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南京・揚州・鎮江・上海の旅 参加者の感想 2

   前のことを忘れず
      後世の戒めとなす

                  長崎県 橋口昭子

Img20071212_21 今日のために新装された会場は、8年前訪れた折とすっかり変わっていた。式は、予定通り進み、突然空襲警報のサイレンが鳴った。身体が恐怖にふるえた。九死に一生を得た62年前に引き戻されたのだ。70年前の今日、日本の侵略軍が、3ヶ所から南京に入城し6~7週間にわたって、放火、強姦、略奪をほしいままにし、市内7ヶ所で兵士、捕虜、非戦斗員老人子供の別なく虐殺したと記念館の資料は雄弁に語っていた。資料の中に日本の将兵が100人斬りを競う毎日新聞の切り抜きもある。その時の南京の人々の恐怖、憤り、苦しみ、無念はいかばかりだったろうか。式典でのスピーチ、記念館では、平和と中日友好が強調されていた。日本語を学んでいる学生との交流でも平和と友好と話してくれた。
 さて、日本はどうか、反省もなく、権力側もメディアも中国と北朝鮮の脅威を煽り、自公政府は、九条を改悪してアメリカのいいなりに戦争できる国にしようとしている。歴史の歯車を戦前に戻したい側は、南京で30万人虐殺していないなどとあらゆる機会をとらえて言っているが、日本軍国主義のもとで多くの南京市民を虐殺した事実は消せないのではないか。本当のことを知った私は、まわりにこのことを伝えて行こう。平和と友好の活動に確信を持って。
 記念館の出口に近いところに次の言葉があった。
  「前のことを忘れず後世の戒めとなす」 歴史は永遠に教科書である。

 

   南京事件70周年節目の行事 感無量

                  福岡 加藤君子

Img20071212_22 今まで中国へは何度も旅行したが、南京へ行った事はなかった。一度はやはり行かねばという義務感をずっと持っていた。今回はそれがかない、又、70周年という節目の行事に参加でき、多勢の中国人と共に広場に立った時は、感無量としかいいようがない気持ちとなった。
 南京鉄道学院の女学生さん2人と共に日本語で話をしたり、校内を案内していただき、彼女たちの熱心さに圧倒された。
 旅行中、バスの中やテーブルを囲んでの食事の時、普段なら話すことはない大川の家具職人の方々とおしゃべりができ、とても楽しい素晴らしい旅行となった。

 

   夢が実現して大満足

                 大牟田市 堀栄吉
                          堀ケイ子

Img20071212_23  第2回福岡県・江蘇省民間友好交流団の47名の一員として、夫婦で参加し多くの皆さんに、言葉の通じない国で親切にお世話いただいて深く感謝してます。
 妻が終戦引き上げで、旧満州ハルピンに14歳から7年間、4人家族で開拓団として暮らしていた関係で、中国旅行は夫婦で一度は行きたいと話していましたので、その夢が実現して大満足でした。
 福岡県連の今回の南京事件70周年に合わせた企画は、大成功で参加者一同様にも喜ばれた事と思います。5日間の一日一日が、大変有意義な企画と行事で食事もホテルも大満足でした。夫婦とも体重が3キロ増えました。
 南京で交流した日本語学校で勉強中の、新孫・黄リさん(20歳)・李コウガンさん(21歳)とはパソコンでメール交流ができるようになりました。ナイトクルージング、ジャズ喫茶も最高に満足して、風邪も治って元気で日常生活に戻っています。

 

   日本の現状とのギャップにショック

                 北九州市 乗定富子

 你好!旅行ではお世話になりました。
 内容の濃い有意義な旅行となりました。私は、小学生の時、映画「人間の条件」を観て衝撃を受けました。それ以来中国にはわだかまりがあり、特に南京には一度訪れ、辛いけど史実を直視し、一日本人として深く詫びたい気持ちですごして参りました。
 一般の観光ツアーには南京は含まれず、今回日中友好協会主催の旅があると知り、すぐ会員になり参加しました。式典に参加できた事は一生忘れえぬ思い出になる事でしょう。
 南京の子供たちが教科書で何ページにも及ぶ学習がある事をしり、日本の現状とのギャップにショックを受けました。
 今後も微力ながら平和な社会を目指し頑張りたいと思います。

2008年 2月 9日 日本語学校 交流 | | コメント (0) | トラックバック (0)

