
今年は、日中国交回復40周年の節目の年です。
日中友好協会は、新中国建国時(1950年代から60年代)に次々と制作され、日中友好協会によって全国で上映された中国の名作映画がDVDで蘇り、上映会を全国で開催中です。
第1回上映作品は「白毛女」です。
今回は、石子順さんを迎えて「新中国草創期の映画の魅力」について語っていただきます。
「白毛女」は、1949年の新中国の成立後に制作されました。
歌が入る新形式のリアリズム映画は、世界映画史の一頁を飾りました。
監督は水華と王浜で、主演の田華は、新生中国の映画女優としてその名を内外にとどろかせました。
「白毛女」は、1930年代の中国北方のある村で、田華と李百万が演じる喜児と大春が新春に結婚式を挙げることになっていた。・・・・どう展開するのか。古い中国からの解放宣言の映画です。
5月25日(金)18:30~
会場:福岡日中文化センター
福岡市中央区渡辺通2-8-23樋口ビル3F
学生・帰国者
300円
会費:700円
定員:50人
問合せ:日中友好協会福岡県連合会
電話:092-761-0604
2012年 5月 15日 講演, イベント, 交流 | Permalink
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にいはお戸畑 第36号
(日中友好協会戸畑支部ニュース)
=> PDFファリルを見る(744KB)
- ・餃子つくり会
- 戸畑支部は、3月25日(日)「餃子会」をしました。九州工業大学の中国人留学生4人や帰国者と家族6人を含めて・・・
- ・「西安」に行こう
- 鐘楼は街の中心にあり、かつては鐘で人々に時を知らせていました。明代1384年建造。現在はロータリーの中心・・・
- ・中国人現地調査in宇美
強制連行 強制労働
- 第4回目となる福岡県内の中国人強制連行・強制労働現地調査は、4月15日(日)に、宇美町の三菱鉱業・勝田大谷坑跡地・・・
- ・福岡中国総領事館訪問
- 4月10日、八幡支部が福岡の中国総領事館を訪問するというので、同行させてもらいました。当日は、郭主席領事はじめ・・・
- ・中国の街で見られる中国語
- 今月はちょっと長い文ですが無錫・太湖の映画セットの観光地にある、バスの駐車場から船着場・・・
2012年 4月 28日 イベント, 中国人強制連行・強制労働事件, 交流, 戸畑支部 | Permalink
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4月1日、『日中友好協会青年部お花見会』を行いました。当日は晴れた中で時折り冷たい風が吹く天気でしたが、「満開宣言」が出された福岡城址には満開の桜を観ようと数多くの花見客が訪れました。
朝6時半から場所取りをした会場には、九州大学の留学生、大阪から朝早くの飛行機に乗って参加した女性、車椅子の男性などを含めた総勢33名の参加者がありました。
豪華な中国料理を食べながら、交流を深め合いました。
他団体の花見客も巻き込んだギター演奏や留学生の中国語版「北国の春」の熱唱など「日中交流歌合戦」が行われるなど、非常に有意義な時間を楽しみました。
日中友好協会青年部では、今後も季節感溢れるイベントをバンバン計画していこうと考えています。 (衛)
2012年 4月 7日 交流, 福岡支部 | Permalink
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「国際交流市民どんたく」に参加
福岡支部
11月5・6日福岡市アクロスで開かれた「国際交流地球市民どんたく」は、「世界と日本を愛でつむぐ」をテーマに23団体が参加し、1千名を超える市民が会場を訪れました。
協会福岡支部は3回目の参加です。
日中の展示ブースは、東日本大震災に中国から支援として贈られた福島原発に注水する大型ポンプ車の写真、中国残留帰国者の福岡市天神での震災支援街頭募金風景写真、日中文化センターのサークルの活動紹介をしました。日中友好協会のスタンプラリーには、二日間で320人以上の人が応募しました。
5日のワークショップでは、二胡演奏、静吟、中国語教室、太極拳とサークルの日頃の活動を会場に訪れた人にお披露目しました。(お)
2011年 12月 11日 イベント, 中国帰国者, 交流, 二胡, 太極拳, 福岡支部 | Permalink
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抗日戦争勝利65周年 記念交流会開かれる
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中国総領事館
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抗日戦争勝利65周年を記念して、「歴史を鑑とし、未来に向う」をテーマにした会が、8月28日、中国福岡総領事館で、日中両国の友好と平和を願って活動している団体の代表や会員約70名が参加して開かれました。
武樹民総領事は記念講演の中で「日本の侵略戦争は中国国民だけでなく、日本人、諸国民に重大な災害をもたらしました。今日、日中両国の交流、貿易、友好提携都市は大幅に増えています。歴史を鑑とし、新しい友好・平和の時代を開くために、ともに協力し合い、努力しましょう」と語りました。
交流会は、県連からは、松尾武蔵理事長、松山盛利事務局長、中野智子理事、宗廣有蔵糸島支部長が参加し、武総領事をはじめ、領事館員や中国留学生会、華僑団体、諸団体の人々と懇談しました。
2010年 9月 12日 交流 | Permalink
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小倉支部青年部準備会は5月28日、小倉南区において、北九州市立大学の留学生との交流会を開催しました。当日は、留学生5名と20代の青年を中心に、13名が集いました。
会場では、青年会員が買い出しと調理をして留学生を迎え、みんなで食事をしながら交流がはじまりました。
NPTニューヨーク行動に参加した会員の能美友吏子さんのサックスによるジャズ演奏を聞き、自己紹介となりました。
留学生の出身は遼寧省・福建省・吉林省ということでしたが、朝鮮族の女性は韓国語・中国語・日本語に加えて英語も少々話すことできるとの自己紹介に青年会員は驚いていました。
交流会では、上海万博と大阪万博、餃子やラーメンの日中の違いや刺身など食べ物・お酒の話、三国志や魯迅・孔子の話、少数民族や政治・経済の話、お互いの仕事やアルバイトの話などいろいろなな話題が続きました。
みんなで写真をとってお開きとなりましたが、今後も留学生のアルバイト先のお店などで交流しようということになりました。 (訓)
2010年 6月 16日 交流, 小倉支部 | Permalink
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天皇の軍隊と平頂山事件
高尾翠 著
新日本出版社
ISBN: 4406032231
物言わぬ累々たる遺骨群--「満州」撫順で何が起きたのか?
