両親は青森県出身、家族全員で開拓団として満州国間島省琿春県(当時)へ。
 そこで木村さんは誕生、父親はシベリアに出征します。

 一九四五年八月九日、ソ連軍が参戦、母親は幼な子七人を連れて逃避行。
 西太廟難民収容所で母親は、王世代という中国人に「子どもを抱えて食べ物もなく、私も病気で死ぬのを待つだけです。どうかこの二歳半になる女の子(琴江さん)だけでも連れて行って助けて下さい」と泣いて頼みます。
 王さん宅も子供がたくさんいたので妹の于さん宅に引き取られ、于秀琴と名付けて育てられます。

養父が病床で「日本人だか
ら将来帰国を」と告げる
 幼い頃、周りの人から「小日本鬼子」といじめられた琴江さん。
 養父母は日本人であることを明かさず愛情を注いで育てます。
 小学校を卒業後、十六歳で働きだしたころ、養父が病床で「お前は中国人ではない。
 日本人だから大きくなったら故郷へ帰ってみなさい」と告げられ、引き取られた経緯を知ることに。
 十九歳で結婚、一男三女をもうけます。
 国交回復後の一九七三年、中国の公安局から調査を受け「日本人孤児」として登録されます。

二十九年前、43歳で帰国
中華料理「帰郷」を開店
 一九八六年九月一九日、身元は未判明のまま家族全員で帰国。
 母国に帰れた喜びもつかの間、言葉は通じず体調を壊し病気に、二年間生活保護を受けます。
 自立しようと努力の末、小さな中華料理店を福岡市東区箱崎に開店。
 店名は「帰郷」。 見知らぬ両親の母国に帰れた喜び、ここを拠点にこれからの人生を強く生き抜く気持ちを込めた店名です。

60歳で「帰国者の会」立ち
上げ「支援法」制定へ全力
 「九州の帰国者の会には百四十人以上います。高齢で日本語をほとんど話せず生活保護を受けて最低限の生活、老後が不安です。『支援法制定』に日中友好協会や弁護士の方が支援してくれ感謝に絶えません。日本人として当たり前の生活がしたい。これからも運動を続けます」九州地区・福岡県中国帰国者の会会長、協会福岡支部理事を務める木村琴江さんです。

2015年 9月 12日 人生に友好の歴史あり, 中国帰国者 | | コメント (0) | トラックバック (0)

人生に友好の歴史あり④  養父母の愛 中国で教師に  ~「祖国は二つ」友好は生涯の願い~  川添緋沙子さん

養父母の愛 中国で教師

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「祖国は二つ」友好は生涯の願い

川添緋沙子さん 福岡(七十九歳)

 「私の祖国は二つ、戦後七十年の今、心から友好を願っています」
 九歳の時、戦後の逃避行で父母は他界。 旧満州ハルピンで残留孤児になった川添さんは養父に助けられ九死に一生を得ます。
 養父母の愛情を受けながら必死で中国語を覚え、師範学校を首席で卒業。 小・中・高の教師を務め、四十七歳で帰国。
 日本語を習得し帰国者支援に生涯をかける生き方には「友好平和」を願う強い信念があります。


家族五人で逃避行、両親は
収容所で死亡、残留孤児に

 川添さんの故郷は佐賀県唐津市北波多町。
 郵便局員の父は転勤で旧満州の延吉市に、そこで出生します。

 昭和二十年八月、父は郵便配達中にソ連の空爆に遭遇。
 当時九歳(小三)の川添さん、二人の妹と両親、一家五人の逃避行が始まります。
 草や木の根を生のまま食べ、夜は木の下で寝ました。
 ソ連軍に遭遇し牡丹江の収容所に、母はそこで出産し死亡。
 赤ちゃん(妹)は中国人に引き取られます。
 その後移されたハルピンの収容所で父も息を引き取りました。

餓死寸前、養父に救わ
れ九死に一生を得る

 飢えと寒さで餓死寸前、亡くなった父親を立って見送ることもできませんでした。
 その日の夜、「まだ生きている」と中国人五・六人が探しに来てくれました。
 父が亡くなる直前、中国の友人に川添さんたち姉妹のことを頼んでくれていたのです。
 妹も他の中国人に引き取られて行きました。

「言葉の壁だけでなく
人生の壁も乗り越えな
ければ」

 養父は仕事でハルピンに単身赴任で来ていました。
 男手ひとつで川添さんを育て「早く元気になって学校に行きなさい」と励ましました。
 「これから中国人と暮らす、言葉の壁を乗り越えなければ」と必死で中国語を覚えます。

 養父は「お前の命を救ったのは、老後の面倒を見てもらうためではない。 社会に役立つ、立派な人間になってほしいからだ」と励まします。
 養父も若いころ日本人に助けられた経験がありました。

 新中国誕生の年、十三歳の川添さんは試験を受け、国語・算数とも百点で夜間学校に入学。
 その後養父の仕事で故郷に帰り山東省立師範学校に入学。
 卒業後、小学校・中学校・高校の教師を務めます。

四十七歳で帰国、協会
と出会い帰国者支援運
動に全力

 「『戦死者』として戸籍が抹消されパスポートが取れない上、身元保証人の問題もあり、なかなか帰国できませんでした。 帰国してからは日本語ができず壁にぶつかりました。 必死で日本語を覚え、家族や生活のことで支援してくれたのが日中友好協会です」と語る川添さん。
 帰国者の会事務局長として活動する姿には、「二つの祖国の平和友好」を願う信念が満ち溢れています。

 

2015年 9月 1日 中国帰国者, 中国残留孤児 | | コメント (0) | トラックバック (0)

「皆さんの申し入れの解決に全力」 中国帰国者2世、県議会に協力要請

「皆さんの申し入れの解決に全力」 中国帰国者2世、県議会に協力要請
「皆さんの申し入れの解決に全力」 中国帰国者2世、県議会に協力要請

 県連は6月11日、福岡県知事に中国帰国者2世への支援について「人間の尊厳が確保できる施策を」「新・支援法が帰国者2世にも適用できるよう国に申し入れること」など10点について文書で「申し入れ書」を手渡し交渉していました。

 7月1日には県議会の5会派に協力要請をおこないました。 
 帰国者1世、2世とともに、後藤富和弁護士、県連の松山副会長、星野事務局長が同行しました。
 丁度、議会中で多忙なときでしたが、原中誠志福岡県議(民主)、山口律子県議(共産)からは時間を割いて話を聞いてもらえました。

「皆さんの申し入れの解決に全力」 中国帰国者2世、県議会に協力要請 原中誠志福岡県議(民主)

 原中誠志県議「 帰国者ご本人、2世、3世の皆さんの支援に取り組んでいきます。 県独自の取り組みを行ってきましたが、国の対策に準じる部分が多く、皆様方の期待に応える施策が十分にできていたとは考えていません。皆さんの生活支援にしっかりと取り組んでいきます。」

「皆さんの申し入れの解決に全力」 中国帰国者2世、県議会に協力要請 山口律子県議(共産)

 山口律子県議「みなさんは幼いころつらい体験をされたことでしょう。今また戦争へ向かおうとしています。同じ過ちを繰り返してはなりません。皆さんの申し入れの解決に全力を挙げて頑張ります」
.

2015年 7月 23日 中国帰国者 | | コメント (0) | トラックバック (0)

 『望郷の鐘』  戦後70年 ぜひ観てほしい映画です  福岡県内各地で上映 

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福岡 コミセンわじろ

 7月11日(土)①14時30分②18時30分

福岡・中央市民センター

 7月18日(土)①11時 ②14時

福岡 早良市民センター

 7月21日(火)①14時30分②18時30分

田川 青少年文化ホール

 8月30日(日)①10時②14時③18時

戸畑区 ウェル戸畑 

 9月11日(金)14時30分

北九州ムーブ大ホール

 7月10日(金)①11時②14時

八幡西区 黒崎子どもの館

 9月12日(土) ①14時30分②18時
春日市・クローバーホール

 8月23日(日)①10時30分②14時

飯塚市 コミニティセンター

 9月5日(土) 時間未定

八女市 おりなす八女

 8月8日(土)①14時②18時30分

大牟田市 大牟田文化会館

 8月28日(金)①14時30分②19時

福津 福津市中央公民館

 11月21日(土) 未定

宗像市 河東コミセン

 11月21日(土) 未定

◎その他県内各地で準備中
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映画 『望郷の鐘』 ホームページはこちら。

  ダイジェスト動画


 みずからも満州で過酷な体験をしながら、生涯を残留孤児たちの肉親さがしに捧げ、献身的な愛で支えた山本慈昭。 その生涯をたどった物語。

 

2015年 7月 2日 イベント, 中国帰国者, 中国残留孤児, 交流 | | コメント (0) | トラックバック (0)

「戦後70年」手記① 中国の大地に1人 生き残った私  八幡支部・原田育子

「戦後70年」手記①

中国の大地に1人
 生き残った私

     原田育子 八幡支部

  私は1933年6月19日山口県下関市で生まれました。
 ちょうど70年前の1945年の春に、家族で満州の吉林省黒頂山開拓山にいきました。
 父は兵隊にとられ、兄は海軍学校で日本に残り、母と私たち兄妹五人になり母は開拓団のみなさんと一生懸命に畑仕事をしていました。
 私はそこに着いて学校もない家の中で兄妹たちのお守りをしていました。
   

  突然、帰国命令

 その年の8月8日でした。突然、開拓団の団長から日本に帰る命令を受け、母が私たちを抱いて泣きました。
 母から「すぐ日本に帰る」と言われ、その日の夜中12時に出発しました。
 9日の朝、鎮西という小さな駅に着きました。
 ひと晩待っても汽車は来ませんでした。

 団長が「ここは小さな駅だから何日待ってもだめでしょう。わたしたち兆南という大きな町に行きます」と言われ、また歩きだしました。
 しかし、私たちは、2日間何にも食べてないので歩く力がありません。
 しょうがないから黙って畑の中に入ってトウモロコシをとって生で食べたり、雨ばかり降っていましたので、のどが渇いたら雨水を飲んだり、疲れたら畑の中で休んだり、やっとあと30キロで兆南に着くところでした。
  