南京・揚州・鎮江・上海の旅 感想 

事実を事実として
               上村 保   福岡

Img20071212_11  南京事件の起こった1937年は、ナチスドイツがスペインのゲルニカに空爆による世界最初の無差別攻撃を行った年です。同じ年に日本軍も南京に対して空爆を行いました。空爆のあと地上戦で日本軍による無差別虐殺、強姦、放火、略奪の数々と伝えられる南京侵略が始まりました。
 記念式典参列のあと、新しい資料館を見学しましたが、目を背けたくなる映像や写真、二人の将校の日本刀による「百人切り」を報道する日本の異常さなど、一人の人間から一つの国そのものまでを狂わせてしまう戦争を絶対に許してはならないと、平和の大切さと軍隊と戦争を放棄した憲法9条を守る大切さを、かみ締める旅になりました。
 今回の旅で、多くの南京市民を救った、ナチス党員でもあった、ジョンラーベという人のことを新しく知ることができました。「ジョンラーベの家」が資料館となっており、説明を受けながら、「南京のシンドラー」杉原地畝さんがいたことを知りました。
 上海師範大学では従軍慰安婦資料館を訪ね、教授からいろいろな説明を伺うことができました。
Img20071212_12  南京事件にしても、従軍慰安婦問題にしても、学んだことは「まず、事実を事実として受け止めて欲しい。そのことが、出発点だ」ということでした。事実を事実として認めないことは二重の加害行為につながります。「歴史認識」という表現で、中国が再三日本に求めているのはそこでしょう。「報復復讐のこころからは新しい未来は生まれない。しかし、過去の歴史と正しく向き合わなければ真の友好は築けない」。このシンプルな命題が、南京事件から70年、終戦から60年以上も経た、現在もなお、国会で「侵略戦争であった」と明言しない日本国に問われているのだと痛感しました。
 鑑真和上が祀られている大明寺を訪ねましたが、国と国の関係は平和交流であってこそ、文化も華やかに花開くのだと、遣隋使・遣唐使、その他の平和交流の歴史や、元寇の役、秀吉の朝鮮侵略、第二次世界大戦などの戦争の歴史を比較しながら、その思いを強くしました。

憎しみをあおるのではなく
平和を発展させる為

              井上 千代子   大川

 初めての中国旅行はとても有意義のものでした。
 平和集会の会場に入ると、いきなり、見上げる程の大石に刻まれたもがき苦しむ人の姿、天に突き上げた手は、悲鳴、うめき、呪いの叫びが聞こえてくるようで、私は圧倒されました。もうひとつ衝撃だったのは、中国では虐殺ではなく、屠殺と言われていたことです。
 会場には生存者の札を付けた盲目の婦人が時折り涙して立っておられまして。南京戦に参加した父をもつ甲斐悟さんは、その婦人を抱きしめていました。
 資料館では捕虜と住民に対する虐殺、暴行、強姦、略奪の数々。広いガラスの床の下には沢山の遺骨が折り重なっていました。日本ではプラスチックで作ったものではないかと言う人さえいるそうです。
 資料館を出ると、丸い石が沢山積み広げられています。30万個の犠牲者の尊い命の数です。ここは怒りの場です。
 しかし、中国は恨みや、憎しみをあおるのではなく平和を発展させる為という姿勢だと思います。日本政府は、過去の侵略戦争の事実を認めて早く反省してほしいです。
 知人が、「政府が言っている事が本当か、どっちが本当かわからない。」と言っていましたが、写真を見せて、この事実を話したいと思います。
Img20071212_13  南京鉄道職業技術学院の日本語を学んでいる生徒さん達と交流しました。私の相手は赴冠冠さん、二十歳。お父さんは会社員、お母さんは農業、高校生の弟の4人家族で寮に入ってアルバイトをしながら、日本語通訳を目指して、勉学に励んでおられました。中国の学生さん達は素朴で、明るく、意欲的でした。楽しい交流ができました。
 日曜日の魯迅公園には老若男女大勢の人が集まり、社交ダンスの輪があるかと思えば、向こうでは大合唱の輪、太極拳をしている人、編み物をしている人、路面に水で筆字を並べている人、それぞれ楽しんでいます。日本では失われてしまった人間本来の姿がここにありました。中国人が元気なのは、こんな人とのつながりがあるからではないでしょうか。
 バスに乗り込もうとしていると、「日本人ですか?はじめまして。」と二十歳くらいの娘さんが美しい日本語で話しかけてくれました。いろいろ話しかったけれど「勉強頑張って下さい。さようなら。」と別れました。一瞬の出合いでしたが、出会う人ごとに「ニイハオ」と挨拶を交わして、楽しい旅でした。