満州事変の翌年、中国東北部・撫順で起きた住民大量虐殺事件。戦後長く隠蔽されてきた未曾有の惨劇は、なぜ起きたのか? わずかな生存者の生なましい裁判証言が明らかにした実態は?
自分の生まれた大地を血に染めた事件の真相と本質を追い続ける著者執念の研究ルポ。
日本中国友好協会 福岡県連、各支部でも取り扱います。
電話/FAX 092-761-0604
Email nc.fukuoka@gol.com
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ここから入ってから、いろいろ購入すると、アソシエイト・プログラムを通じて、売り上げの一部が、日本中国友好協会福岡県連に活用されます。
2010年 4月 15日 交流 | Permalink
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武総領事を迎え春節祝賀会開く
早くから広く市民に伝へ新しい仲間も増える 糸島支部

糸島支部主催の春節祝賀・ぎょうざ会は七年目を迎え、今や糸島地域のイベントの一つになろうとしています。僅か十万余の街にそよぐ春風のように。
2月28臼、糸島健康福祉センターには、春節を祝い楽しむ、会員、ひまわりの会(中国人妻の会)、留学生の人々が、続々とつめかけ、開始の午前10時過ぎには 赤い提灯、切り紙、壁紙で華やかに飾られた会場を百十名を越える人々が埋めつくしました。
宗廣マツさんの指導で一斉に餃子作りを開始。大人も子どもも、留学生もワイワイ日本語と中国語で歓談し、お腹一杯食ペました。
ほっとしたところで、太極拳の加藤君子先生と黒木弘子さんの艶やかで闊達な扇の表演で二部の開幕。
宗広有蔵支部長の「糸島で平和と友好への流れを大きくしましょう。みなさんも加わって下さい」と挨拶、武田正勝県連会長は「糸島は中国に最も近い所」とユーモアを交え参加者を激励しました。
大きな拍手で迎えられた武樹民総領事は親しみ深く語りかけ、「今日は春節の最後の日です。一緒に楽しめて嬉しい。ネパールなどアジアの青年も参加していることに感銘をうけた」と述べ「中国総領事館に来てください。上海万博には福岡から近いので来てください。」と繰り返し語られました。
ひまわりの会の牧歌(ヤンガ)踊りには総領事夫人に続き武田会長も加わり全員の手拍子のなか友好の熱気がみなぎりました。
中国人留学生とネパールの留学生の唄とトークは踊りつきで会場をわかせました。
元町長さんは美味しい一箱の蜜柑をお土産にもって友人を誘って参加。水沢健司さんによる飾りつけは、入ロの赤い対聯も加わり、参加者は入ってくるときから祝賀気分になったと好評でした。
参加者は、「美味しかった」「内容も豊かで楽しかった」「来年はもっと連れてくるけん」と満足のようでした。 (広)
2010年 3月 15日 イベント, 交流, 糸島支部 | Permalink
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福岡と大連弁護士会が提携交流
調印祝賀会に武田県連会長が出席

2月27日、福岡市内のホテルで県弁護士会と大連市律師協会の交流提携調印式がありました。
式典には両会の弁護士、吉田宏福岡市長、報道関係幹部、武田正勝協会県連会長など約70人が出席。池永満県弁護士会長は、中国人強制連行・強制労働訴訟や残留日本人孤児訴訟などに携わってきた体験にも触れ、「平等、互恵、内政不干渉の原則に則り、相互交流を通じて、基本的人権の擁護と社会正義の実現に貢献する」と力強く挨拶しました。張耀東大連律師協会長は「中日友好のためにも両国の弁護士の交流は大切。レベルも高まる」と挨拶しました。武田県連会長は吉田市長をはじめ、参加者と交流を深めました。
2010年 3月 15日 中国人強制連行・強制労働事件, 中国残留孤児, 交流 | Permalink
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11月23日 福岡市で中国料理の作り方を教わりながら帰国者と市民が交流するつどいが開かれました。
これは、新しい支援策にもとづいて中国帰国者自立促進協議会の事業として実施されたものです。
当日は、帰国者の会の木村琴江会長が「この日を機会に市民との交流がより一層深まることを期待します」とあいさつ。
55名の参加者(協会福岡支部からは20名)は5班に分かれ、中国の饅頭と酢物、中華サラダの作り方を習いました。
鏝頭作りは、酵母菌が入った床に薄力粉を入れよく混ぜしばらく寝かせ発酵させ、それを5種類のお祝いの饅頭を造り、蒸すという作業です。
中国語・日本語・身振り手振り、笑いが飛びかい、失敗しながら何度も形をつくり替えるという楽しい時間でした。
中華料理店から本職の人の応援もあり、糖酢海老・紅焼排骨・木須菜の3品が追加され、昼食は饅頭を食べながら中華料理の作り方について話がはずみました。
午後は、全員の自己紹介から始まり、協会からは、日本の歌と三味線演奏による民謡などを披露しました。
帰国者からは太極拳、踊り、日本の歌の発表があり予定時間をオーバーするほど交流がはずみました。
2009年 12月 11日 中国帰国者, 交流, 福岡支部 | Permalink
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美しい海に感激
手作り料理に舌鼓
中国青年幹部ホームビジット
日中友好協会福岡支部