  首を切られて気を失う

 8月13日の朝でした。
 団長が「もうすぐ町に着くからみんなちょっと休もう」と言ったとき、鉄砲の音がしました。
 うしろを見たらロシア軍が来たのです。
 私たちみんなあわてて畑の中に隠れました。
 でも老人たちは走ることができずロシア軍に殺されました。

 私たちは、畑の中で30分くらいたちました。
 外は静かになりました。
 ちょっとのぞいてみたら、ロシア軍は私たちを追ってこないで町の方へ行きました。
 それで私たちはまた一緒に集まりました。
 団長が「私たちはもう日本に帰ることできないでしょう、まわりはみんな私たちの敵です。」と言われました。
 母は私たちをしっかり抱きしめて大きな声で泣きました。
 ほかの団体のお母さんたちも自分の子どもたちを抱きしめてみんな泣いていました。

 そのとき鉄砲の音がしました。
 みんな頭をあげてみたら、1人の少年兵が鉄砲でみんなをつぎつぎと撃っていました。
 しかし私たちの番になったとき鉄砲の弾がなくなり、団長が刀を抜いてきたのです。
 母と弟妹は私の目の前で切られ、母はすぐに亡くなりました。
 私は1番最後で首を切られて気を失いました。

 それから何時間たったかわかりませんが目がさめてまわりを見たらまだ2歳になっていない幼い弟が、母が死んでいるのもしらないで母の胸の上でおちちを飲んでいました。
 6歳の妹は母の近くで泣いていました。私はまた気を失いました。

 2度目に目がさめてまわりを見たら弟は母の胸の上で死んでいました。
 母のまわりにも2人の弟と妹は死んでいました。
 6歳の妹はもういませんでした。
 私は喉が渇きました。
 でも動くことができません。
  

  中国人の家に

 ちょうどそのとき、私の目の前に中国の人が2人立っていました。
 私が頭をあげて「水」と言いました。
 1人の人が、はっぱに雨水を入れてもってきて私に飲ませてくれました。
 2人は兄弟でした。
 それから2人が板を借りてきて、私をかかえて家まで着きました。
 家の中は大家族でみんなやさしい人たちでした。
 薬もないのでお酒と塩で私の傷を洗ったり、みんなが手伝って治してもらいました。
    

  2度と戦争がないように

 戦争は本当に恐ろしいです。
 私はあのときに受けた強いショック、混乱の中の子どもたちの泣き声が今でも耳の中で響きます。
 みなさん、2度と戦争が起こらないようにいつまでも平和を祈りましょう。

   

2015年 5月 29日 中国帰国者 | | コメント (0) | トラックバック (0)

人間の尊厳を守って欲しい!! 帰国者2世、弁護士、協会県連が対策

人間の尊厳を     
      守って欲しい!!


帰国者2世、弁護士、協会県連が対策

 中国帰国者2世の会、弁護士、協会福岡県連の3者による「中国残留邦人帰国者2世の問題」の話し合いが1月13日、県連事務所で開かれました。

尊厳を守って欲しい!! 帰国者2世、弁護士、協会県連が対策

 この日は、2世の会木村友和会長をはじめ4人、帰国者の会の木村琴江会長、川添緋砂子事務局長、協会福岡支部長の後藤富和弁護士、中原昌孝弁護士ら4人の弁護士、帰国者1世を長年支援してきた名和田澄子さん、協定県連の松山盛利副会長ら4人が参加しました。

 帰国者2世から現状がこもごも語られました。

「私は20年前、47歳の時に帰国した。17年働き、わずかだが年金をもらっている。生活できなくて5年前から生活保護を受けている。4年前に中国の養父母に会いに行った。飛行機代は年金をためて購入したのに生活保護費から削られた。その間、生活がとても厳しかった。生活保護では海外旅行は認めていないと言われた」

「中国の養父母のお見舞いに行くとか墓参する場合に、中国は広いから、生活保護での渡航期間を2週間しか認めないのは現実的でない。せめて支援法で認められているように2カ月は欲しい」

「病院に行って通訳がいないのは大変困った。先生に病状が分かってもらえたのか不安だし、先生の言っていることが理解できないことが多い。通訳をお願いするのは予約しないとだめで日にちがかかり、間に合わない」

「生活保護受給の際にとても耐えられない言葉を投げかけられた」

「日本語が話せないために仕事でも差別を受け厳しい労働にしか就けず、体を壊している人が多い」

 帰国者2世の方は全国で2万4000人以上いるそうですが、国も市も現状を把握していません。
 この日の話し合いでは、生活保護に頼らざるを得ず老後の生活の不安も抱えている現状を何とか改善したいと、国や県、市などにも2世の要求を提出しようと「申し入れ書」をまとめることになりました。

 弁護士さんの支援もあり、2世の問題の解決にはこの福岡から全国へ発信していこうと参加者一同決意を新たにしました。

 

2015年 2月 10日 中国帰国者, 中国残留孤児 | | コメント (0) | トラックバック (0)

「帰国者の願い、日中友好は私も同じ」 唐家璇中日友好協会会長、川添緋砂子事務局長に福岡で語る。 

「帰国者の願い、日中友好は私も同じ」

唐家璇中日友好協会会長、川添緋砂子事務局長に福岡で語る。 

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 6月7日、福岡市内のホテルにおいて、中国の唐家璇中日友好協会会長を迎えて、中国福岡総領事館と「福岡県日中友好協会」の主催で日中友好の集会が開かれました。
 当日は、九州中国帰国者の会の代表も招待されました。
 川添緋砂子事務局長(日中友好協会福岡支部理事)は、唐家璇会長と懇談し、次のように語りかけました。
「唐先生、こんばんは、私は戦争の犠牲で中国残留孤児になりました。中国は残留孤児に対して命の恩人です。その恩は、一生忘れません。残留孤児の希望は日中両国永遠友好、永不再戦です。残留孤児の体の中に流れている血は、日中両国の人の血です。みんな日本と中国友好が一番大事と思っています。」
 微笑みをたたえながら聞いていた唐家璇会長は、「あなたたちの希望は、私と同じです。一緒に頑張りましょう」と帰国者の皆さんを激励しました。

2014年 7月 26日 中国帰国者, 中国残留孤児, 交流 | | コメント (0) | トラックバック (0)

「帰国者2世の会」発足  協会福岡県連、支援を力強く約束   「九州地区中国帰国者の会」第12回総

「帰国者2世の会」 発足
協会福岡県連、支援を力強く約束

 

 2月23日、福岡市で「九州地区中国帰国者の会」第12回総会が開かれました。

 午前中は水餃子づくりと食事で交流を深め、午後は会議を開催しました。
 大分県や熊本県などからも幅広い参加があり、参加者80余名のうち帰国者2世がその約半数を占めて若返ったことも特徴の一つです。

 木村琴江会長のあいさつの後、椛島敏雅弁護士が昨年国会で成立した「中国帰国者配偶者支援法」の内容について説明を行いました。
 この法律によって帰国者が亡くなつた後も配偶者に新支援法が適用されることになりました。
 椛島弁護士は「この成果は先の国家賠償請求訴訟が終了しても原告団を解かずに戦い続けた成果」だと評価しました。

 続いて中原昌孝弁護士が九州弁護士会連合会人権擁護委員会が行った「中国帰国者2世の生活実態調査」の中間報告をしました。
 2世も高齢化し十分な老齢年金を受給できずに生活保護受給者が少なくないこと、その場合生活に様々な制限が加えられることなど、一世の人達が訴訟を起こす前に遭遇した問題と同じ深刻な状況があることが報告されました。
 その報告後 木村友和会長を含む7名の役員を投票で選出し、参加者の信任を得て「帰国者2世の会」が結成されました。

 また、午前中、支援者からなる九州地区中国帰国者を支援する会の役員会が開かれ今後の支援の在り方が検討されました。

 帰国者の総会に出席した協会福岡県連の松山盛利副会長は「協会福岡県連は今年で創立60周年を迎えます。この歴史と組織力を活かし今後とも帰国者支援のためにみなさんと共に活動していきます」と力強く語りました。    (な)

2014年 3月 9日 中国帰国者 | | コメント (0) | トラックバック (0)

「中国帰国者の体験を聞く会」 福岡市東部地域のつどい  6月29日(土)  香椎公民館

  福岡市東部地域のつどい
「中国帰国者の体験を聞く会」

 福岡市東部地域では、昨年から色々な行事に取り組み、今年は、新年交流会「ギョウザつくり」を楽しみました。
 安倍政権は「憲法改正や慰安婦問題」で、歴史に目をつぶり、逆行させようとしています。
 「日中」は、不再戦・友好を通じ、アジアと世界の平和を願う組織です。
 中国で幼い時に終戦を迎え「残留孤児」となったお二人に、ご自身の体験を話して頂きます。

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日時 : 2013年6月29日(土)14時から
会場 : 香椎公民館(西鉄香椎駅(貝塚線)まえ)

     ①「戦後の思い出
          木村琴江
       (九州地区中国帰国者の会 会長)
   
     ②「戦争体験・中国での暮らし
          川添緋砂子
       (九州地区中国帰国者の会 事務局長)

2013年 6月 2日 講演, 中国帰国者 | | コメント (0) | トラックバック (0)

福岡県弁護士会 「新役員祝賀会」開かれる 福岡県連も出席

福岡県弁護士会 「新役員祝賀会」開かれる 福岡県連も出席

 福岡県弁護士会「新役員祝賀会」が5月22日、ホテル・ニューオータニで行われました。

 招待を受けた福岡県連は、岩佐英樹、松山盛利両副会長、松尾武蔵理事長、星野信事務局長が出席し、中国人強制連行事件や帰国者支援で尽力いただいている弁護士のみなさんと交流を深めました。
 千人を超える弁護士会の「祝賀会」とあって、盛大な中にも、不祥事を根絶する決意のこもった凛としたものが感じられました。
 橋本千尋県弁護士会会長は「弁護士法第一条に示されている『 弁護士は、基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とする。』原点にたちかえり、国民の立場に立って人権を守る、戦後復興のさなかに誕生した弁護士法は、あの間違いを繰り返さない社会の実現です。今後信頼回復に努力します。」と挨拶しました