また中国に行きたい
              佐藤 由紀子   大川

 今回が初めての海外旅行。出発までソワソワ落ち着かない日々が続き、いざ中国へ出発。
 南京大虐殺のことをほとんど知らない私が70周年記念式典に参加した。これまで、いろいろな集会に参加してきたが、こんなに神妙で重い集会は初めてだ。参加者はキチンと整列し、バラバラではなくビッシリと会場を埋め尽くされていた。会場で盲目の老婆が涙を流していた。甲斐さんがその老婆を抱きしめた。
 式典のあと、資料館を見た。広島・長崎の原爆資料館は何度か見たが、戦争のむごさを初めて見たような気がする。人間が人間に直接手をくだす。戦争とはいえ、罪のない女性や子供を平気で殺す。首切り競争をする。同じ日本人として、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。そして、甲斐さんの謝りたい気持ちが初めてわかった。
 公園でお爺さんが日本語で「ようこそいらっしゃいました。」と微笑んで言われた。憎いはずの日本人にどうして微笑むことができるのだろう?資料館を見て、中国人の目が怖くなった私は、少しホッとし「ありがとうございます。」と言った。
 日本語を学ぶ学生との交流では、筑後弁しか話せない私は標準語を話せるか心配した。校舎のなかで話した二人の女学生はとてもかわいらしくて純真で、一生懸命に日本語で話してくれた。あまりためになることを話してあげられなくて申し訳なかったけれど、短い時間でも親しんでくれて感激した。別れ際には涙が出そうになった。
 揚州・鎮江・上海は、思っていたよりずっと発展していた。特に上海の高層ビルの大きさに驚いた。交通量がものすごく、道路の真ん中に歩行者や自転車が立っているのに驚き、ドライバーの運転の上手さに感心した。
 中国の人はとても元気がよく勤勉で、日本の将来が不安になった。
 水とトイレには困ったけれど、今回行けなかった同僚を連れて、また中国に行きたいと思っている。

2008年 1月 19日 日本語学校 交流 | | コメント (0) | トラックバック (1)

南京・揚州・鎮江・上海で交流 (2007/12/12~12/16)

日 中 両 国 民 の 友 好
長江の如く滔々と流れよ
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 江蘇省立南京鉄道職業技術学院を訪問。幹部職員や日本語を学ぶ学生たちと交流。日本語学習のために大型の日本地図と会員から提供された書籍を贈呈しました。

 昨年は、日中国交回復30周年・南京事件70周年の節目の年にあたります。この記念すべき年に、福岡県連は福岡県が友好提携を結ぶ江蘇省の省都であり、二千四百年の歴史をもつ文化都市・南京や揚州、鎮江を12月12日から16日の間、47名(団長・原博道副会長)が訪問しました。
 この訪問の旅は第2回目で、長崎、大分、また、福岡日中文化センターの人々も一緒に参加しました。
 13日は、南京30周年記念集会に参加し、改装となった記念館を見学。平和への誓いを新たにしました。集会は中国国民を中心に各国から八千名を越える人々や報道関係者が参加しました。村上陽三さんと甲斐悟さんは記者の取材を受け、テレビなどで大きく報道されました。
 14日は省立南京鉄道職業技術学院を訪問し、幹部職員や日本語を学ぶ百名を越える学生たちと交流を深めました。また、日本語学習のために大型の日本地図と会員から提供された書籍を贈呈しました。
 14日午後は、日中友好の先達、鑑真和上のふるさとである揚州や鎮江なども訪問しました。
 鎮江では会場を借り切り、銘酒と中国料理を楽しみながら、交流を深めました。
 15,16日は急速に発展する上海の街並を見物しました。また、希望者ごとに雑技、ジャズバンド、クルーザーなどを楽しむとともに、慰安婦資料館、魯迅記念館なども訪れました。
 移動のバスの中では、「鑑真和上」について荒金卓也さん、従軍慰安婦について具島順子さん、平頂山事件について高尾翠さんが、それぞれ、永年の研究をもとに日中友好と平和の立場から心に残る感動的な話をされました。 (以後・続報)

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中国語?と「純粋」日本語で学生たちと交流 手を振って別れを惜しむ学生たち。純粋、素朴さに感動しました。

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 南京30周年記念集会に参加した県連会員や日中文化センターの人たち。平和への誓いを新たにしました。

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県連が献花した花輪 記念集会には未来を担う多くの子どもたちも参加

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 アイルランドの記者からインタビューを
受ける村上陽三さん
 鑑真も親しんだ揚州・痩西湖の畔で

2008年 1月 13日 福岡日中文化センター イベント・講演 日本語学校 交流 | | コメント (0) | トラックバック (1)

中国訪問決定・飛行機も確保 (2007/12/12~12/16)