福岡支部が一昨年も受け入れに協力した、日本国際協力機構主催の中国青年指導幹部訪日研修団「ホームビジット」行事が、今年も11月8日に実施されました。
この「ホームビジット」は、近い将来中国の指導者となる青年幹部達が、「日本の市民生活を体験・市民との交流を行う」という目的で、研修カリキュラムの一つとして組み込まれています。
訪日研修団(総勢90名)の内30名が「環境対策」研修をテーマに来福し、そのうち10名の「ホームビジット」を、日中友好協会に受け入れ依頼があったものです。
ホテルニューオータニで初対面した各組は、家庭へ案内する前の「観光案内」にもそれぞれ工夫を凝らしました。
後漢の光武帝から贈られた「漢委奴国王印」が出土したと伝えられる志賀島の「金印塚」へ案内した組、空海が中国から帰朝して最初に建てたと言われる宗像の「鎮国寺」へ案内した組、日本でも数少なくなったきれいな砂浜の代名詞「鳴き砂」の名所・福吉海岸の「姉が浜」へ案内した組など、中国の「客人」もきれいな海と景色に大喜び。昔からの福岡と中国の、深い関係に感心していました。
各家庭では、中国の若者の結婚観、性同一性障害の問題まで質問や得意の漢詩「楓橋夜泊」などを吟じたり、元八路軍兵だった会員の流暢な中国語に驚いたり感激したり、手作りの料理と美味しい酒に舌鼓を打って、話も弾み、各組とも時間ぎりぎりのホテル帰着となりました。
2009年 12月 2日 交流, 福岡支部 | Permalink
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中国語学習者の教材にも
少年詩を楽しんで下さい
「日中対訳水上多世的詩 小生命 」出版 水上平吉
私のつれあいだった水上多世(みずかみかずよ)の少年詩が台湾、大連、上海、北京、香港で中国語訳され、それぞれの地元の難誌、新聞、単行本などで紹介されていました。大変うれしいことでした。
そのままで終わっては惜しい気がして、その訳詩と原詩とで『日中対訳水上多世的詩小生命』として本にしました。
中国語を学んでいる方には素敵なテキストに成ると思いますし、中国古典の詩に親しんだ方にも、現代の中国語で詩に接する面白さがあるのではと思います。ご一読いただければ幸いです。
かずよの詩は一九八○年から小学校の国語教科書に採用され始め、今までに十篇が採用されています。
全国の児童たちが声張り上げて朗読しているのです。
それらの詩が中国でも中国の言葉で母と子が読んでいるのです。
これこそ本当の意味の草の根の日中友好ではないでしょうか。
子どもたちに負けないように、大人の私たちも対訳詩集を味わっていけたらと願っています。
この本のために、中国の著名な詩人・生野(ションイエ)先生が題字と巻頭言を寄せてくださいました。
それには「あなたが植えたいのちの花は、これからますます美しく咲いて、地球全体をあたためることでしょう」とまで言っていただきました。
『日中対訳水上多世的詩小生命』 (定価1200円 送料80円)
ご希望の方は、
〒805-0059 北九州市八幡東区尾倉3-7-10
水上平吉(電話093・661・4488)
までご連絡ください。
○みずかみ かずよ (1935~1988) 本名 水上 多世 詩人・児童文学作家 八幡市生まれ。幼稚園勤務のかたわら詩や童話を書き始める。夫の平吉と児童文学誌「小さい旗」を発行。日本児童文学者協会等に所属。 少年詩集「馬でかければ」、「こえがする」、絵本「きんのストロー」、童話「ごめんねキューピー」、詩集「生かされて」などがある。 昭和56年北九州市民文化賞を受賞。「夕立」他が国語教科書に採用された。「みずかみかずよ全詩集 いのち」で平成8年丸山豊記念現代詩賞を受賞した。
○みずかみかずよ文学碑
「ふきのとう ゆきが そこだけ とけてるの あったかい いきが かかるのね うれしい こえが ひびくのね」
【所在地】北九州市八幡東区尾倉2丁目 小伊藤山公園内
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2009年 11月 14日 交流, 文化・芸術 | Permalink
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北九州、久留米両大学の
協会班が交流

6月28日、北九州、久留米の両大学の日中友好協会班は、10名が参加して、福岡市内で、中国映画「人道と寛恕」と協会製作の「泥にまみれた靴で」を鑑賞した後、食事をともにしながら交流を深めました。当日、映画を鑑賞した県連の武田正勝会長が、学生たちを激励し、中村訓八常任理事が、いろいろとお世話をしました。
2009年 7月 8日 交流 | Permalink
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船便の中に パスポート
落胆する中国青年を助ける
坂井良則さん(日中友好協会福岡支部会員)は、在留中国人や留学生たちに日本語を教えるボランティア活動を続けています。
3月29日、福岡市藤崎の教室で担当してきたシュウ君(26)が、一年間の長期出張を終えて武漢に帰国するので、福岡空港に見送りに。ところが、搭乗手続き中のシュウ君の様子がおかしい。慌てている。聞くと「別送した船便の中にパスポートもビザも入れてしまった」とのこと。