 

2013年 6月 1日 中国人強制連行・強制労働事件, 中国人戦争被害者の要求を支える会, 中国帰国者, 中国残留孤児 | | コメント (0) | トラックバック (0)

「帰国者の配偶者」は泣いています  生活支援を求める請願署名の取り組み決定  「中国帰国者の会」総会

「帰国者の配偶者」は泣いています
生活支援を求める請願署名の取り組み決定  「中国帰国者の会」総会

 5月6日、福岡市で、「九州地区中国帰国者の会 第10回総会」が開かれ75人の参加で、「新・新支援法」実現へ向けて熱気あふれる会議となりました。
 「帰国者の会」の川添事務局長が司会を務め、木村会長が「『新支援法』から4年がたって生活は安定してきたが、配偶者や2世・3世に支援法が適用されない問題を解決するために帰国者の会を発展させましょう。新支援法改正に賛同する帰国者、2世・3世の署名は422人に達しています。老人ホームの夢も実現しましょう」と呼びかけました。
 椛島弁護士は「配偶者に絞った要求で政府と交渉します。7月9日の厚生労働大臣との面談を前に世論を広げるために一緒にがんばりましょう」と激励されました。

 星野県連事務局長は、日中友好協会として全国的に「中国残留孤児の配偶者の生活支援を求める請願署名」を団体に広げ、街頭で支援を訴えていく決意を述べ、協会への入会を呼びかけました。
 川添帰国者の会事務局長は「協会は再び戦争しないために運動している。私たち帰国者は戦争の犠牲者です。再び犠牲とならないために協会の輪を広げましょう」と訴えました。

 原中県会議員は「福岡県議会で新支援法改正を求める要請決議ができるよう頑張ります」と連帯のあいさつ。大きな拍手がありました。
 井下弁護士から、九州弁護団が人権擁護委員会で2世・3世の聞き取り調査を行っており、新支援法の問題点を浮き彫りにしていく」とりくみが報告されました。

 帰国者は生活実態を出し合い、議論百出の後、問題点の解決をめざして結束を強めようと誓い合いました。
 総会に先立って帰国者のみなさんが手作りした餃子を支援する会のみなさんと共に食べながら交流を深めることができました。


2012年 6月 5日 中国帰国者 | | コメント (0) | トラックバック (0)

「帰国者を支援する会」も総会

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 5月6日、福岡市で、「九州地区中国帰国者を支援する会」総会が2年ぶりに行われました。

 名和田会長から「新支援法制定以降の帰国者の生活実態と今後の支援のあり方をめぐって」リアルな報告がありました。
 昨年、NHKで放送された柴田ご夫妻の「二人の旅路」の反響もあり、帰国者への関心が広がっていることも紹介。
 新支援法が配偶者や2世・3世へ適用されないので、高齢化で「帰国者」が逝去された場合、残された配偶者の生活は困難であることが浮き彫りになりました。
 配偶者への適用を求める「新支援法」改正へ向けた運動を支援していこうと確認しました。


2012年 6月 5日 中国帰国者 | | コメント (0) | トラックバック (0)

中国人強制連行・強制労働跡地第4回探訪  45人参加。2年がかりで県内の16事業所すべてを

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 4月15日、第4回目を迎えた探訪は、糟屋郡宇美町にある大谷坑跡地と博多港をめぐり、45人が参加しました。中国人を強制連行し、強制労働させた県内16事業所跡地を2年がかりで探訪しました。大谷坑跡地は想像できないほど開発され、住宅地となっていました。頑丈な「巻き上げ機」や「トロッコの橋脚」「坑道の壁と想像できるような分厚い煉瓦が土の中から露出している山の斜面」など昔に思いを馳せながら探訪して回りました。

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 博多港跡地は埋め立てられ、現在は、大相撲などが開催される国際センターとサンパレスが建てられています。また、博多港は、戦後の引揚者が全国一多い港で、「那の津往還の碑」建立にかかわった堀田広治さんに案内していただきました。
 参加者を前に岩佐英樹県連副会長は、強制連行の実態について話しました。  宇美町の鳴海圭矢町議は、「町民の方は、過去の歴史を知る人は少ない。こういう調査で知り得た情報を多くの人に発信していきたい」と歓迎のあいさつをされました。
 今後は、地元に慰霊碑建立の運動や4回の探訪をまとめた「報告集」をつくる準備に入ります。 協会大牟田支部は大牟田市と荒尾市に、宮尾鉱と万田鉱に慰霊碑を建立する「申し入れ書」を提出しています。

2012年 4月 18日 中国人強制連行・強制労働事件, 中国帰国者 | | コメント (0) | トラックバック (0)

漫画展 「中国からの引き揚げ~少年達の記憶」  in 糸島 2012/3/27~4/1

漫画展
「中国からの引き揚げ
      ~少年達の記憶」

■出品
   赤塚不二夫 上田トシコ
   北見けんいち 高井研一郎
   ちばてつや 林静一
   バロン吉元 古谷三敏
   森田拳次 山内ジョージ
   山口太一 横山孝雄

■とき  3月27日(火)~4月1日(日)
■ところ 糸島市 伊都郷土美術館
             (伊都文化会館横)

     詳しくはこちら

 

2012年 1月 22日 イベント, 中国帰国者, 糸島支部 | | コメント (0) | トラックバック (0)

「国際交流市民どんたく」に参加 福岡支部

「国際交流市民どんたく」に参加
福岡支部

 11月5・6日福岡市アクロスで開かれた「国際交流地球市民どんたく」は、「世界と日本を愛でつむぐ」をテーマに23団体が参加し、1千名を超える市民が会場を訪れました。
 協会福岡支部は3回目の参加です。
 日中の展示ブースは、東日本大震災に中国から支援として贈られた福島原発に注水する大型ポンプ車の写真、中国残留帰国者の福岡市天神での震災支援街頭募金風景写真、日中文化センターのサークルの活動紹介をしました。日中友好協会のスタンプラリーには、二日間で320人以上の人が応募しました。
 5日のワークショップでは、二胡演奏、静吟、中国語教室、太極拳とサークルの日頃の活動を会場に訪れた人にお披露目しました。(お)

 

2011年 12月 11日 イベント, 中国帰国者, 交流, 二胡, 太極拳, 福岡支部 | | コメント (0) | トラックバック (0)

老後はどうなる? 中国帰国者の介護状況 現場からの報告 (2010/9/23)

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 日時  9月23日(祭日) 14時~

 会場  あいれふ  大研修室
        福岡市健康づくりセンター等複合施設
        福岡市中央区舞鶴2-5-1

 報告 

研究者の立場から   名和田澄子 社会福祉士 
福祉現場から見た現状
      木村智恵子 福岡県高齢者福祉生協
             他
中国帰国者の報告  川添緋砂子 他

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 司会  深谷節子 日中友好協会小倉支部役員

 参加費  無料

 主催  中国帰国者を支援する福岡の会
              電話 092-761-0604
      ・ 中国帰国者の会

 協賛  日中友好協会福岡県連合会

2010年 8月 29日 中国帰国者 | | コメント (0) | トラックバック (0)

県、両政令市へ要請計画 帰国者、支援する会 (2010/6/21)

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 6月21日、福岡市で「福岡地区中国帰国者の会」(木村琴江会長)と「福岡地区中国帰国者を支援する会」(名和田澄子代表)の合同役員会が15名の参加のもとに開かれました。

 当日は、5月31日の厚生労働省への要請行動に参加した川添緋砂子さんの報告と椛島敏雅弁護士から補足説明を受けました。
 新しい支援策が実施されて2年あまりが過ぎ、帰国者の生活は以前と比べて安定し、笑顔も出てくるようになりました。
 しかし、「残留邦人」に対して国の公式の謝罪はされておらず、このことから、政策や人間としての尊厳回復の不十分さとなって問題がいろいろと出てきています。
 このため、「孤児の配偶者に対する支援を厚くしてほしい」「2世、3世に対する支援を拡充してほしい」など9項目に亘って要望したものです。
 福岡でも、配偶者が給付金を受けられない人や「日本語が不自由でも気楽に過ごせる高齢者施設がほしい」などの問題や要望が多く出てきています。
 支援する会や日中友好協会福岡県連合会では、帰国者の会ととともに厚生労働省への要望書を県、北九州、福岡両市に対しても提出し、要望実現に向けて要請を行うことにしました。

2010年 7月 10日 中国帰国者 | | コメント (0) | トラックバック (0)

漫画展 中国から引き揚げ~少年たちの記憶 (2010/8/13~17)

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■出品 (順不同、敬称略)
     赤塚不二夫 上田トシコ 北見けんいち 高井研一郎
     ちばてつや 林静一 バロン吉元 古谷三敏
     森田拳次 山内ジョージ 山口太一 横山孝雄

■会場 八幡西区・黒崎カムズ名店街
      日時 8月13(金)~15日(日) (10時~19時・15日は17時閉館)

 主催 日中友好協会福岡県連合会・八幡支部

■会場 岡垣町サンリーアイ 一階展示場
      日時 8月16日(月)~17日(火) (9時~19時)

 主催 日中友好協会福岡県連合会・実行委員会

■入場料 開催協力費として  大人300円、中高生200円、子ども無料

■出品協力 私の八月十五日の会

■後 援   中華人民共和国駐日本国大使館
        日本中国文化交流協会、財団法人日中友好会館
        日本漫画家協会、NPO法人中国帰国者の会
        東横イン、株式会社アルファ・デザイン

日本の漫画家が訴える、戦争のおろかさと、命、生きることの喜びと重み

2010年 6月 16日 イベント, 中国帰国者, 八幡支部 | | コメント (0) | トラックバック (0)

帰国者、弁護団、支援者など130名参加 帰国者の会、謝恩の会開く (2010/4/29)

帰国者、弁護団、支援者など130名参加
帰国者の会、謝恩の会開く
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クリックすると拡大します。

