母の霊を弔う旅
母の霊を弔う旅 糸島 宗廣マツ

今年6月、姉妹三人で、中国東北に母の霊を弔う旅をしてきました。
ハルピンに着いた午後、731部隊跡地をたずねました。頂いた資料。勿忘(「忘れることができない」)には、ここには、元日本軍の細菌戦の中核だった731部隊があり、細菌戦犯石井四郎の統括のもとで、日本国内の医学専門家千人以上が集められ、中国人、外国人の抗日志士と平民を人体実験材料に三千人余りを虐殺したと書かれていました。
広い館内に展示された実験用の注射器、刑具の足かせ、細菌実験の注射をしている模型や写真など、それはすさまじく、人間が人間に対してここまで出来るのかと軍国主義教育への怒りの連続でした。
3日目、私達は、早朝3時間かけて目的の方正市に到着、市政府の協力で建立(1963年)された「方正地区日本人公墓」に参拝しました。
ここは、元開拓団員を含め4500人以上が命を落とした場所で、菊の花と線香をあげて供養し、目的地の母の亡くなった場所に向かいました。
その走行40分の間、私は、母が終戦時の死の逃避行、収容所の恐怖の中でいつも自分を犠牲にして私達を守り通し、また自分がいなくなった後でも「いつか3人を迎えに行って欲しい」と預け先を看護婦をしていた長姉に教え、2年半後私達は、無事姉に探し出され、残留孤児にならなかったことなど、母の優しさ、強さと心使いなど思い浮かべていました。
走行中姉が、声を弾ませ「ここへんだ」と車を止めました。私達は、62年目にして、やっと母への供養ができました。花を供え、熱い熱い感謝の念をこめた祈りを捧げました。
私は、今度の旅を通じて、平和と友好の尊さを考えさせられ、憲法9条を守り通す決意を新たにしました。
最後の19日は、天安門広場、故宮、万里の長城を観光し、6月20日、母と妹の眠る中国に複雑な思いを残しつつ帰国しました。
2007年 7月 10日 糸島支部 中国残留邦人帰国者 | Permalink
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コメント
はじめまして(笑)
62年もかかるのですね、親の亡くなられた場所を訪ねるのにも。それだけ庶民にとって戦争の傷跡は深い・・・ということですよね。ご姉妹がお元気だから実現したことだと思います、ほんとによかったですね!
マツさんが「戦前・戦中・戦後」のことをお話して回ってあるのは、とてもいいことだと思います。お体に気をつけて長く続けてほしいです。
投稿: kominka | 2009/12/27 8:59:31
kominkaさん
ありがとうございます。
半世紀以上の前のことでも、両国のひとりひとりの心の中にはずっと残っています。
これを次の世代に引き継ぐことを。
宗廣さんをはじめ、苦労された方の思いを大切し、伝えていかなくてはいけないです。
投稿: Web担当 | 2009/12/27 9:35:18