「もう出国できない」と落胆している彼を慰め、阪井さんは善後策をシュウさんと相談。「①引き払った部屋の再使用②パスポートの再発行③ビザの再交付を受ける」と、行動計画を決めました。
先ず不動産屋へ行き、事情を話して、寝る場所は確保しました。翌月曜日。朝一番に、シュウ君初めての中国総領事館へ。係の女性担当者に事情説明。領事と相談した上で「一回限りの証明書」(旅行証)を明日発行してもらうことに。
翌火曜日。朝一番に(旅行証)を受領。空港にある入国管理所へ。入管では、日本語が不自由なシュウ君に代わって坂井さんが「経過と申請理由」を代筆。かなり待たされたが、何とか当日にビザを取得。
翌水曜日。空港で搭乗手続き、出国審査を無事終えてほっとしたシュウ君を確認して、坂井さんもやっと安堵したそうです。
この4日間に、坂井さんから受けた、並はずれた親切・優しさをシュウ君はおそらく生涯忘れることはないでしょう。(三)
2009年 4月 21日 交流 | Permalink
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80人が参加し新春のつどい 糸島
支部
1月25日(日)新春の集いを開きました。当日は、前日からの大雪が降りしきる中、続々と集まって80人になりました。春節が翌日とのこともあり中国の留学生の大半は、本国に帰っていました。それでも3名の中国留学生とベトナム、ネパールの留学生合わせて17名が参加しました。
集いは宗広有蔵支部長の「アメリカのオバマ大統領の誕生、日本の多くの若者に小林多喜二の蟹工船が読まれている」など、世界と日本の変化にふれ、糸島での日中友好運動の発展を展望した挨拶がありました。
その後、宗広マツさんの指導で一斉に餃子つくりにかかりました。ひまわり会(中国人妻の会)も子供さんを連れて10人近くが参加し餃子つくりの指導を手伝いました。交流会は中国の歌、ベトナムの歌、ネパールの歌、オカリナ、太極拳など大いに盛り上がりました。
参加者からは「初めて参加したがすごく楽しかった」「来年もぜひ参加する」などの声があり大好評でした。餃子講習会は3月から、日中のサークルとして開くことを拡大役員会で決めました。(東)
2009年 2月 11日 交流, 糸島支部 | Permalink
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3年間、南京からの留学生を無償で指導
坂井良則さん
福岡支部の坂井さんは、南京鉄道技術学院から福岡国際コミニュケーション専門学校に留学してきた学生たちに、3年間にわたり週1回、国際交流を主眼にボランティアで日本語を指導してきました。 学生数は延べ18名に上ります。 しかし、同学院からの留学生は今年はとぎれたので、坂井さんの学生たちへの指導も一時お休みとなりました。
坂井さんの熱心で誠実な指導には学生たちから「日本のパパ」として絶大な信頼を得ています。坂井さんは南京・蘇州などへ訪れた際には、帰国して元気に働いている学生たちと再会するなど交流を続けけています。この坂井さんと学生たちとの草の根の交流は、今後、大きな日中友好の花を咲かせることでしょう。 (K)
2009年 2月 11日 交流, 福岡支部 | Permalink
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紆余曲折の五十年 文革の痛みを乗り越え
宗廣有蔵
私が中国から帰国し舞鶴港に上陸してから50年が過ぎた。帰国直前の1958年6月、私の居た武漢市労働組会総連合会が催してくれた送別の宴で「互いに自国で日中友好に力を尽くそう」と誓い合った。それは今日まで私の頭から離れることはなかった。
過ぎ去った半世紀、日中関係には紆余曲折があり、その度に胸を熱くし、心を痛めたりしてきた。だがその中で今もなお癒しきれず心の奥底で,染みの様な痛みを残したものがある。他ならぬ文化大革命での戸惑い悲しみ怒りの傷跡だ。しかしそれで私の日中友好への思いが挫かれる事はなかった。 戦後早くから日中友好運動を手掛け、嵐に抗して組織を守り抜き、癒しきれぬ痛みを持ちつつ,再建と発展に不屈に貢献している先輩・仲間が福岡にも全国にも多く居て、協会を土台から支えている。私も彼らに教えられ励まされている一人である。
おかげで今なお50年前の「日中友好の絆になろう」という、今は存在すら分からない中国の友人との約束を生涯の信念として貫こうとしている。
いま糸島支部では真面目で友好前進を自分の喜びにしている仲間が増え、その存在感を示し始めている。運動は人の育ち方で決まる。今年もまた回りの仲間とともに力をつけ、おおらかにしなやかに広がりをつくりたい。
2009年 2月 10日 交流, 糸島支部 | Permalink
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市民レベルで交流を重ねて行けば、
戦争には至らない中国青年幹部
海外研修団
・林北京医院長と古田美貴子さん再会
創立百年をこす中国「北京医院」の林嘉濱院長は、一昨年暮に病院の幹部職員たちを前に次のような"講話"をしたそうです。
「今回の日本への研修旅行で、強く感じたのは、日本の一般市民との交流の重要性です。
福岡でのホームビジットでは、ごく普通の家庭に訪問しましたが、そこの女主人は友達数人と一緒に、私たち中国人訪問客三人に心のこもった家庭料理を用意して、温かく歓待してくれました。畳の部屋での座り方、お辞儀の仕方も教えてくれました。美味しい食事をし、酒も入って、楽しいおしゃべりをし、中日両国の歌や踊りも教えあいました。