 4月29日、福岡市内のアイレフで中国九州地区帰国者の会の皆さんが、これまでお世話になったお返しにと、弁護団、支援する会、友好協会関係(福岡県連、大分、長崎、熊本の各支部)、新支援策を作った時の与党PTの座長 野田毅 衆議院議員などに対して、謝恩の会を開催しました。

 参加者は総数百三十名名余。 当日は、帰国者だけでなく、その家族の人たちも参加し、朝9時過ぎから、男の孤児の皆さんも一緒になって、野菜をきざむところから、すべて手作りで、エビチリ、八宝菜、肉料理などの高級料理、水餃子やチャーハン等を、12時ころまでかかって作ってくれました。 とても美味しく、お腹、いっぱいいたただきました。

 弁護団、武田正勝 協会県連会長、野田毅 衆議院議員、支援者の一人ひとりに、木村琴江 団長より、額に入った個人宛の感謝状が贈呈されました。

 孤児の皆さんへの支援は、2世3世の方も含めて、課題はあります。 既に協会や支援する会には相談が寄せられており、早速、活動を進めています。

2010年 5月 23日 中国帰国者, 中国残留孤児 | | コメント (0) | トラックバック (0)

中国帰国者を支援する会総会開く (2010/4/16)

中国帰国者を支援する会総会開く

 第6回九州地区中国帰国者を支援する会総会が、4月16日、福岡市で、長崎、北九州、福岡から18名が参加して開かれました。
 来賓として、椛島敏雅弁護士が出席し、新支援法成立後もいろいろな課題を抱えており、今後の活動の大切さについて話されました。
 前総会後、2年半、帰国者との交流、支援、行政への要請などの活動がなされたが、会としてのまとまった活動が弱かったことが反省として事務局より出されました。

 今後は、2世、3世も含めて帰国者は老後の生活、医療などの問題解決の援助のために、会として、もっ活動を強めていくことを確認しました。

2010年 5月 23日 中国帰国者 | | コメント (0) | トラックバック (0)

「無料法律相談会」2月スタート 相談内容は4名の弁護士が完全管理します

会員の声と悩みに心を寄せ
「無料法律相談会」2月スタート
相談内容は4名の弁護士が完全管理します

Img_20091226_02  12月7日、福岡支部が主催する「無料法律相談会」の打ち合わせが行われました。
 後藤冨和支部長が「会員の要望に応えられるような無料法律相談などの活動も必要ではないだろうか」との提案が、2月から毎月第3金曜日18時でスタートすることになりました。

 残留孤児や中国人強制連行事件の問題などで日頃から弁護士のみなさんに多大な支援をいただき、また、何かと相談をしていたこともあって、実現に至ったものです。

 弁護士の林健一郎さん(元協会県連会長)、椛島敏雅さん(中国残留孤児福岡訴訟弁護団事務局長)、福留英資さん(中国人強制連行・強制労働事件福岡訴訟常任弁護団)、後藤冨和さん(同常任弁護団)が交替で相談に応じていただきます。

 相談時間は30分以内、料金は無料。
 相談内容はすべて担当された弁護士の方が責任もって管理され、事務局にも知らされませんので、秘密は完全に守られます。
 事前に予約が必要で、福岡支部以外の方も受け付けます。

「医療・健康相談会」も準備中

  「医療・健康無料相談会」も、病院長の武田正勝県連会長の協力で現在、準備がすすめられています。

2009年 12月 27日 法律相談, 医療健康相談, 中国人強制連行・強制労働事件, 中国帰国者 | | コメント (0) | トラックバック (0)

帰国者と市民が交流 (2009/11/23)

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 11月23日 福岡市で中国料理の作り方を教わりながら帰国者と市民が交流するつどいが開かれました。
 これは、新しい支援策にもとづいて中国帰国者自立促進協議会の事業として実施されたものです。

 当日は、帰国者の会の木村琴江会長が「この日を機会に市民との交流がより一層深まることを期待します」とあいさつ。
 55名の参加者(協会福岡支部からは20名)は5班に分かれ、中国の饅頭と酢物、中華サラダの作り方を習いました。

 鏝頭作りは、酵母菌が入った床に薄力粉を入れよく混ぜしばらく寝かせ発酵させ、それを5種類のお祝いの饅頭を造り、蒸すという作業です。
 中国語・日本語・身振り手振り、笑いが飛びかい、失敗しながら何度も形をつくり替えるという楽しい時間でした。
 中華料理店から本職の人の応援もあり、糖酢海老・紅焼排骨・木須菜の3品が追加され、昼食は饅頭を食べながら中華料理の作り方について話がはずみました。

 午後は、全員の自己紹介から始まり、協会からは、日本の歌と三味線演奏による民謡などを披露しました。
 帰国者からは太極拳、踊り、日本の歌の発表があり予定時間をオーバーするほど交流がはずみました。

2009年 12月 11日 中国帰国者, 交流, 福岡支部 | | コメント (0) | トラックバック (0)

帰国者とともに「収穫祭」で ぎょうざ販売  八幡支部 (2009/10/25)

市民の中へ日中友好を
帰国者とともに「収穫祭」でぎょうざ販売 八幡支部

Img20091119_01 10月25日、北九州市八幡西区の黒崎商店街で、「カムズ黒崎名店街収穫祭」がありました。

 中国帰国者で日中友好協会八幡支部の原田育子さん、小田原玉枝さんを中心に「手づくりのギョウザ」の販売を支部として取り組み、250人分の水餃子が売れ、市民に協会の「大宣伝」も行いました。
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 この取り組みの中で、新しく帰国者の人を会員として迎えました。

2009年 11月 20日 中国帰国者, 八幡支部 | | コメント (0) | トラックバック (0)

新中国建国60周年を祝う 中国帰国者の人々 (2009/9/30)

新中国建国60周年を祝う
Img_20091008_01 新中国建国60周年を翌日に迎えた、9月30日、福岡市内の中国帰国者の人々約50人が、手料理をもちより、 歌や踊りを楽しみながら、中国の建国を祝いあいました。
 当日は養父母をたずねて、また、墓参のために中国に行っている人も多くいました。。
 県連から松山盛利事務局長が 招かれて参加し、参加者と交流を深めました。

2009年 10月 8日 中国帰国者 | | コメント (0) | トラックバック (0)

日中友好協会特別推薦映画 「嗚呼 満蒙開拓団」

8/15(土)公開

福岡市天神3丁目
   親富孝通り

シネテリエ天神
電話 092-781-5508

日中友好協会特別料金
  前売り 1300円
  シニア  900円
  (一般 1800円)

チケット・問合せ
日中友好協会福岡県連
電話 092-761-0604

2009年 8月 5日 中国帰国者, 文化・芸術 | | コメント (0) | トラックバック (0)

中国帰国者の「夕陽紅歌舞隊」初公演 (2009/6/29)

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 福岡県内の中国残留孤児とその家族が、趣味や特技を活かして、「歌舞隊」を4月に結成し、その初公演が、6月29日、協会福岡県連合会の武田正勝会長が経営する病院でありました。
 当日は、入院患者や職員の前で、約30名が歌や踊りを披露し大喝采をあびました。中には、日本の歌に涙して聞く高齢者もいました。
 フルートを演奏し、合唱の指揮者も務めた木村安弘さんは、「私は日中友好協会の会員です。今後、公演を続けていきたい。協力をお願いします」と目を輝かして語っていました。
 挨拶をした武田会長は「みなさんは、戦争のために苦労されました。今後は、歌や踊りを楽しみながら幸せになってください」と帰国者を激励しました。 

2009年 7月 8日 中国帰国者, 中国残留孤児 | | コメント (0) | トラックバック (0)

北九州大、久留米大など青年学生たちが餃子で交流 帰国者の小田原さん、原さんが調理指導 43名参加 (2009/5/24)

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 北九州大学班は、5月24日、小倉南区で「餃子会」を開き、学生・留学生、平和友好祭に参加して合流した青年に加え、久留米大学班からも2名が駆けつけ、小倉支部会員、中国語講座受講者などを含め総勢43名で大変な賑わいとなりました。
 調理指導してくれた帰国者の小田原さんと原田さんをかこんで、具を刻み粉をねる作業からはじまり、皆で皮をのばして包んでいくと個性的な餃子が出来あがり、会場はワイワイ、ガヤガヤ、の興奮状態となりました。
 大量の餃子が並んだところで会食。各テーブルからいっせいに「おいしい~」「うめ~」などの声があがりました。
 会食の合間に、原小倉支部長から「全国に先駆けて学生班として北九大班が生まれたことは画期的なこと」「50年代の平和友好祭には当時の北九大班は大型バスで参加した」などの話があり、学生たちは目をまるくして驚いていました。
 北九大班のメンバーが参加者へのお礼と自己紹介をした後、久留米大学班から「沙飛写真展の手伝いを通して班を結成しました」と報告されると、「ほーッ」と感心の声があがりました。
 自己紹介では、京劇公演の実行委員長をした三輪さんが夫婦で来られ「こんなに美味しい餃子が食べられて、本当に来て良かった」と語り、青年・学生たちは「はじめての人と会食できて楽しい」「中国のことが好きなのでいろいろ学んで交流したい」「友好祭で中国の留学生と話せて良かったです」などと語っていました。
 支部役員がびっくりするほど、皿に盛られた水餃子は次々と参加者の胃袋へとおさまり、この日の最高記録は35個でした。
 大量に作ったはずの水餃子がみごとに完食され、今後も北九大班と久留米大学班の交流をはじめ参加者の再会を願って名残惜しく宴は終わりました。

今後も楽しい企画を   野口貴史 北九大班
 今回、餃子会を企画して本場の水餃子を作り、そして実際に味わうことができて良い経験になったと思います。また、たくさんの人たちと交流することができて楽しい一日となりました。
 今後も楽しい企画を班の皆と一緒に計画していきたいと思います。

2009年 6月 9日 イベント, 中国帰国者, 沙飛写真展, 京劇, 筑後地区協議会 | | コメント (0) | トラックバック (0)

協会は私たちの家 新会員歓迎会開く 福岡支部 (2009/4/19)

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 福岡支部は、4月19日、昨年7月以降入会したみなさんの歓迎会を開きました。
 支部では今まで年1回歓迎会を開いていましたが、早く新しい会員のみなさんの要求などを聞き、交流を深めるために今年から年2回開くことにしました。

