人生に友好の歴史あり⑨ 筋を曲げずに70年 中村正次さん(久留米・94歳)
| 「毎日午後六時には仕事を終え、晩酌は焼酎一合三勺をお湯割りで何杯かに分けて飲みます。それ以上は飲みません。毎朝家族四人分の朝食と週二回の夕食作りは私の当番。日記は四十年以上つけています」開口一番元気に語る一級建築士の中村さん。 しゃんとした背筋、色艶よく生き生きとした眼の輝きに九十四歳という高齢は微塵も感じられません。 中国で八路軍と出会い、独学で建築技術を習得。 技師として新中国の建設にかかわり、帰国後は「当たり前のこと」として友好運動に貢献された人生を紹介します。 |
文学少年 明治・大正・昭和の
文学全集を読破
一九二一(大正十)年二月、三瀦郡木佐木村(現大木町)で出生。
先生をしていたお兄さんの影響もあり、小学校四、五年生で家にあった明治・大正・昭和の文学全集を読破、当時の八女工業学校で土木を学びます。
徴兵検査を受けますが肋膜炎を患っており兵隊にはなれませんでした。
十六歳で旧満州に渡り、十七歳で満州電々(株)ハルピン中央電信電話局に入社します。
八路軍と出会い、見つけた
土木事典で建築技術を勉強 二十四歳の時ハルピンで終戦。ソ連軍が進軍し街は一時混乱しましたが八路軍と入れ替わり治安が治まります。
八路軍の「日僑弁公室」の一員となり、各地へ移動。
引揚げた日本人の宿舎から見つけた分厚い「土木事典」を毎日のように読み、建築技術を習得。
八路軍とダム建設の測量をするなど、「仕事仲間」として貢献します。
その後、中国東北総水利局設計部の建築課長を務めます。
第二次引揚げ船団長に推挙
され帰国、舞鶴港に
終戦八年目の一九五三年春、帰国するか、このまま現地で仕事を続けるか迷うことになりますが、帰国を支援する中国紅十字会から中村さんの人徳と貢献度が見込まれ、第二次引揚げ船団長に推挙され帰国することになります。
四月に天津市近郊の塘沽を出港、引揚者千九百名を載せた高砂丸は同月二十一日に舞鶴港へ入港。帰国を果たします。
久留米で就職、支部活動に
全力、事務局長など歴任
五月のどんたくの日、博多駅に到着。さっそく協会福岡県連創立の準備をしていた事務局の人を訪問。
その後、久留米の日本ゴムに就職し久留米支部で活動します。
当時の役員は支部長に久留米大学教授の鮫島國三氏、事務局長は九州大学の梶原充氏(いずれも故人)達でした。
中村さんは定年後、事務局長として活動します。
「十六歳から三十二歳まで、終戦を挟んで十六年間中国に。そこでの出会いと経験が友好運動にかかわる人生を決めた。当たり前のこと」と語る中村さんです。
2016年 2月 13日 人生に友好の歴史あり | Permalink
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