ここでの数時間は、非常に楽しいものでしたし、また有意義なものでした。日本の一般市民が中日友好を本当に願っていることを実感できました。こうして市民レベルで、お互いの生活・文化を知り合い、友好交流を積み重ねて行けば、たとえ政府段階で一時的に対立を生じても、それが戦争という最悪の事態に至ることは無いと確信しました」
中国衛生部直轄の「北京医院」は、二千五百以上の職員を擁し、新中国成立後から中央党幹部・政府部局長、および80万余りの健保参加者の医療を引き受けている名門病院です。林院長は、一昨年11月「中国青年幹部海外研修団」の一員として来福、研修活動の一環として、快くホームビジットを請け入れてくれた二日市の古田美貴子(協会会員)さん宅を訪問し、北京での再会を約束していました。
昨年暮れに古田さんは、息子さん夫婦と一緒に北京へ行き、一年ぶりに林院長との再会を果たしました。病院からは日本での研修経験者の事務長・二人の看護科長と、通訳として中日友好協会理事でもある職員の申さんも同席して、美味しいご馳走を満喫しながら、楽しい話がいつまでも続き、お別れにはまたの再会を堅く約束しました。(三)
2009年 1月 10日 交流 | Permalink
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帰国者の人を交えて新入会員歓迎のつどい 八幡支部

八幡支部は3月8日新入会員歓迎のつどいを行いました。
当日は、朝9時に帰国者の方の家に餃子作り材料運搬のため、磯部支部長が行動開始。 会場には、帰国者の方20名と安部タマエさんが参加しての餃子作りが始まりました。 小倉支部から、深谷節子さんが参加してくれました。 餃子作りの合間には、帰国者の方同志が仲良く中国語で交流していました。 八幡支部からの参加は、13名でした。
つどいの最初は、餃子パーティとなりました。
歓迎と激励の挨拶を磯部支部長が行い、続いて北九州協議会会長の原博道氏が中国語を交えて挨拶をいただき、和やかな開会となりました。
つづいて、残留孤児国賠訴訟福岡原告団の原田郁子さんと弁護団の安部千春弁護士の話に帰国者の方から今後のことも含めて質問もありました。 その後、北京風雷京劇団訪日公演の宣伝ビデオ鑑賞をした後、会員の皆さんの近況と友好の想い等を語り合いました。
今後の取り組みについては、中国映画「覇王別姫」の上映会をすることを申し合わせました。(原)
2008年 3月 22日 中国帰国者, 中国残留孤児, 交流, 北九州協議会, 八幡支部 | Permalink
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前のことを忘れず
後世の戒めとなす
長崎県 橋口昭子
今日のために新装された会場は、8年前訪れた折とすっかり変わっていた。式は、予定通り進み、突然空襲警報のサイレンが鳴った。身体が恐怖にふるえた。九死に一生を得た62年前に引き戻されたのだ。70年前の今日、日本の侵略軍が、3ヶ所から南京に入城し6~7週間にわたって、放火、強姦、略奪をほしいままにし、市内7ヶ所で兵士、捕虜、非戦斗員老人子供の別なく虐殺したと記念館の資料は雄弁に語っていた。資料の中に日本の将兵が100人斬りを競う毎日新聞の切り抜きもある。その時の南京の人々の恐怖、憤り、苦しみ、無念はいかばかりだったろうか。式典でのスピーチ、記念館では、平和と中日友好が強調されていた。日本語を学んでいる学生との交流でも平和と友好と話してくれた。
さて、日本はどうか、反省もなく、権力側もメディアも中国と北朝鮮の脅威を煽り、自公政府は、九条を改悪してアメリカのいいなりに戦争できる国にしようとしている。歴史の歯車を戦前に戻したい側は、南京で30万人虐殺していないなどとあらゆる機会をとらえて言っているが、日本軍国主義のもとで多くの南京市民を虐殺した事実は消せないのではないか。本当のことを知った私は、まわりにこのことを伝えて行こう。平和と友好の活動に確信を持って。
記念館の出口に近いところに次の言葉があった。
「前のことを忘れず後世の戒めとなす」 歴史は永遠に教科書である。
南京事件70周年節目の行事 感無量
福岡 加藤君子
今まで中国へは何度も旅行したが、南京へ行った事はなかった。一度はやはり行かねばという義務感をずっと持っていた。今回はそれがかない、又、70周年という節目の行事に参加でき、多勢の中国人と共に広場に立った時は、感無量としかいいようがない気持ちとなった。
南京鉄道学院の女学生さん2人と共に日本語で話をしたり、校内を案内していただき、彼女たちの熱心さに圧倒された。
旅行中、バスの中やテーブルを囲んでの食事の時、普段なら話すことはない大川の家具職人の方々とおしゃべりができ、とても楽しい素晴らしい旅行となった。
夢が実現して大満足
大牟田市 堀栄吉
堀ケイ子
第2回福岡県・江蘇省民間友好交流団の47名の一員として、夫婦で参加し多くの皆さんに、言葉の通じない国で親切にお世話いただいて深く感謝してます。
妻が終戦引き上げで、旧満州ハルピンに14歳から7年間、4人家族で開拓団として暮らしていた関係で、中国旅行は夫婦で一度は行きたいと話していましたので、その夢が実現して大満足でした。
福岡県連の今回の南京事件70周年に合わせた企画は、大成功で参加者一同様にも喜ばれた事と思います。5日間の一日一日が、大変有意義な企画と行事で食事もホテルも大満足でした。夫婦とも体重が3キロ増えました。
