人生に友好の歴史あり⑧ 「日中と出会い 心豊かな人生に」 永田冨美恵さん (福岡・83歳)

| 永田冨美恵さん (福岡・83歳) |

「日中と出会い 心豊かな人生に」

「今の自分があるのは日中友好協会との出会いがあったからこそ、事務局で働けたことに感謝」視力・聴力が衰え不自由な生活ながら、開口一番こう語る永田さん。
「四十七歳から六十七歳までの二十年間、日中友好運動にかかわり、多くのすばらしい人々と出会えたことは人生の支えとなった」。
県連六十年の歴史の中で、事務局員として活動された人生を紹介します。
未熟児で出生 必死に育
ててくれた母の愛情に
感謝 一九三二(昭和七)年、福岡市内で双子で出生。永田さんは未熟児でした。
まもなく父親の里、宗像に転居。当時は医者もいなく、母親は八月でも永田さんを柳行李に寝かせ、湯たんぽを二つ入れて必死に育てました。
五歳の時に父親が他界、母と子どもの四人で母の実家がある日田市へ。
青春時代はうたごえ運動や演劇にかかわり結婚。夫の仕事の関係で四十二歳の時、福岡へ転居します。
吉武健児さんと出会い
日中友好協会事務局へ ある日、選挙事務所でビラ折をしていた時、吉武健児さん(当時県連事務局長、現中国語教師)との出会いが友好運動にかかわるきっかけになります。
吉武さんから「電話番と帳簿付でいいから来ないか」と誘われます。事務所は「天満ビル」と聞き面接に。ビルらしき建物は見当たらず、旧福岡県庁前にある水鏡天満宮横の木造アパート二階の一室が事務所でした。ギシギシと音がする階段を上り八坪(十六畳)ほどの部屋で小林重光さん(故人)当時県連理事長の面接を受け働くことになりました。
全国大会に参加
平和友好運動に確信 五十歳のころ、奈良で開かれた日中友好協会の全国大会に代議員として参加。各地で取り組まれている友好運動や帰国者支援活動、仲間づくりの熱心な取り組みに「目からうろこが落ちる」感動を覚えます。
毎年十二月から三月までは中国語教室開講の宣伝です。電柱にポスター貼り、公園でビラ配りなどして募集。会議の資料作りや中国人留学生ソプラノ歌手の支援コンサート、県連や支部、日中文化センターの会計実務など多忙な業務をこなしながら、静吟会で詩吟を学び中国語の勉強もしました。
日中文化センターの設立や天満ビルからリバーサイド、現在の事務所への移転など、六十年の歴史の重要な節目を事務局員として支えてきました。
市民に認知される団体
になってほしい 「日中の様々な活動を陰になり日向になって支えてくれる人たちこそ本当の貢献者。運動の中身は素晴らしい、もっと市民の中に溶け込んでいってほしい」と熱く語る永田さんです。
2016年 2月 9日 中国残留邦人帰国者 人生に友好の歴史あり | Permalink
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