12月12日~16日    日本語学校、南京記念館など

中国訪問決定・飛行機も確保

 今年は日中国交正常化35周年・南京事件70周年の節目の年です。この大事な年に、両国民の相互理解・友好を大きく促進するために、県連は大量の訪中団を送ることを大会で決めました。
 特に、今年よろこばしいことに、日中友好協会や福岡日中文化センターが協力した日本語学校が南京に開設されます。
 学院側から私たちの訪問団を大歓迎するとの返事ももらっています。
Img20070428_03  新しい南京虐殺記念館も、70周年の12月13日落成を目指して、拡張工事が進められています。
 新しい記念館の敷地は以前の倍。3万人規模の集会もできます。ここで記念集会が開催されるものと考えられます。
 この記念館と日本語学校訪問・交流を中心に各所旧跡を訪れます。すでに航空機座席70席を確保しました。12月12日午前発、16日夕刻便で帰国します。

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 「休日を利用して中国上海旅行を手軽に」という要望に沿って、しかも、3日間を最大に利用した上海旅行がついに実現します。 ただ、午前出発、夕刻便で帰国の飛行機を安全に確保するために、1日だけは平日となります。10月7日(日)10時出発、10月9日(火)夕刻便で帰国します。 具体的なスケジュールなどは早急にお知らせします。

2007年 4月 29日 福岡県連合会 福岡日中文化センター 日本語学校 | | コメント (0) | トラックバック (0)

待望の南京日本語学校 遂にスタート

待望の南京日本語学校 遂にスタート

Img20070408_05  福岡県連は「日中両国民の相互理解を深めるために中国に日本語学校をつくろう」と3年前の大会で決め一日も早い実現を目指して努力してきました。
 学校経営のかかわり方が中国国内法との関係で、「共同運営」から「協力支援」に変わりましたが、日中友好の立場で、今回、江鮮省立南京鉄道職業技術学院(学生数5千名)が責任をもつ日本語学校立ち上げに協同・協力してきました。

Img20070408_06  3月29日、武田正勝県連会長の代理で、高向洋人氏(県連会員・福岡日中文化センター副所長)が南京を訪れ、伊藤正敏氏(同学院講師・県連会員)の立会いで、銭吉奎副学院長と学校支援協定書に調印を行い、百万円の協力金を手渡しました。
 すでに、学校設置については省の認可を得、省物価局から募集要項などの許可も下り、開校は5月14日の予定です。現在、スタッフは学生募集など準備に全力を挙げています。
 銭吉奎副学院長は「ぜひ、成功させたい。福岡の皆さんの訪問・交流を歓迎します」と語っています。
 〔南京訪問計画〕
 県連は、南京事件70周年の今年、県民に広く呼びかけ、12月に記念集会と日本語学校訪問の予定です。


[訂正とお詫び]
南京鉄道職業技術学院副学院長のお名前は、正しくは「銭吉奎」さんでした。
本文を訂正の上、お詫びいたします。

2007年 4月 9日 福岡県連合会 日本語学校 | | コメント (0) | トラックバック (0)

江鮮省から認可 日本語学校 (2007/3/30)

南京鉄道職業技術学院日本語学校
  3月30日、協会福岡県連合会と調印
 武田正勝県連会長の代理で、南京訪問中の高向洋人氏(県連会員・福岡日中文化センター副所長)は伊藤正敏氏(南京鉄道職業技術学院講師・県連会員)の立会いの下、3月30日に学校支援協定書に調印を行います。

→ 南京鉄道職業技術学院 日本語学校 の創立の支援のページ はこちら


2007年 3月 30日 日本語学校 | | コメント (0) | トラックバック (0)

中国における日本語教育支援についてのご協力のお願い 

中国青年と真の交流を深めるために
中国における日本語教育支援についてのご協力のお願い
江鮮省立  南京鉄道職業技術学院日本語学校への援助

南京鉄道職業技術学院  日中友好協会福岡県連合会では、中国での日本語教育を支援する運動のとりくみとして、江鮮省の省都・南京市にある省立の南京鉄道職業技術学院の日本語学校の創立を支援することにしました。このため、協力債と支援募金を集めています。
 以下のリンクのページをお読みの上、ご協力をよろしくお願いします。
  →  南京鉄道職業技術学院 日本語学校 の創立の支援のページを読む

2007年 3月 5日 福岡県連合会 日本語学校 | | コメント (0) | トラックバック (0)