南京で交流した日本語学校で勉強中の、新孫・黄リさん(20歳)・李コウガンさん(21歳)とはパソコンでメール交流ができるようになりました。ナイトクルージング、ジャズ喫茶も最高に満足して、風邪も治って元気で日常生活に戻っています。
日本の現状とのギャップにショック
北九州市 乗定富子
你好!旅行ではお世話になりました。
内容の濃い有意義な旅行となりました。私は、小学生の時、映画「人間の条件」を観て衝撃を受けました。それ以来中国にはわだかまりがあり、特に南京には一度訪れ、辛いけど史実を直視し、一日本人として深く詫びたい気持ちですごして参りました。
一般の観光ツアーには南京は含まれず、今回日中友好協会主催の旅があると知り、すぐ会員になり参加しました。式典に参加できた事は一生忘れえぬ思い出になる事でしょう。
南京の子供たちが教科書で何ページにも及ぶ学習がある事をしり、日本の現状とのギャップにショックを受けました。
今後も微力ながら平和な社会を目指し頑張りたいと思います。
2008年 2月 9日 交流, 日本語学校 | Permalink
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事実を事実として
上村 保 福岡
南京事件の起こった1937年は、ナチスドイツがスペインのゲルニカに空爆による世界最初の無差別攻撃を行った年です。同じ年に日本軍も南京に対して空爆を行いました。空爆のあと地上戦で日本軍による無差別虐殺、強姦、放火、略奪の数々と伝えられる南京侵略が始まりました。
記念式典参列のあと、新しい資料館を見学しましたが、目を背けたくなる映像や写真、二人の将校の日本刀による「百人切り」を報道する日本の異常さなど、一人の人間から一つの国そのものまでを狂わせてしまう戦争を絶対に許してはならないと、平和の大切さと軍隊と戦争を放棄した憲法9条を守る大切さを、かみ締める旅になりました。
今回の旅で、多くの南京市民を救った、ナチス党員でもあった、ジョンラーベという人のことを新しく知ることができました。「ジョンラーベの家」が資料館となっており、説明を受けながら、「南京のシンドラー」杉原地畝さんがいたことを知りました。
上海師範大学では従軍慰安婦資料館を訪ね、教授からいろいろな説明を伺うことができました。
南京事件にしても、従軍慰安婦問題にしても、学んだことは「まず、事実を事実として受け止めて欲しい。そのことが、出発点だ」ということでした。事実を事実として認めないことは二重の加害行為につながります。「歴史認識」という表現で、中国が再三日本に求めているのはそこでしょう。「報復復讐のこころからは新しい未来は生まれない。しかし、過去の歴史と正しく向き合わなければ真の友好は築けない」。このシンプルな命題が、南京事件から70年、終戦から60年以上も経た、現在もなお、国会で「侵略戦争であった」と明言しない日本国に問われているのだと痛感しました。
鑑真和上が祀られている大明寺を訪ねましたが、国と国の関係は平和交流であってこそ、文化も華やかに花開くのだと、遣隋使・遣唐使、その他の平和交流の歴史や、元寇の役、秀吉の朝鮮侵略、第二次世界大戦などの戦争の歴史を比較しながら、その思いを強くしました。
憎しみをあおるのではなく
平和を発展させる為
井上 千代子 大川
初めての中国旅行はとても有意義のものでした。
平和集会の会場に入ると、いきなり、見上げる程の大石に刻まれたもがき苦しむ人の姿、天に突き上げた手は、悲鳴、うめき、呪いの叫びが聞こえてくるようで、私は圧倒されました。もうひとつ衝撃だったのは、中国では虐殺ではなく、屠殺と言われていたことです。
会場には生存者の札を付けた盲目の婦人が時折り涙して立っておられまして。南京戦に参加した父をもつ甲斐悟さんは、その婦人を抱きしめていました。
資料館では捕虜と住民に対する虐殺、暴行、強姦、略奪の数々。広いガラスの床の下には沢山の遺骨が折り重なっていました。日本ではプラスチックで作ったものではないかと言う人さえいるそうです。
資料館を出ると、丸い石が沢山積み広げられています。30万個の犠牲者の尊い命の数です。ここは怒りの場です。
しかし、中国は恨みや、憎しみをあおるのではなく平和を発展させる為という姿勢だと思います。日本政府は、過去の侵略戦争の事実を認めて早く反省してほしいです。
知人が、「政府が言っている事が本当か、どっちが本当かわからない。」と言っていましたが、写真を見せて、この事実を話したいと思います。
南京鉄道職業技術学院の日本語を学んでいる生徒さん達と交流しました。私の相手は赴冠冠さん、二十歳。お父さんは会社員、お母さんは農業、高校生の弟の4人家族で寮に入ってアルバイトをしながら、日本語通訳を目指して、勉学に励んでおられました。中国の学生さん達は素朴で、明るく、意欲的でした。楽しい交流ができました。
日曜日の魯迅公園には老若男女大勢の人が集まり、社交ダンスの輪があるかと思えば、向こうでは大合唱の輪、太極拳をしている人、編み物をしている人、路面に水で筆字を並べている人、それぞれ楽しんでいます。日本では失われてしまった人間本来の姿がここにありました。中国人が元気なのは、こんな人とのつながりがあるからではないでしょうか。
バスに乗り込もうとしていると、「日本人ですか?はじめまして。」と二十歳くらいの娘さんが美しい日本語で話しかけてくれました。いろいろ話しかったけれど「勉強頑張って下さい。さようなら。」と別れました。一瞬の出合いでしたが、出会う人ごとに「ニイハオ」と挨拶を交わして、楽しい旅でした。