 当日の出席者は32人。新会員は21名のうち13名。
 岡野昌明副支部長の歓迎の挨拶。星野信理事長の日中友好協会の歴史と活動の紹介の後、会員バッチが新会員に記念として贈られました。
 新会員は帰化した女性のスポーツ指導者、北京風雷京劇団公演時の入会者、日本語講師、中国帰国者、中国滞在体験のある会社員、南京虐殺事件を研究している英語講師、戦争体験を本にした主婦などその経歴は多彩。

 出席者は水餃子と手づくりの料理を口にしながら、交流を深め、「平和と日中友好を願って帰国者の会を作りました。
 協会は私たちの家です」「旧満州で敗戦を迎え、戦争の悲惨さを体験しました。もう戦争はイヤです」「中国人学生がアルバイト先でけがをし、保障もなく不安。相談にのつてほしい」など、入会の思いや日中友好の大切さなどについに語り合ました。 (O)

2009年 5月 2日 中国帰国者, 福岡支部 | | コメント (0) | トラックバック (0)

餃子を山のように作って振まう 九州地区中国帰国者第7回総会 (2009/3/20)

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九州地区中国帰国者第7回総会
        弁護団、支援する会も参加

Img_20090320_01 九州地区中国帰国者第7回総会が3月20日、各地から約70名が参加して福岡市内で開かれました。
 当日は会に先立ち、裁判で世話になった、弁護団、支援者へのお礼をこめて、帰国者の人が餃子を山のように作って参加者に振まいました。両親といつしよに来た子どもたちも多く、「おいしい、おいしい」とにこにこして食べていました。
 集会では、帰国者の会の木村琴江会長、弁護団の椛島敏雅事務局長、支援する会の松山盛利協会福岡県連合会事務局長が挨拶をしました。
 松山氏は、帰国者の人が中国で受けた悲惨な経験について、「戦争に反対し、日中国交回復ために全力を尽くし、そして、文革の被害者である日中友好協会はみなさんの理解者です」とのべ「帰ってきて良かったといえるような日本をつくるために、日中友好協会とともに今後もがんばりましょう」と語りました。
 支援給付の説明会では、田中謙二弁護士が、帰国者がわかるように、易しい言葉で丁寧に話しました。質問も多くありましが、みなさん、よく理解されたようでニコニコして聞いていました。
 総会では、木村会長の永年の苦労に対して、川添緋砂子さんが「木村さんは、救われた命は世のために尽くさなければならないと、病床にある夫をかかえて、闘ってきた。木村さんは帰国者の誇りであり、宝です」と木村さんの労をねぎらいました。

2009年 3月 29日 中国帰国者 | | コメント (0) | トラックバック (0)

中国帰国者交流集会開く (2008/12/8)

私たちは日本人。昔の都、京都、奈良に行きたい
中国帰国者交流集会開く

Img_20081224_02 新支援策による交付にあたり、交流集会が提訴4周年を記念して12月8日、福岡市で原告団、弁護団、支援者約60名が参加して開かれました。
 はじめに椛島敏雅弁護団事務局長から支援法に基づく「支援プログラム」について説明がありました。その後、出席者から「支給金額が少ない」「みんなに受け入れられるような相談員を選べないのか」「どんな講習会だったら参加交通費がもらえるのか」などの質問や「私たちは日本人。昔の都、京都、奈良に行きたい」などの要望も出されました。
 弁護団は一つ一つ丁寧に説明しましたが、資料を整理して、改めて年明けに説明会を行うことになりました。最後に椛島事務局長は「今後、2、3世のことも含めていろいろな問題も出てくるでしょう。弁護団、支援者と今後も一緒に活動し、笑い声が出るようなお互いの関係を作っていましょう」と訴えました。(K)

2008年 12月 25日 中国帰国者 | | コメント (0) | トラックバック (0)

帰国者の人を交えて新入会員歓迎のつどい 八幡支部 (2008/3/8)

帰国者の人を交えて新入会員歓迎のつどい 八幡支部

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 八幡支部は3月8日新入会員歓迎のつどいを行いました。
 当日は、朝9時に帰国者の方の家に餃子作り材料運搬のため、磯部支部長が行動開始。 会場には、帰国者の方20名と安部タマエさんが参加しての餃子作りが始まりました。 小倉支部から、深谷節子さんが参加してくれました。 餃子作りの合間には、帰国者の方同志が仲良く中国語で交流していました。 八幡支部からの参加は、13名でした。
 つどいの最初は、餃子パーティとなりました。
 歓迎と激励の挨拶を磯部支部長が行い、続いて北九州協議会会長の原博道氏が中国語を交えて挨拶をいただき、和やかな開会となりました。
 つづいて、残留孤児国賠訴訟福岡原告団の原田郁子さんと弁護団の安部千春弁護士の話に帰国者の方から今後のことも含めて質問もありました。 その後、北京風雷京劇団訪日公演の宣伝ビデオ鑑賞をした後、会員の皆さんの近況と友好の想い等を語り合いました。
 今後の取り組みについては、中国映画「覇王別姫」の上映会をすることを申し合わせました。(原)

2008年 3月 22日 中国帰国者, 中国残留孤児, 交流, 北九州協議会, 八幡支部 | | コメント (0) | トラックバック (0)

春節と新支援法成立を祝い 喜びに満ちた集い (2008/2/10)

春節と新支援法成立を祝い
喜びに満ちた集い

Img20080210_21  2月10日、福岡市「あいれふ」にて「新春のつどい」が開かれ、100名以上の参加者でにぎわいました。
 この集いの主催は、中国残留孤児国賠訴訟福岡原告団。協賛は、中国帰国者を支援する会です。
 時は中国の春節(旧正月)、新年と新支援法の成立を同時に祝い、喜びに満ちた集いになりました。
 まず、午前9時半から水餃子作りを原告団の人を中心に行いました。その水餃子に舌鼓をうった後、交流会に流れていきました。

Img20080210_24  はじめに、木村琴江原告団長、木梨吉茂弁護団副団長、名和田澄子支援する会会長が挨拶。日中友好協会や福岡日中文化センター会員の三味線、胡弓演奏、手品、バナナのたたき売りなど芸達者な出演者の後は、中国人就学生による少数民族の踊り、最後の閉めは元テノール歌手で原告団の山田博義さんによる歌唱となりました。山田さんの力強い歌唱力に惹かれて愉快なダンスも加わり和やかな雰囲気の中で閉会となりました。
 参加者の約半数は原告団の人々でしたが、いつになくどの人の表情も晴れやかで新年の門出を祝うよき集いでした。 (和)

 

  参加者の感想

◎帰国者の方が通訳の人の話に相づちを打って、楽しく聞いておられるお姿をみて、中国に思いをはせられているのだなーと思うと涙が出ました。「帰国してよかった」となってもらいたいです。

◎帰国者です。今日は大変よかった。中国・日中世世代代友好にいきましょう。

◎とても楽しかった。今後、帰国者の話をお聞きする機会があればと思います。

2008年 2月 22日 中国帰国者, 中国残留孤児 | | コメント (0) | トラックバック (0)

「新春のつどい」御案内 (2008/2/10)

「新春のつどい」ご案内

Img20080210_01  梅の花もほころび、春の訪れを感じる今日この頃ですが、皆様におかれましては御清祥のことと存じます。

 昨年末12月27日に中国残留孤児福岡国賠償原告団は、福岡地裁で訴訟を取り下げました。
 これによって2004年12月の提訴以来、国の謝罪と補償を求めた裁判は終結し、新しい支援法のもと既存の生活保護に頼らない生活が今年4月よりスタートします。

 しかし、新しい支援給付を受けるには煩雑な手続きを経なければなりません。
 この手続きは原告一人一人条件が違うので、きめ細かく粘り強い弁護団による相談活動によって支えられ進められているところです。裁判終結の本格的なお祝いは、この手続きが終了して支援給付金や増額された国民年金が原告の手元に届く4月以降に想定しています。
 この支援給付によって、私達もようやく普通の日本国民の生活に近づくことができ、人間としての尊厳を取り戻すことができつつあります。

 一つの区切りのついたこの期限に原告団によって「新春のつどい」を開催したいと思います。

 時はおりしも中国の春節、私達の命を助けてくれた中国の養父母もしのびつつ旧暦の新年のお祝いも兼ねて手作りの水餃子を味わってみてください。

 寒い時期ですが皆様のお越しを心よりお待ちしています。
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*日時 2月10日(日) 開会12時 閉会15時頃
*場所 あいれふ9階 大研修室
     福岡市中央区舞鶴2-5-1

*内容 手作りの餃子で食事・歌・踊り・話など
*参加費  一人500円

         お願い

◎餃子作りにご協力いただける方は9時半8階調理室にご集合ください
◎出演者を募集しています。1チーム(1人でも可)8分以内
◎申し込み 2月7日まで「支援する会」へ

    主催  中国残留孤児国賠償訴訟
                原告団長  木村琴江
    協賛  九州地区中国帰国者を支援する会
                代表世話人  名和田澄子

   福岡市中央区渡辺通2-8-23 日中友好協会福岡県連合会内
                  電話・ファックス 092-761-0604      

2008年 2月 1日 イベント, 中国帰国者, 中国残留孤児 | | コメント (0) | トラックバック (3)

中国残留孤児福岡訴訟終結 (2007/12/27)

中国残留孤児福岡訴訟終結
原告団、弁護団、支援者の活動と国民の協力が結実

 「日本人として扱ってほしい」と2004年12月から5陣にわたって、137人の中国残留孤児が国を相手にあいてに賠償を求めていた「福岡訴訟」口頭弁論が12月27日、福岡で開かれました。
 新たな支援策を盛り込んだ、改正帰国者支援法の成立を受け、原告全員が訴訟を取り下げました。国側も同意し、裁判長は訴訟の終結を宣言しました。
 木村琴江原告団長(日中友好協会会員)は、「これまで、苦難の連続だった。これで、日本人として尊厳を持ち、安心して晩年の生活を送ることができる」と意見陳述をしました。
 馬奈木昭雄弁護団長は「孤児たちが本当に帰ってきてよかったと思えるように、国は誠実に支援策を実行してほしい」と訴えました。閉廷後の報告集会には原告、弁護団、支援者、約二百名が集まり、よろこびをわかち合いました。
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2008年 1月 12日 中国帰国者, 中国残留孤児 | | コメント (0) | トラックバック (0)