南京に友好の日本語学校設立

福岡県連の念願に光が
南京に友好の日本語学校設立

 日中両国民が相互理解と交流を深めることを願って、南京に「日本語学校(教室)」をつくるために、福岡県連は2年前から調査をすすめ、江蘇省立大学の設置の為の具体案を提起していました。困難と思われた時期もありましたが、大学と伊藤正敏さん(福岡支部会員・南京在住)の意欲と協力で、話し合いがすすめられ、すでに、大学側では、設置のための担当者も決定しています。
 近々、大学側から具体案が県連に定時がある予定です。
 この念願の日本語学校が実現すれば、福岡と南京、江蘇省との民間交流は大きく発展します。中国との交流を願うとりわけ若い人々に夢と展望の道を開くことになることでしょう。

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昨年8月13日、福岡を訪れた南京大学の一行と福岡県連役員

2006年 4月 24日 福岡県連合会 日本語学校 | | コメント (0) | トラックバック (0)

武亜朋総領事と協会福岡県連役員懇談 (2006/3/15)

武亜朋総領事と協会福岡県連役員懇談

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 福岡県連は、3月15日、北川栄市副会長と岩佐英樹、松山盛利、三好正明の3役員が中国駐福岡総領事館を訪れ、武総領事と懇談しました。
 この中で、領事館の活動の一端について説明を受け、「お役所」仕事でなく、人道的立場で忍耐強く業務にあたっているいくつかの話を聞いて深い感動を受けました。
 また、県連主催の「学習懇談会」での講師依頼及び、会員から要請のあった「58会」(戦後、中国に残留し中国の新しい国造りに貢献してきた人々のグループ)の集まりでのあいさつについても、総領事にお願いし、快諾を得ました。
 中国での日本語教室(学校)つくりについても、総領事の意見を聞きました。
 なお、学習懇談会については、5月下旬以降開くことで、内容などについては検討することにしました。

2006年 3月 19日 福岡県連合会 中国残留邦人帰国者 日本語学校 | | コメント (0) | トラックバック (0)

中国南京に日本語学校設立の準備を進める ( 2005/8/15 )

中国南京に日本語学校設立の準備を進める

協会福岡県連合会が中国の学院長に協力要請

 福岡県連は、昨年の大会で、中国に日本語学校設置について検討をはじめることを決め、実情調査など進めてきました。
 8月15日には、中国南京市のN学院と第1回目の話し合いを行ないました。
 この学院は江蘇省の省立で、4000名の学生を擁しています。福岡支部の会員でこの学院の日本語教師をしているIさんの斡旋で、学院長等の来日を機会に協力要請を行なうことにしたものです。
 当日は県連の松山盛利事務局長、三好正明理事が依頼書を持参し、趣旨説明をおこないました。
 学院長は、「政府も外国の協力を得て私学を発展させることを奨励している。特色ある学校ならば当学院の知名度アップにもつながり有効です。帰国後、会議を開き人民政府の許可も必要であり前向きに検討を進めます」と応え、カリキュラムや資金などについて4点について県連に質問をしました。
 この学校創立は、日本語教育をとおして、中国の若い人々と相互理解を深めるためことを目的に計画されているもので、とりわけ、福岡県と江蘇省は姉妹都市であり、南京市を省都にもつ同省との交流は歴史上からも、また、今日的意義から見ても極めて重要であるとの立場から進められています。(M)

2005年 8月 21日 福岡県連合会 日本語学校 | | コメント (0) | トラックバック (0)

福岡支部が第39回定期大会開く ( 2005/7/10 )

役員は大幅増、専門部も設置

中国に日本語学校設立も準備


福岡支部が第39回定期大会開催

 

福岡支部は、吉林省民族楽団公演を大成功させ大いに盛りあがる中で、7月10日、第39回定期大会を開きました。
 ここ5年の間、中国国民との交流が大きく広がり、支部や福岡日中文化センターの様々な講座やサークルは活気を見せています。
 また、戦争被害者である帰国者や中国人強制連行者の支援活動も進んでいます。一方、今の日本と中国の情勢を反映して、日中友好協会に対する期待と関心は高まり、事務局の仕事量が大幅に増えています。
 こうした中で大会は、ひとりでも多くの会員の協力を得て運動を進めるために、交流・旅行部、学習部、文化部などを作ることや役員も23名から31名に大幅に増やすことにしました。また、「日本語学校」と「茶館」の設立などの計画を進めていくことにしました。
 大会では、24名の人から報告や発言がありました。
 大会終了後、会員から寄贈された「宏介ちゃんプロジェクター」「正勝ちゃん暗幕」の披露も兼ねて映写会と懇親会を楽しく行ないました.。(M)
fukuoka20050719

 

2005年 7月 23日 福岡支部 中国人強制連行・強制労働事件 中国残留邦人帰国者 日本語学校 | | コメント (2) | トラックバック (0)