また中国に行きたい
佐藤 由紀子 大川
今回が初めての海外旅行。出発までソワソワ落ち着かない日々が続き、いざ中国へ出発。
南京大虐殺のことをほとんど知らない私が70周年記念式典に参加した。これまで、いろいろな集会に参加してきたが、こんなに神妙で重い集会は初めてだ。参加者はキチンと整列し、バラバラではなくビッシリと会場を埋め尽くされていた。会場で盲目の老婆が涙を流していた。甲斐さんがその老婆を抱きしめた。
式典のあと、資料館を見た。広島・長崎の原爆資料館は何度か見たが、戦争のむごさを初めて見たような気がする。人間が人間に直接手をくだす。戦争とはいえ、罪のない女性や子供を平気で殺す。首切り競争をする。同じ日本人として、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。そして、甲斐さんの謝りたい気持ちが初めてわかった。
公園でお爺さんが日本語で「ようこそいらっしゃいました。」と微笑んで言われた。憎いはずの日本人にどうして微笑むことができるのだろう?資料館を見て、中国人の目が怖くなった私は、少しホッとし「ありがとうございます。」と言った。
日本語を学ぶ学生との交流では、筑後弁しか話せない私は標準語を話せるか心配した。校舎のなかで話した二人の女学生はとてもかわいらしくて純真で、一生懸命に日本語で話してくれた。あまりためになることを話してあげられなくて申し訳なかったけれど、短い時間でも親しんでくれて感激した。別れ際には涙が出そうになった。
揚州・鎮江・上海は、思っていたよりずっと発展していた。特に上海の高層ビルの大きさに驚いた。交通量がものすごく、道路の真ん中に歩行者や自転車が立っているのに驚き、ドライバーの運転の上手さに感心した。
中国の人はとても元気がよく勤勉で、日本の将来が不安になった。
水とトイレには困ったけれど、今回行けなかった同僚を連れて、また中国に行きたいと思っている。
2008年 1月 19日 交流, 日本語学校 | Permalink
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「中国青年指導幹部訪日団」を大歓迎
10組の家庭、応援団と交流
JAICA(独立行政法人 国際協力機構)が実施する、「中国青年指導幹部訪日団」の来福に際して、(財)日本国際協力センターから、協会福岡県連に、研修の一環として日本の一般家庭を訪問したいので受け入れに協力してほしいと、申し入れがありました。 福岡支部は福岡日中文化センターと相談し、受け入れを喜んで引き受けることになり、11月11日、10家庭で、お客様一行26名をあたたかく、もてなしました。
この訪日団は、「中国共産党中央党学校」で研修中の「中堅幹部」で、大学の学長、国立病院の院長、銀行の副頭取、企業の社長、各級行政の長などを主要メンバーとする、近い将来の中国を実質的に担うことになる”錚々たる”顔ぶれです。福岡での「環境問題」への取り組み状況を研修するために来県しました。
当日3時から、市内のホテルで初顔合わせした10組の「訪日団」とホストは、すぐさま、「歓迎応援団と美味しいご馳走」が待っている各過程に向かいました。
スリッパのまま畳の間に入ろうとして注意される人、和式のコタツに感心して寝そべる人、あぐらをかこうとしてひっくり返った人など、それぞれの家で、日中間の初対面のぎこちなさは瞬く間になくなり、おでん、すきやき、天ぷら、寿司などに舌鼓を打ち、お酒に喉を潤すうちに、いつの間にか”百年の朋友”になっていました。
「この家庭訪問が今回の来日スケジュールの中で一番楽しかった。ありがとう」「今度中国に来たときには必ず連絡してください。キットですよ!」と別れを惜しみ、「こんな一般庶民の交流の積み重ねがあれば、中日間の平和が保たれる」と言った団員のことばが印象的でした。
2007年 12月 2日 交流 | Permalink
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中日友好協会代表団歓迎会の来賓挨拶
民間交流の積み重ねが平和・友好の礎
弁護士 後藤富和
中日友好協会代表団の皆様、ようこそ日本にお越しくださいました。
かつて、ここ福岡には、多くの中国人の青年たちが日本軍によって拉致され、強制的に炭鉱で働かされて、多くの命が奪われました。かろうじて生き延びた青年たちも、賃金すら支払ってもらえませんでした。
この事件について、日本の裁判所は、戦後60年以上の時が経っているから時効である等として、中国人被害者の訴えを退けています。
しかし、彼らが法廷で流す悔し涙をみるとき、時間の経過によって、彼らが受けた痛みが決して癒されるものはないことを痛感しました。
今後、中国と日本がアジアの平和のために協力していくために、わが国は、過去の過ちをきちんと償う必要があります。
先日、私は、3歳と1歳の子ども達を連れて北京を訪問しました。子ども達が天安門広場や万里の長城を無邪気に駆け回る姿、そして、この子達に声をかけてくれる中国人の方の姿を見て、子ども達には国境の壁がないことを痛感しました。
日本の憲法は、戦争を永久に放棄すると誓っています。では、どうやって平和を維持しようというのでしょうか。この点、憲法は前文で「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」安全を保持することを決意したとしています。ここで注目すべきは、「諸国」ではなく、「諸国民」を信頼するとしたことです。
