平和のための戦争展 | 中国残留日本人孤児 | 中国人強制連行・強制労働事件福岡訴訟



  平和のための戦争展

 これまで、福岡と北九州で「平和のための戦争展」を開催してきました。

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  中国残留日本人孤児

→ 「日本人孤児」に関するバックナンバー

 日本の敗戦後、中国東北部に置き去りにされ、1980年代にようやく帰国できた「日本人孤児」たちが、 早期の「孤児」帰国施策をとらず、帰国後も十分な支援策を実施しなかった日本政府に対して謝罪と生活保護を求め、 02年12月に東京で提訴。 その後、全国各地で訴訟が起こされ、2月1日現在15の裁判所で2210人の原告が裁判を闘っています。
 「孤児」たちの多くは、帰国当時40~50歳。かれらは現在、平均65歳に達し、日本語教育支援の不十分さ、 年金受給額の少なさから、就労や日常生活の困難に陥っています。 約7割が生活保護を受給し、「一日も早く『自立』するように」と行政の一方的な指導を受けるなど、 厳しい状況に置かれています。



  「中国人強制連行・強制労働事件」福岡訴訟

中国人強制連行・福岡第2陣訴訟控訴審
 2008年12月1日 結審 福岡高裁
 2009年3月9日 判決

→ 「中国人強制連行・強制労働事件」に関するバックナンバー

 1942年の閣議決定により中国大陸から約4万人の中国人が強制連行され、 戦争中、鉱業、土木建築業、造船業、港湾荷役業等の日本企業の多くの事業所で奴隷労働を強いられました。 中国人強制連行・強制労働事件は、生存している被害者たちが日本政府と加害企業に対して、 謝罪と損害賠償を請求している事件です。
 福岡訴訟では、田川と三池で強制労働させられた15名が、2000年5月、国と三井鉱山を相手に福岡地方裁判所へ提訴し、 2002年4月26日、被告企業の損害賠償責任を認める画期的な勝訴判決が言渡されました。 ところが、国の責任追及を求める控訴審は、2004年5月24日、福岡高等裁判所において、 一審原告の請求棄却の判決が言渡されました。
福岡地裁勝訴判決が中国全土に報道され、勇気づけられた被害者が各地で名乗りをあげ、 新たな原告により第2陣福岡訴訟が提訴されました。 第2陣訴訟は、被告企業として三菱マテリアル(当時三菱鉱業)が追加されています。
 2008年12月1日結審を迎えました。
 判決は、2009年3月9日です。



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