「中国残留日本人孤児2世が笑顔で暮らしていくために、法改正を」 応援メッセージ9
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「中国残留日本人孤児2世が笑顔で暮らしていくために、法改正を」
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応援メッセージ 9
21/03/30「秦久子様よりご支援いただきました。ありがとうございます。」
こけ :21/03/30
「みなさんが笑顔で暮らせる毎日が訪れますように!」
後藤富和(日中友好協会福岡支部支部長)
「ご支援ありがとうございます。多文化共生で、尊重しあえる笑顔で過ごせる社会を目指したいです。」
みかりん :21/03/30
「頑張ってください!」
篠崎 省吾 :21/03/31
「応援してます。」
daredevils36 :21/04/01
「頑張ってください!」
川崎 奈津子 深町 :21/04/01
「頑張ってください!」
木野 由美 :21/04/02
「47Newsで知りました。微力ではありますが、支援いたします。頑張ってください。」
後藤富和(日中友好協会福岡支部支部長)
「ご支援ありがとうございます。そして47News読んでいただきこの問題に関心を持っていただきありがとうございます。」
Iwakan :21/04/02
「頑張ってください!」
Masato Saitou :21/04/02
「知人が息子さんに迷わず『一心』と名付けました。遠い問題ではなく、自分達の問題だと思っています。」
後藤富和(日中友好協会福岡支部支部長)
「『一心』いい名前ですね。僕も子どもの名前をつける際は、中国の方が読んでも希望を感じる名前であることを意識しました。この問題、社会の温かさが試されている、まさに自分たちの問題ですね。ご支援ありがとうございます。」
二階堂 啓志 :21/04/02
「頑張ってください!」
大原洋子 :21/04/02
「兄は、3歳の時に北朝鮮から何とか引き揚げることができました。母がその苦難を何度も話してくれ、他人事とは思えません。
笑顔の多き日々を願っています。」
後藤富和(日中友好協会福岡支部支部長)
「ご支援ありがとうございます。他人事とは思えませんというのは、本来、日本人全員が持っておかしくない感情だと思います。私たちが今生きているのは多くの偶然が重なったからだと。貴重なコメントありがとうございます。最後まで頑張ります。」
早川千晶 :21/04/02
「ケニア在住32年の早川千晶と申します。両親が牡丹江生まれ、終戦時に父7歳、母4歳でした。祖父母から逃避行と難民生活、引き揚げ経験について聞いて育ちました。そのため私は大学時代に中国帰国者の会に入り、帰国者とその家族に日本語を教えたり、バザーで餃子を作って売ったりなどのボランティア活動に参加しました。その後、ケニアのスラム街で孤児救済の学校マゴソスクールを作り現在に至りますが、私のアフリカでの活動の原点には、両親と祖父母の経験が根底にあります。祖母は逃げながら8/15に出産し、2人の祖母は強姦を逃れるために髪を剃り落として隠れている間、7歳の父が家族の食べ物を得るために街に出てポン菓子を売り歩いたそうです。それでも、自分よりも悲惨な孤児の姿を見て、売り物を全て空腹の孤児にあげて、泣きながら帰ってきたという話を何度も祖母から聞きました。
私が高校生の頃に日本では残留孤児の家族探しが始まると、祖父母は、目を皿のようにして知った名前を探して新聞を隅から隅まで眺め、毎日涙していました。その4人の祖父母も母もすでに亡くなり、83歳の父は満州の記憶だけは未だにはっきりとしています。
博多の祖父と最後に会話した時、私は大学1年生でしたが、祖父は、いま生きていられるのは助けてくれた中国の人たちのおかげだ、中国に決して足を向けて寝られないよと言い、そして、命からがらやっとたどり着いた日本で、まさかあんなに冷たくされるとは思わなかったよ。と言いました。その言葉が今も脳裏に焼き付いて離れません。
言葉に尽くせぬ苦労をしてきた残留孤児の皆さんとそのご家族が、故郷に受け入れられ、優しい人たちに出会うことが出来ることを心から願ってやみません。そして、この歴史を風化させることなく、次世代にも伝えていくことが大切だと年々強く感じており、私も伝えていく努力を続けていきたいと思います。」
後藤富和(日中友好協会福岡支部支部長)
「ご支援そして温かいメッセージありがとうございます。戦争は悪いことですが、仮にその良し悪しを無視しても、当時の日本は外国に日本人を移民させたり、外国の人を日本に連れてきたりする資格がない国だと感じます。国民を「満洲」に移民させておいて、連れて帰らない。挙句の果てに死んだことにする。朝鮮の人を日本に連れてきておきながら、帰国の道筋をつけないまま日本国籍を奪う。外国と関わるというのはその先に生じる責任もうけおうということなのに、そんな先のことを考えないまま目先の利益で行動し、責任を取らない。そして、その犠牲になるのは女性や子ども達。この国の姿勢は今も根本は変わっていないように感じてしまい、日々怒ってばかりです。
ケニアからご支援ありがとうございました。ケニアの話を伺えるのを楽しみにしています。」
21/04/02「頑張ってください!大薄利信様、安河内真知子様、田中光子様からご支援いただきました。ありがとうございます。」
21/04/02「吉武健児様、森鈴子様、具島順子様、渡辺ミチオ様、林田シュンジ様、ほか1名からご支援いただきました。ありがとうございます。」
21/04/02「黒木弘子様、黒澤節男様、高向洋子様からご支援いただきました。ありがとうございます。」
21/04/03 :平田陽一「頑張ってください!」
21/04/03 :Rainbow3「頑張ってください!」
21/04/03 :松本 正「頑張ってください!」
21/04/05 :仲村弘明「頑張ってください!」
21/04/05 :aramaki「頑張ってください!」
21/04/05 :杉浦英子
「中国残留孤児2世の皆様の生活が少しでも改善されますよう祈っております。」
後藤富和(日中友好協会福岡支部支部長)
「ご支援ありがとうございます。誰もが安心して暮らせる社会を実現したいです。」
21/04/05 :Keiko Takayama
「街頭デモには参加できませんが、皆さまの平安をいつも祈っております」
21/04/06 :宮崎滋政
「知人のFacebookを見て、皆様の活動を知りました。微々たる金額ですが、お役に立てればうれしいです。」
2021年 4月 28日 中国残留邦人帰国者 | Permalink
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