それは、すなわち、日本、中国という国の単位で考えるのではなく、一人の日本人が一人の中国人を、一人の中国人が一人の日本人を信頼すること、つまり隣の人と仲良くすること、これが大きく広がってこそ平和が実現するとしているのです。
今回、両国の友好協会がこのような形で交流することは、憲法が理想とする「諸国民」の信頼を構築する貴重な機会であると感じています。
このような民間交流の積み重ねが両国の平和・友好の礎になることでしょう。
皆様の来日を心より歓迎いたします。
2007年 12月 2日 中国人強制連行・強制労働事件, 交流 | Permalink
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人間味あふれる活動を進め、二千名の組織を目指す
日本中国友好協会福岡県連合会は11月8日、福岡日中文化センターで、中日友好協会代表団(団長・井頓泉常務福会長以下4名)を迎えて。第46回定期大会を58名の代議員が参加して開きました。
昼休みには、江蘇省立南京鉄道職業技術学院の学生7名と食事をしながら交流を深めました。
大会は新生・八幡支部から3名の代議員、大牟田準備支部から久方ぶりの参加、大川及び宗像糟屋地域での支部準備の具体化、若い専従事務局員の確保などの発言もあり、討議は最高に盛り上がりました。
大会は、この1年間の活動の総括、新年度の活発な運動方針、人事などを討議し、満場一致で承認しました。
また、大会は「人間味あふれる活動を進め、各層、各界の理解と協力を得て、県下すべての市区町村に協会の支部、班をつくり、当面、二千名の会員・日中友好新聞読者を擁する県連を目指して奮闘します」と更なる前進を誓い合いました。
大会後、会場を近くのホテルに移し、井団長から「中国の現状と日中友好」とのテーマで、40分間、スピーチを聞きました。
氏は中国が大きく発展していることを紹介すると共に、経済成長のもとで生じている諸問題を解決するために、「調和社会」をめざして政府は全力を尽くしていると報告しました。
また、日中友好と世界の平和のために、日中友好協会や諸団体と力をあわせて中日友好協会は頑張りたいと語りました。その後、台湾問題、日中友好に対しての姿勢などについて、時間を超過するほど質問がだされました。
歓迎パーティーは、中村淑子さん、横田雅紫津さんの琴の演奏でオープニング。武田正勝会長が歓迎挨拶。団長が代表団の紹介の後、永年、苦難に屈せず中国国民との友好のために運動を続けてきた協会に対しての感謝の言葉をのべ、「歴史を鏡とし、未来に生かして中日友好を広げましょう」と挨拶しました。
来賓の後藤富和弁護士、中国帰国者の会会長・木村琴江さんの挨拶を受けたあと、福岡日中文化センター村上陽三所長の乾杯の発声。
趙萍さんの胡弓演奏、太極拳、会員のどじょうすくい、炭坑節の総踊り、東京ー北京の合唱を豪華な?料理とアルコールをとりながら楽しみ、交流を深めました。
2007年 11月 21日 交流, 福岡県連合会 | Permalink
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中国代表団「日中不戦の碑」に感謝
大宰府を訪問

11月9日、中日友好協会代表団は大宰府を訪問しました。この地はかつて「遠のみかど」と呼ばれ、大陸との交流の窓口でした。中国との交流を物語る遺跡が数多くあります。そういうことから両協会の友好を深めるには大変ふさわしいところと考え今回お招きしました。
まずは1969年建立の鑑真和上ゆかりの戒壇院にある「日中不戦の碑」。当地在住の県連副会長の北川榮市さんと協会員で市議会議員の武藤哲志さんが来歴の説明。県民の浄財を集めて建ったこと、もとは隣接する観世音寺にあったが無断で藪に捨てられていたのをみんなで再度戒壇院に設置したこと、当時の日中関係などの話をしました。4人の代表団は「困難な時期によく建立されたものだ。感謝します」と感心していました。
ついで、大宰府政庁跡=都府楼跡、天満宮参道を散策したあと、「定遠館」を訪ねました。建物は古く傷んでいます。ここは、日清戦争時、中国の有名な巨艦「定遠」の甲板や船長室の調度品を戦利品として奪ってきて門扉や装飾に使ってある、いわば19世紀の中国侵略の象徴ともいえる建物です。中日友好代表団の方々は大いに関心を持って、つぶさに観察し、中国人の前にある名鑑の遺物に感慨深げでした。
昼食後、天満宮の人ごみの中を歩いて、隣接する光明禅寺を訪れ、秋の日本庭園を鑑賞しました。美しさ、優雅さに感極まっているようでした。
2007年 11月 21日 交流 | Permalink
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福岡市長、副議長と懇談
代表団は、8日、武田正勝会長、岩佐英樹理事長の案内で福岡市役所を訪問し、吉田宏市長、久保浩副議長らと懇談しました。
2007年 11月 20日 交流 | Permalink
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2007年 11月 20日 交流 | Permalink
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