お礼の街頭宣伝 県・市にも要請 (2007/12/8)

お礼の街頭宣伝  県・市にも要請
支援立法成立にあたって

Img20071208_01  福岡原告団と弁護団、支援する会は、福岡市内の天神町で、提訴3周年行動として、支援立法の成立にあたって、12月8日、原告、弁護団、支援する会、協会福岡県連から30名が千枚のチラシを配りながら、お礼の街頭宣伝を行いました。
 反応はとても良く、30分ほどでチラシを配り終えました。
 その後、福岡県庁と福岡市役所を訪れ、新支援策の実行にあたって要請をおこないました。
 原告団から、新支援策では自費帰国者に対する通訳支援は予定されていないのではないかなどの質問がされました。

2008年 1月 12日 中国帰国者, 中国残留孤児 | | コメント (0) | トラックバック (0)

今後の活動がさらに大切 支援する会が総会 (2007/12/27)

今後の活動がさらに大切
      支援する会が総会

 九州地区中国帰国者を支援する会は12月27日、福岡市内で第5回総会を開き、あらたな支援法の成立を受けて、今後の活動をどのようにすすめるかについて討議を深めました。
Img20071227_01  「帰国者の老後の生活保障は一定前進するが、まだまだ地域社会では孤立しがちである」「法運用の上で今後いろいろな問題が出てくる。会の活動を強め支援できるようにしていくことが一層大事になってきた」などの意見が活発に出されました。
 そして、今後、裁判終了に伴い、原告団を支援して、多くの団体、個人に感謝とお礼の挨拶をおこなうにともに集会を開くことにしました。
 また、「支援法の理解と周知を帰国者とともにすすめる」「会員の拡大と組織運営の強化に努める」「帰国者との交流を強める」などを決めました。また、各県、各区から世話人を選び、事務局は福岡地区が担当することにしました。

2008年 1月 12日 中国帰国者, 中国残留孤児 | | コメント (0) | トラックバック (0)

「中国帰国者乃墓」で平和祈念 (2007/8/15)

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 8月15日、福岡市西区で、中国帰国者11人が参加して花や中国酒を墓にささげて、平和祈念をしました。この墓は市が土地を提供し、有志の賛助金で建立されました。
 当日は、協会県連代表も参列しました。

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2007年 8月 30日 中国帰国者 | | コメント (0) | トラックバック (0)

中国帰国者との交流会 北九州協議会 (2007/6/17)

中国帰国者との交流会
57名参加で盛大に
日中友好協会北九州協議会

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 協会北九州協議会は、6月17日、会を開催しました。当日は、帰国者35名など57名が参加しました。
Img20070617_12  午前中は帰国者を中心にギョーザを作り、数百個のギョーザが見る見るうちに出来ました。
 昼食をかねてギョーザを食べながら交流会を始めました。
 西村戸畑事務局長の司会で進められ、須崎戸畑支部長が歓迎の挨拶で「帰国者などの皆さんのために特別会員精度もあります。ぜひとも日中友好協会に入会して下さい」と訴えました。
Img20070617_13  会員と帰国者は、歌を歌ったり、楽しいお喋りで過ごし、「このような交流会は度々開いてほしい」と語っていました。
 午後は、中国映画「胡同のひまわり」を上映しました。
 小倉支部の中村事務局長や深谷さんなど北九州の会員も多数参加しました。

2007年 8月 8日 中国帰国者, 北九州協議会 | | コメント (0) | トラックバック (0)

母の霊を弔う旅

母の霊を弔う旅 糸島 宗廣マツ

Img20070620_01  今年6月、姉妹三人で、中国東北に母の霊を弔う旅をしてきました。
 ハルピンに着いた午後、731部隊跡地をたずねました。頂いた資料。勿忘(「忘れることができない」)には、ここには、元日本軍の細菌戦の中核だった731部隊があり、細菌戦犯石井四郎の統括のもとで、日本国内の医学専門家千人以上が集められ、中国人、外国人の抗日志士と平民を人体実験材料に三千人余りを虐殺したと書かれていました。
 広い館内に展示された実験用の注射器、刑具の足かせ、細菌実験の注射をしている模型や写真など、それはすさまじく、人間が人間に対してここまで出来るのかと軍国主義教育への怒りの連続でした。
Img20070620_02  3日目、私達は、早朝3時間かけて目的の方正市に到着、市政府の協力で建立(1963年)された「方正地区日本人公墓」に参拝しました。
 ここは、元開拓団員を含め4500人以上が命を落とした場所で、菊の花と線香をあげて供養し、目的地の母の亡くなった場所に向かいました。
 その走行40分の間、私は、母が終戦時の死の逃避行、収容所の恐怖の中でいつも自分を犠牲にして私達を守り通し、また自分がいなくなった後でも「いつか3人を迎えに行って欲しい」と預け先を看護婦をしていた長姉に教え、2年半後私達は、無事姉に探し出され、残留孤児にならなかったことなど、母の優しさ、強さと心使いなど思い浮かべていました。
 走行中姉が、声を弾ませ「ここへんだ」と車を止めました。私達は、62年目にして、やっと母への供養ができました。花を供え、熱い熱い感謝の念をこめた祈りを捧げました。
 私は、今度の旅を通じて、平和と友好の尊さを考えさせられ、憲法9条を守り通す決意を新たにしました。
 最後の19日は、天安門広場、故宮、万里の長城を観光し、6月20日、母と妹の眠る中国に複雑な思いを残しつつ帰国しました。

2007年 7月 10日 中国帰国者, 糸島支部 | | コメント (2) | トラックバック (0)

新しい支援策について、意見交換会 (2007/5/31)

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 5月31日、厚生省の新しい支援策について、原告団、弁護士、支援者の意見交換会が福岡市でありました。
 当日は、原告団から木村琴江団長他約80名、弁護団から馬奈木昭雄団長、椛島敏雅事務局長をはじめ多数の弁護士、支援する会から松山盛利事務局長他5名の会員が参加しました。
 原告団からは、医療費扶助、住宅費扶助、配偶者給付金について強い要望がありました。
 馬奈木団長は、「要求はみなさんの強い団結と闘いがなければかち取れない」と訴えました。
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2007年 6月 7日 中国帰国者, 中国残留孤児 | | コメント (0) | トラックバック (0)

メーデー会場で 残留孤児支援の訴え

メーデー会場で 残留孤児支援の訴え

 5月1日、福岡市で行われたメーデーで、帰国者の会、協会福岡支部、支援する会の15名は共同で、孤児支援を訴えました。
 当日、中国人強制連行事件裁判の最高裁判決に憤った女性がただ一人プラカードを持ってメーデーに参加していましたが、一緒に行進も行い、運動をひろげることについて語り合いました。

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2007年 6月 5日 中国帰国者, 中国残留孤児 | | コメント (0) | トラックバック (1)

傷つけられ踏みにじられ続けて来た人生を償ってくれる支援策を  中国残留孤児福岡訴訟陳述

傷つけられ踏みにじられ続けて
来た人生を償ってくれる支援策を

   中国残留孤児福岡訴訟 原告陳述より

中国残留孤児福岡訴訟  私は1陣の原告で、今年66歳の田中早苗です。私がこの陳述で特に強調したい点は、政府から何も援助のない状況で帰国した自費帰国者の受けた苦しみや葛藤についてです。

 私の両親は、1934年に家族3人で満州に渡ったそうです。その後、長女、次男、三男、そして私が満州で生まれ、長男は1943年に、中学へ進学する為、日本に帰国しました。
 両親と死に別れた日の事は、私は幼く又あまりにも恐ろしすぎる出来事だった為か、記憶していません。しかし当時11歳だった姉の話によると、父は満州国のウランホトに住んでいた民間人1500人ほどを引率して帰国の任務を負い、葛根廟の裏山でソ連軍の戦車に砲撃を受け、沢山の人々が殺されたそうです。その時両親と2番目の兄が亡くなりました。幸運にも姉と3番目の兄と私の3人は、血の海の中から生き残りました。姉の忍は11歳、兄の旭は7歳、私は4歳でした。食べられる物は何でも食べ、濁った水でも飲んで生き延び、3人とも日本人孤児となり、それぞれ善良な中国人に養われ成長しました。
 私の養父の家はとても貧しい辺鄙な農村で、村には十数戸の家しかなく、小学校もありませんでした。9歳の時、養父は苦しい中、私を8kmも離れた学校へ通わせてくれました。当地の政府、学校、先生の援助で、小学校、中学校で学び、又、学費免除で二年間の中等専門学校で学び1961年9月、20歳の時電力学校を卒業して火力発電所に配属され働きました。1968年同じ工場の労働者と結婚して、2人の子供が生まれました。
 私は日本人であった為に、結婚でも制約を受け、文化大革命の時、調査や取調べを受け、大変辛い思いをしました。当時私は内モンゴルの少数民族の地区に住んでいて、国交回復前には日本についての情報がなく、日本がどのような状況にあるか、全く知ることはできませんでした。
 1972年、新聞を見て日本との国交回復を知りました。姉が厚生省の孤児対策室に連絡を取って、1976年に連絡の取れなかった上の兄を探し出せました。1978年上の兄の手助けのもと、1回目の肉親探しが実現できました。この時私と2人の子供は、初めて日本の国土に足を踏み入れ、美しい国土に感激しました。しかし、同時に大きな苦痛も感じました。それは「心の中で話したいことを、言葉で表現できない」という悔しさでした。感動しても、ただ涙で顔を濡らすだけでした。
 2ヶ月の肉親探しは、あっという間に過ぎ、中国に帰りました。働いていた工場では多くの同僚や友人が会いに来て、「あなた達は、また帰ってきて何をするの?日本はいいところじゃない。」と多くの人は羨ましく祝福していました。しかしある一部の人は、いつも陰で「小日本はまた戻ってきた。」と非難しました。

