悲劇の従軍写真家
沙飛 写真展
■ 日時 2009年4月2日(木)~4月5日(日)
■ 会場 久留米市・えーるピア久留米
諏訪野町 西鉄久留米駅から徒歩10分
■ お問い合わせ
日本中国友好協会筑後地区協議会
久留米 0942-53-6512
大川三潴 0944-87-7426
柳川 0944-73-0241
大牟田 0944-57-5827
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中国写真界の草分け的存在であり、数多くの写真家を育て、激動の時代を生き、悲劇の生涯を閉じた従軍写真家・沙飛の写真展が、久留米市で開かれます。
日本で初めての沙飛の写真展が、昨年4月から全国各地で公開され、話題になっています。
福岡県内においては、福岡市で沙飛写真の一部の展示は行われましたが、本格的写真展が開かれるのは、初めてです。
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沙飛 (さひ)
魯迅の影響を強く受け、その臨終に立ち会い撮影した魯迅のデスマスクの写真が、その後の沙飛の運命を決めた。
抗日戦争下の前線で、後方で、沙飛はシャッターを押し続けた。
万里の長城での戦闘 ・ 中国軍の捕虜となり反戦活動に身を投じる日本兵たち ・ 救出された日本人少女と八路軍の司令官 ・ 農民の生活や八路軍による開墾作業 ・ 貧しい子供たち ・ 中国人の戦傷兵や病人を治療するカナダ人医師 ・ 中国共産党代表と国民党代表が米国特使とともに談笑する写真 など、沙飛の残したフィルムには、日中戦争と中国革命の歴史的な場面が刻まれている。
中国写真界の草分け的存在であり、数多くの写真家を育てた。
1949年12月、悲劇が起こった。彼は新中国建設に貢献した日本人の津沢勝医師を入院先の病院で射殺し、死刑に処せられた。
それから36年後の1986年、精神病であり、責任を問える状態ではなかったこと証明され、沙飛の名誉回復が実現する。
津沢医師は2007年ベチューン国際平和病院から「国際友人」栄誉賞の顕彰が与えられ、池谷多鶴子医師(津沢医師の長女)が受けた。
救出された栫(かこい)美穂子さん(当時4歳)は、宮崎県都城市に在住。このエピソードがきかけとなり、都城市と中国重慶市江津区の友好交流都市提携となり、交流がつづいています。1980年に美穂子さんは40年ぶりに聶将軍と再会されました。
2005年、来住新平・日中友好協会都城支部長らが沙飛さんの次女・王雁(おうがん)さんに会い、日本初公開となる沙飛写真展を企画。
そして、昨年(2008年)4月からの写真展に来日した、沙飛さんの次女・王雁さんと三女・王少軍さんは、都城での写真展で栫美穂子さんと一緒にテープカットをしました。