 肉親探しの後、永住帰国の説明や話は日本政府の人からは一切ありませんでしたが、1989年3月、姉の家族が同級生の援助の下で日本に帰国、永住しました。この事を知って私も非常に日本に帰国したいと思いました。ところが身元保証人を見つけなくてはいけないと言われ、日本の長男にお願いしましたが、なってもらえませんでした。姉は先に帰国したけれど、生活保護を受けていたのでなれませんでした。結局、保証人を見つけることができませんでした。長男は保証人になることを同意しませんでした。保証人になると、責任を負う必要があるからです。中国にいる弟や妹の3家族、1人でどうやって負担できるのでしょうか。1990年の2回目の一時帰国で親族訪問をした時、姉の知り合いの大阪市民会でボランティアをしている山田邦夫さんと知り合い、いろいろ援助してくださいました。私はこの時、帰国のルートを見つけたいと強く思っていました。15日間の滞在でしたが、この期間に私は福岡県庁の援護課に行き、私達一家が帰国できるように切実な心情をお願いしました。私と対応してくれた副課長は言いました。「あなた方のように、親族を見つけ出した孤児が帰国して定住しようとしたら、必ず親族が”身元引受人”とならなければならない・・・。」探して尋ねても、誰も身元引受人になってくれない状況でどのように帰国したらよいのでしょうか?絶望的になり、帰路大阪の山田さんに相談しました。支援を通して帰国を実現することができますかとお聞きすると、「孤児の問題は、国が責任を負うべきです。もしあなたがどうしても帰国したいのならば、一切の帰国費用を自分で負担しなければなりません。そのため、保証人の工場で働かなければなりません。」と言われました。誰でも国費で帰国したいのはヤマヤマです。しかし身元引受人に親族がなってくれなければ、国費で帰国できなかったのです。私は中国に帰り、家族と相談し、大阪市民会の支援を通して自費で帰国する決心をしました。

 1991年末、保証人の工場から30万円旅費として借り、一家4人内モンゴルの包頭市から天津港を経由して神戸に上陸しました。税関に入ったら、私達が「中国のパスポート」をもっていたので、すぐに不法入国とみなされ、大阪の入国管理局で調査を受けました。私達の携帯した物品を差し押さえられました。「審査しなければなりません、大体4ヶ月かかります。この期間は勝手に居住地を離れてはいけません。」と言われました。日本人なのに難民扱いを受けることが、とても悔しく、又苦痛でした。二日目に工場の保証人が来て、携帯した物品を受け取って工場の居住地に着きました。一家4人は、狭い1DKの工場の寮に住むことになりました。私達一家は自費帰国の為、定着促進センターに入ることできず、国からは何の援助もありませんでした。帰国費用の借金返済の為、又日々の生活の為に、調査をうけている保障先である大阪市民会が紹介した工場で働きましたが、ただ工場と寮を往復する日々でした。日本語も話せず、自費帰国者には、勉強する場所も機会も何も与えられませんでした。審査が終わり、4ヵ月後の1992年3月24日に正式に永住帰国を認められました。

 この時、家族皆で相談して、姉一家がいる福岡に定住したいと思い、又福岡県の援護課に行き、私達の状況を説明して、福岡に定住したいことを伝えました。応対した方は「あなた達の状況は、私達は調査を経て事実であることは分かります。とても同情いたします。福岡に来て定住してもいいです。しかしあなた達は生活保護を受けることはできないし、定着促進センター、自立研修センターで日本語を学ぶこともできません。住居、仕事、全て自分で解決しなければなりません。」と言われました。このような厳しい条件に対して、私達は家族で何度も話し合い、考慮してやはり福岡に定住することを決めました。大阪の工場で一生懸命に働き、食費も切りつめ、やっと借金を完済しました。
 1992年4月、大阪から福岡に来て仕事を探し、夫婦2人で浄水器の工場で働きましたが、1ヶ月2人で働きやっと11~12万円の収入でした。これでは生活できずに、夫は友人の手助けで麺を作る食品工場の仕事を見つけました。仕事を始めて1週間は、姉が傍らにいて通訳にあたりやっと固定の仕事につけました。11年間働きました。私は縫製工場でアイロンをかける仕事をしたり、ペットを育てる工場で働いたり、4年間清掃の会社で働き、2000年清掃の会社は私を解雇しました。それ以後仕事をみつけられません。

 日本に来てから、私達はとても多くの挫折に会いました。言葉が通じない、精神的、経済的なストレスなどの影響で、夫の体はだんだん悪くなり心臓病を患い動悸が激しく、癇癪を起こし、眠れなくなってしまい、しかたなく2005年7月、仕事を退職して中国に行って治療をしました。
 清掃の会社を解雇された時、私はすでに60歳でしたが、やはりまだ日本語の勉強をしたいと思いました。それで娘に電話で定着促進センターに連絡してもらいました。センターの責任者に「あなた達は帰国してすでに5年を経過しています。又自費で帰国しました。無料でセンターを利用して勉強することはできません。更に皆帰国して10年経っています。日本語がまだできないのは、頭に問題があるのではないですか。」と言われました。日本語が話せず、交流もできず、社会の仕組みもよく分からないためにやはり勉強しなければ・・・と奮起して問い合わせたのに、このような残酷な返事を聞いて、本当に大きなショックを受けました。私は日本語を話すことはできませんが日本人です。国からの援助も支援もなく、日本語を学ぶ機会も時間もなく、国費帰国者より更に厳しい条件の中で生きてきました。私が自費帰国したのは、間違いだったのでしょうか。間違いはどこですか。

 人生は本当に短いものです。私達の国家は、孤児達の一生の幸福を破壊し、生涯の尊厳を剥奪し、教育を受ける権利を遅延させました。
 姉の田中忍、兄の田中旭も残留孤児訴訟の原告です。私が訴訟に参加したのは、日本政府は半世紀以上にわたって孤児達にこのような状況を強いた責任を認め、それに対する賠償を要求するためです。現在、日本政府は孤児達に対する新しい支援策を検討していると聞いていますが、孤児達を傷つけられ踏みにじられ続けて来た人生を償ってくれる支援策が出されること、心から希望しています。しかし、支援策はこれからの私たちの生活の保障であって、これまでの償いではありません。私は、日本政府が私たちに謝罪するまで裁判を続けるつもりです。

 そして最後に、弁護士の先生方や支援者の方々は、孤児達のために尽くしてくださった苦労や努力や援助に対し心から感謝しています。
 ありがとうございました。

2007年 6月 3日 中国帰国者, 中国残留孤児 | | コメント (0) | トラックバック (0)

中国帰国者とひなまつり交流会

中国帰国者とひなまつり交流会  新日本婦人の会小倉支部の三浦憲子さんから中国帰国者との交流会について投稿がありましたので紹介します。

 昨年の「水餃子作りと交流会」で「来年は、ちらし寿司を作って、ひなまつりでお会いしましょう」との約束で早速「ひなまつりの集い」にご招待して交流会を開きました。
 班で毎年作ってきた手作りのおひな様や、個人でお持ちのお雛様を会員それぞれが持ち寄り、赤い毛耗の床いっぱいに並びました。
 中国帰国者の方4人も大喜び、中国でも風習はあるけれどひな飾りはなく、女性達が集まってお食事会をするそうです。
 1年ぶりの再会にご挨拶をして、会員さん手作りのちらし寿司と持ち寄りの品々と総勢19人の賑やかな交流会となりました。
 一番日本語の上手な原田さんにお話を伺いました。
 72年に日中国交回復しましたが、このニュースを知ったのは7年後の79年だったそうです。原田さんがお住まいだった所は、電気もラジオもない所だったそうで、知る由もなかったそうです。
 でも知らされなかった事自体が日本政府のだったのです。
 日本の厚生省に帰国したいと4年間も手紙を出し続けやっと里帰りが実りましたが、親族から冷たくされ、寂しい思いをして中国にかえりました。
 5年経ってやっぱり自分は日本人だから日本に帰りたいとの思いが募り知人に身元引受人になってもらい、やっと87年に永住帰国することができたそうです。
 国家賠償訴訟の裁判では二度涙を流しましたとおっしゃいました。 「神戸の判決では喜びの涙、東京の判決では悔し涙でした。中国では日本人だといじめられ、日本に帰国してからは中国人だといじめられました。私達は日本人です。お金じゃないんです。皆なと同じように暮らしたい」と熱い思いを語って下さいました。
 私たちも原田さんたちの悲惨な体験と政府の冷たさを改め知らされました。
 福岡裁判では嬉しい判決がでるよう皆で応援することを約束しました。
 言葉の不自由な中での交流会でしたが、日本に帰国して20年、こんな風に家に招かれ食事を頂くのは初めてとのこと。ちらし寿司も初めてで、とっても美味しかったと大変喜ばれました。
 「今度は中国料理と日本料理を持ち寄りお会いしましょう」と盛り上がりました。

2007年 4月 9日 中国帰国者 | | コメント (0) | トラックバック (0)

新春のつどい 中国帰国者との交流会110名参加 (2007/2/4)

新春のつどい
中国帰国者との交流会110名参加
             日中友好協会福岡支部

 立春の2月4日、日中友好新春のつどいが開かれ百十名の参加者でにぎわいました。
 中国の春節もまじかとあって中国帰国者の人々、中国人留学生、中国語の先生など中国にゆかりの皆さんが半数を占め、地域の人々と楽しく交流できました。
Img20070204_1  福岡市内のどこの公共施設も百人を収容できる調理室は見当たらず、中村学園大学の施設や設備、そしてご厚意に助けられた集会でもありました。
 午前中はその調理施設で約三千個の水餃子をつくり、参加者一同舌鼓を打ちました。
 午後は場所を移し一般の教室でかくし芸大会です。佐々木ミヤ子さんの愉快な「どじょうすくい」に始まり、締めは炭坑節で盛り上がりました。中国帰国者の香椎浜グループも太極拳と扇を使ったカンフーを披露しました。中国残留孤児国家賠償請求訴訟福岡原告団の団長の木村琴江さんから1月30日の東京地裁の判決以降の全国的な情勢と支援のお願いも訴えられました。現在、残留孤児の救済が政治的解決の方向で動いており希望の持てる段階にきていることも報告されました。暖かな日差しの日に、このつどいの共催4団体である福岡県中国帰国者の会、九州地区中国帰国者を支援する会、日中友好協会福岡支部、福岡日中文化センターが交流でき絆を深めることができました。(名)

2007年 2月 27日 中国帰国者, 福岡支部 | | コメント (0) | トラックバック (0)

若い層の中にも支援の輪が 「九州地区中国帰国者を支援する会」総会を開く (2006/11/26)

若い層の中にも支援の輪が
「九州帰国者を支援する会」総会を開く

 九州地区中国帰国者を支援する会 第4回総会が11月26日、福岡市で開かれました。
 全国各地で取り組まれてきた、残留日本人孤児国家賠償請求訴訟は、来春にかけて、重要な局面を迎えます。政府の責任を明確にさせた判決を、なんとしても勝ち取るために、九州においても運動を発展させる上で、今回の総会は大きな意義がありました。
Img20061208_03  当日は、長崎、大分、熊本と福岡県内から会員20名と来賓として帰国者の木村琴江原告団長、樺島敏雄、井上顕両弁護士が出席しました。
 弁護団からは裁判の状況と今後の取り組みと展望について説明がありました。
 事務局からはこの間の活動についての報告と役員体制や地方ごとの活動の強化について具体的な活動方針の提案を受けたあと、予定時間を越えるほど活発な討議がありました。

2006年 12月 10日 中国帰国者 | | コメント (0) | トラックバック (1)

中国建設に貢献した5・8会のつどい (2006/5/8,9)

武亜明総領事のあたたかい心に感動の涙
中国建設に貢献した5・8会のつどいに50名参加

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 5月8・9日の2日間、58会(1958年の中国帰国者で、九州を中心にした人達の集まり)の集いが、福岡市の海の中道ホテルでおこなわれました。 遠くは秋田県、千葉県からも参加し、総勢50名で盛会となりました。 終戦の混乱の時期、人民解放軍に遭遇し、その一員として、また看護婦として活躍した人や炭鉱、工場などで解放戦争を支援し、建国後の経済建設に貢献するなどさまざまな役割を果たしてきた人達で、思い出話は尽きないものでした。
 今回の集いで特筆すべきことは、武亜明中国駐福岡総領事が参加され、出席者の終戦当時の活躍を評価し、心温まる感謝の意を表された事でした。 沢山の参加者が、帰国後はじめて「中国要人の評価と謝辞の言葉を聞き、感動し心温まるものを感じ、涙が出た」と感想を述べていました。 また「みんなの先頭にたって、中国の秧歌(ヤンガ)を踊る総領事の打ち解けた姿をみて、踊りながら目頭が熱くなった」「日中友好への思いが一層強くなった」などの感想が多く寄せられました。
 日中関係は「靖国参拝」などで不安の空気が漂っていますが、日中両国民の努力で必ず打ち払われるという確信を強めた二日間でした。
 なお、この集いの世話人として、日中友好協会福岡県連合会各支部の会員である宗弘有蔵、西村儀一、田原計、小林俊子、深谷節子の各氏が領事館との打ち合わせや準備から当日の運営まで力を尽くされました。

2006年 5月 28日 中国帰国者 | | コメント (0) | トラックバック (0)

新聞も大きく報道 中国帰国者弁論大会 (2006/3/5)

新聞も大きく報道 帰国者弁論大会
協会福岡県連が帰国者支援の会、帰国者の会と共催で

 第二回の弁論大会は、3月5日、日中友好協会福岡県連、帰国者支援の会、帰国者の会の3団体の共催で、福岡市で開かれました。 福岡支部、小倉支部の30名の会員を含めて、帰国者、市民など60名が参加しました。帰国者の涙ながらの訴えは胸に迫るものがありました。
 県連からは、北川栄市副会長があいさつ。侵略戦争の犠牲者である孤児たちの支援のために、協会は一層奮闘することを約束しました。
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2006年 3月 11日 中国帰国者, 中国残留孤児 | | コメント (0) | トラックバック (0)

帰国者の弁論を聞いて衝撃 (2006/3/5)

帰国者の弁論を聞いて衝撃
 26才の女性・YSさんからメールが、実名で寄せられました。その全文を紹介します。

 「私は、現在26歳です。勿論戦争の事は、学生の頃、原爆資料を見たくらいで、実際に起きた事はほとんど知りません。 最近、NHKで放映された「大地の子」を見ました。その時、これは本当にあったことなのか・・と、とても驚きました。 同時に何も知らずにぬくぬくと生きてきた自分が恥ずかしくなりました。
 今日の帰国者の弁論を聞いて、改めて衝撃を受けました。彼らがどの様な生活を虐げられてきたか、想像を絶します。過去を知ることで、私にもこれから何か出来る事があるのではないかと思います。
 今後、またこの様な機会があれば、是非参加したいと思いますので宜しくお願いします。

2006年 3月 11日 中国帰国者, 中国残留孤児 | | コメント (0) | トラックバック (0)

「日本の侵略戦争で両国民は戦争被害者」 強制連行・労働事件 市民集会 (2006/2/18)

 日本の侵略戦争で
    両国人民は共通に被害者

 強制連行・労働事件 市民集会

asai060218_1  2月18日、福岡市民会館において、「中国人強制連行・強制労働事件福岡訴訟を勝利させる為の市民集会」が200人を超える参加者で開催されました。

 主催は、支援団体「中国人戦争被害者の要求を支える福岡の会」「中国人・強制連行事件福岡裁判を進める会」と「中国人強制連行・強制労働事件福岡訴訟弁護団」ですが、日中友好協会福岡県連と各支部の全面的バックアップが集会成功の大きな力となりました。

 浅井基文さんの講演「中国関係の過去・現在・未来」では、1972年の日中共同声明から問題をときおこし、台湾問題や日米安保が「日本流の解釈でごまかされた」こと。そのうえ、今日、アメリカの世界戦略(先制攻撃)に日本政府は急速に歩調を合わせ、日本国民はきわめて、危険な状況に追い込まれつつあると警告しました。

 戦後補償問題を考える視点として日中戦争・太平洋戦争が『日本の侵略戦争であった』という原点を日本国民の間に明確にする。そのうえで、日中両国民共通に『日本の戦争政策の被害受忍の義務はない』との視点が大切だ、と語りました。

 集会は、その後、後藤富和、渡辺昌子両若手弁護士の訴え、「支える会」の石川捷治世話人、「進める会」の中村元気世話人の決意表明、松岡肇弁護団事務局長の経過報告、木村琴江「残留孤児の要求を支える会」会長の訴えがありました。

img_4406032231  また、協会久留米筑後支部の会員である、高尾翠さんと著書「天皇の軍隊と平頂山事件」が参加者に紹介され、用意した全ての書籍が売り切れました。(岩)


高尾翠著 「天皇の軍隊と平頂山事件」
  新日本出版社 ; ISBN: 4406032231
  2005年11月 単行本 173ページ
              → 購入の案内はこちら
福岡県連でも取り扱っております。
お問い合わせは、日本中国友好協会 福岡県連合会、各支部へ。

2006年 2月 25日 中国人強制連行・強制労働事件, 中国人戦争被害者の要求を支える会, 中国帰国者, 中国残留孤児 | | コメント (0) | トラックバック (0)

市民集会・帰国者弁論大会 成功のために各団体を訪問 (2006/1/30-31)

市民集会・帰国者弁論大会
  成功のために 各団体を訪問

 中国人強制連行・強制労働裁判は、3月29日が判決です。多くの市民に事の事実、真実を知ってもらうため、2月18日、浅井基文・元外務省中国課長を講師に迎えて開く市民集会をもちます。会場の福岡市民会館小ホールいっぱいの参加者で埋め尽くすことができれば、少なからぬ反響を呼びます。 (→ 浅井基文さんの2月18日の講演の案内はこちら)

img20060130  そのために、現在、「中国人戦争被害者の要求を支える会」「中国人・強制連行事件福岡裁判を進める会」「中国人強制連行・強制労働事件福岡訴訟弁護団」の三者が協力して県下一円に働きかけを強化しています。

 「支える会」と日中友好協会福岡県連合会は1月30、31日の両日、石村義治・支える会代表、岩佐英樹・県連理事長をはじめ11名が組をつくって、16の団体、労組、政党などを訪ね協力要請をしてきました。

 また、要請行動では佐々木ミヤ子・中国帰国者を支援する会事務局員も参加し、3月5日の中国帰国者日本語弁論大会に参加について協力要請を行ないました。 (→ 中国帰国者日本語弁論大会の案内はこちら)

2006年 2月 11日 中国人強制連行・強制労働事件, 中国人戦争被害者の要求を支える会, 中国帰国者, 中国残留孤児 | | コメント (0) | トラックバック (0)

中国残留日本人孤児支援で北九州市と交渉 (2006/1/11)

中国残留日本人孤児支援で市と交渉
     北九州・支援する会
 1月11日、北九州市に医療通訳など、帰国者の生活環境を整えるために、帰国者・支援する会・弁護団20名が要請交渉を行いました。
 市側は「生活保護の対応は高圧的にならぬよう配慮する」などの回答をしました。

2006年 1月 28日 中国帰国者, 中国残留孤児 | | コメント (0) | トラックバック (0)

中国帰国者日本語弁論大会 (2006/3/5)

中国帰国者はどんな思いを持っているのでしょう
聞いてみませんか

第2回
中国帰国者
日本語弁論大会

◆日時 3月5日(日)午後1時半

◆場所 「あいれふ」 9階大会議室
       福岡市中央区舞鶴2−5−1 (電話 092-712-2662)

◆発表者 中国帰国者  2世3世の人も参加

主 催 福岡県中国帰国者の会
九州地区中国帰国者を支援する会
日中友好協会福岡県連合会
後 援 弁護団・福岡県・福岡市・新聞各社

2006年 1月 23日 イベント, 中国帰国者 | | コメント (0) | トラックバック (0)